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ルース・ベネディクト 提供: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ルース・ベネディクト(Ruth Benedict、1887年6月5日-1948年9月17日)は、アメリカの文化人類学者。ニューヨーク生まれ。
菊と刀
ルース・ベネディクトの『菊と刀』(The Chrysanthemum and the Sword)は、日本文化を説明した文化人類学の著作である。『菊と刀』は、ベネディクトの戦時中の調査研究をもとに1946年に出版された。ベネディクトは、フランツ・ボアズより教わった急進的な文化相対主義の概念を日本文化に適用するべく、恩や義理などといった日本文化『固有』の価値を提唱した。
倉智恒夫によれば、『菊と刀』の認識パターンは、フランス人ルイ・カザミヤンによるイギリス論の、『イギリス魂-その歴史的風貌』(1927年、現代教養文庫)と共通するものがあるという。なおカザミヤンについては島田謹二の研究(白水社)がある。ほかに訳書は『大英国』(白水社)、『近代英国』(創文社)がある。
ベネディクトは、日本を訪れたことはなかったが、日本に関する文献の熟読と日系移民との交流を通じて、日本文化の解明を試みた。菊と刀』はアメリ文化人類学史上最初の日本文化論であり、出版から50年以上たった現在でも不変の価値を持ち続ける古典的な著作とされる場合もある。
菊と刀』は日本文化の価値体系の独自性を強調する。しかし、最近ではそれを懐疑する傾向も見られる。すなわち日本文化が西洋文化とは対極の位置に置かれていることに、批判の目が向けられている。また、日本の文化を外的な批判を意識する恥の文化と決め付け、欧米の文化を内的な良心を意識する罪の文化と定義し、倫理的に後者が優れているとの主張を展開したことへの批判もある。
なお左翼の日本文化研究家・ダグラス・ラミスは、『菊と刀』には、未開民族を見るようなまなざしがあるとして批判している(『内なる外国』)。
第二次世界大戦後】
彼女は戦後も教育活動を続け、死のわずか2ヵ月前に漸く正教授に任じられた。1948年9月17日、ニューヨークで亡くなっている。

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日本教養全集 18 『菊と刀 ルース・ベネディクト 訳 長谷川松治 (一部抜粋しています)
子供の遊び仲間は、非常に無遠慮に、互いに悪口−−大人になったのちならば、侮辱となるような悪口−−を言い合い、自慢−−大人になったのちならば、深刻な恥辱感をひき起こすような自慢−−をし合う。日本人は穏やかな微笑を眼にたたえながら、「子供は恥を知らないものだからね」と言う。そして「だからこそあのように幸福なんだ」と付け加える。これは幼児と成人との間の根本的な相違である。何となれば、大人について「あいつは恥を知らない」と言えば、その人が全く破廉恥漢である、ということになるからである。
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しかしながら日本人は、自らに多大の要求を課する。世人から仲間はずれにされ、誹謗を受けるという大きな脅威を避けるために、彼らはせっかく味を覚えた個人的な楽しみを棄てなければならない。彼らは人生の重大事においては、これらの衝動を抑制しなければならない。このような型に違反するごく少数の人々は、自らに対す絵う尊敬の念すら喪失するという危険におちいる。自らを尊重する(「自重」する)人間は、「善」か「悪」かではなくて、「期待どおりの人間」になるか、「期待はずれの人間」になるか、ということを目安としてその進路を定め、世人一般の「期待」にそうために、自己の個人的要求を棄てる。こういう人たちこそ、「恥を知り」、無限に慎重なりっぱな人間である。こういう人たちこそ、自分の家に、自分の村に、また自分の国に名誉をもたらす人びとである。こういうふうにいて醸し出される緊張は非常に大きなものであって、日本を東洋の指導者とし、世界の一大強国としたような、ああいう高慢な大望となって現われる。しかしながら、このような緊張は個人には重い負担である。人はしくじりをしないようにまた多大の自己犠牲を忍んで行なう一連の行為において、誰からも自分の行ないをけなされないように、気を配らなければならない。時には、こらえにこらえた鬱憤を爆発させ、極度に攻撃的な行動をする場合もある。彼らがそのような攻撃的態度にかり立てられるのは、アメリカ人のように、自分の主義主張や自由が脅かされた時ではなくて、侮辱、もしくは誹謗されたと認めたときである。その時、彼らの危険な自我は、もし可能ならばその誹謗者に向かって、そうでなければ自分自身に向かって爆発する。
訳者あとがき
菊と刀』の基礎になったのは、著者ルース・ベネディクトが、第二次世界大戦中、他の多くの学者とともに動員されて働いていた、戦時情報局の命令で行った日本研究であるが、それは第一章のなかで述べられているとおり、終盤を迎えた太平洋戦争になるべく早く決着をつけ、さらにその後に予想される戦後処理、日本占領行政の基本方針策定という、緊急の実際的目的に役立てようとするものであった。
彼女は、自分に課せられた日本研究を行うに当って、文化を異にする他民族の行動は、いかに異様に見えるものであっても、またいかに矛盾に満ちているように思われようと、必ず、その民族特有の社会構造・人間関係にもとづく、一貫した内面的論理によって貫かれているものであるという、多年にわたる未開社会の研究を通じて獲得した、文化人類学的確信の上に立って仕事を進めていった。その結果、みごとに日本人の生活と文化の全体像をとらえ、日本人の行動の内面的意味ならびにその究極の動機をするどく分析することに成功した。そして、それらの分析を通じて最後に、西欧人の文化が罪意識を主軸とする「罪の文化」であるのに対して、日本文化は恥意識を中核として動く「恥の文化」であるという、有名な結論に達した。この点に関して、まま、ベネディクトは日本文化を西欧文化より劣った文化、おくれた文化ときめつけたと取る向きがあるようだが、単に基本的類型の差異を指摘したまでであって、優劣の比較をしているのではないことは、本文をよく読めば明らかなことである。

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【そのいつつ】ルース・ベネディクト、『菊と刀 中田英樹のブログ
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