じじぃの「人の死にざま_68_双葉山」

双葉山定次 - あのひと検索 SPYSEE
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双葉山の69連勝 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=2sC6OBedhr8
『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
双葉山 (1912-1968) 56歳で死亡
69連勝の偉業をなしとげた大横綱双葉山定次は肝炎を病み、絶対安静を命じられながら、昭和43年11月24日、九州場所の千秋楽に、羽織袴で優勝力士大鵬賜杯を授与した。
それから1週間の12月2日、東大病院に入院したが、ベッドから身を起すときは「一二の三」(ひふのみ)というかけ声をかけた。それは横綱が綱をしめるときのかけ声であった。
彼のかかった激症肝炎は非常な痛みを伴うものだが、彼はいちども痛いという声をもらさなかった。が、全身黄疸で黄色くなり、痒(かゆ)みだけは訴えたので、弟子の豊山たちが掻(か)いてやったが、鋼鉄のように張った腰に舌をまいた。
さらに2週間後の12月16日、眠るがごとき大往生をとげた。本人は死ぬとは考えていなかったらしく、遺言はなかった。

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第三十五代横綱 双葉山 定次 goo 大相撲
http://sumo.goo.ne.jp/kiroku_daicho/mei_yokozuna/futabayama.html
【次代への名言】1月15日・双葉山 2009.1.15 MSN産経ニュース
「イマダ モッケイ タリエズ(いまだ木鶏たりえず) フタバ」(双葉山
大安の日曜日だった。昭和14(1939)年のきょう、70連勝を目指した横綱双葉山安芸ノ海の外掛けに屈した。両国国技館を埋めた約2万の観衆は一瞬息を呑(の)んだ。そして大喚声に包まれ、座布団が乱れ飛び、「あとは何が何やら」と東京朝日新聞は伝えている。
勝った安芸ノ海はうれし涙にむせび、故郷に「オカアサン、カチマシタ」、双葉山は知人に冒頭のように打電した。「木鶏」とは、敵を前にしても空威張りしたり、興奮したりせず、まるで木彫りのように動じず、無心である闘鶏のこと(『荘子』)。双葉山自身のことばで言い換えれば、「その日その日の勝負にベストを尽くそう(中略)するとのちには、自分で自分の相撲を楽しむといった気分で、土俵にのぞむことができる」(『横綱の品格』)という心境のことだ。
不世出の横綱は、日本相撲協会の理事長としても傑出していた。昭和43年12月、在職のまま急逝したとき、サンケイ抄(当時)は「部屋別総当たり制、年寄定年制、そして審判部の独立。こうした一連の改革は、彼なくして実現は容易でなかった」とたたえている。さて、天上の双葉山はいま、現世の角界を見下ろしながら、木鶏たりえているだろうか。