じじぃの「人の死にざま_56_葛飾」

葛飾北斎 - あのひと検索 SPYSEE
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とりいそぎ。: 葛飾北斎、ワシントンへ行く その4
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葛飾北斎 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
葛飾北斎は、日本の近世にあたる江戸時代に活躍した浮世絵師であり、とりわけ後期、文化・文政の頃(化政文化)を代表する一人。
代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。
【作品】
ここに示すものは揃物(そろいもの)等まとまった作品群であるが、これらは北斎の画業のごく一部に過ぎない。1点のみで著名な作品もある。また、画業と言うことでは、現代に伝えられなかった大量の作品があり、それらは文字による記録の形で「存在した」程度のことではあるが確認できる場合がある。このため北斎が描いた作品総数は分かっていないが、『葛飾北斎年譜』に付けられた「版木・版画作品目録」では1385点で、これは2冊本も1点と数えており、実際には更に摺物と肉筆画が加わる。数え方にもよるが、挿絵なども1図と数えれば3万点を越えるという意見もある。
北斎漫画
・百物語
・冨嶽三十六景
 富士山を主題として描かれた大判錦絵による風景画揃物で、主板の36図、および、好評により追加された10図を数えた、計46図。
・千絵の海
・諸国滝廻り
・諸国名橋奇覧
・肉筆画帖
富嶽百景
 3巻からなる絵本で、初編天保5年(1834年)刊行、二編は天保6年(1835年)、三編は刊行年不明(かなり遅れたらしい)。75歳のときが初版(北斎改為一筆)。富士山を画題に102図を描いたスケッチ集であるが、当時の風物や人々の営みを巧みに交えたもの。
百人一首うばが絵説
・信州小布施の肉筆画
・祭屋台天井絵
・八方睨み鳳凰
・喜能會之故眞通
・肉筆浮世絵

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
葛飾北斎(かつしかほくさい) (1760-1849) 89歳で死亡
天保5年、74歳で「富嶽百景」を発表したとき、彼は述べている。
「己(おのれ)6歳により物の形状を写すの癖(へき)ありて(中略)73歳にしてやや禽獣虫魚の骨格、草木の出生を悟り得たり。ゆえに80歳にしてはますます進み、90歳にしてなお奥意を極め、一百歳にして正に神妙ならんか。百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん。願わくは長寿の君子余が言の妄(もう)ならざるを見給うべし」
80歳になったとき、100まで生きることを目標として、「百」という印象を用いはじめた。
85歳のとき、自分の長寿薬として「竜眼肉(むくろじ科の木の実)皮を去り、目方6匁(もんめ)、太白砂糖8匁、極上焼酎一升壺に入れ、よくよく封をし、日数60日おいて朝夕猪口(ちょく)にて2つずつ」用いていることを述べている。
生涯に93回引っ越しをし、その間常に彼は、夜具を頭からかぶって飯櫃(めしびつ)の上で絵をかくといった赤貧の生活をつづけた。
それでも彼は、ただひたすら描きつづけた。甘いものは好んだが、酒も煙草ものまず、老いては朝起きてからすぐ仕事をはじめ、夜蕎麦(そば)2杯を食べるだけであった。
嘉永2年4月の中ごろ、しかし彼も風邪をひいて、浅草昇天町遍照院境内の裏店で床についた。枕頭に集まった、老いたる娘お栄をはじめとする数人の弟子たちが、臨終の迫っていることを彼に告げた。
 ひと魂(だま)でゆく気散じや夏の原
と彼は辞世をを詠み、
「あと10年生きたいが・・・・せめてあと5年の命があったら、ほんとうの絵師になれるのだが」
と、つぶやき、大息を一つついて息をひきとった。4月18日朝七ツどき(午前4時ごろ)であった。

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葛飾北斎 Katsushika Hokusai
1999年のライフ誌が「この1000年で最も重要な功績を残した世界の100人」に日本人で唯一ランクインしたことを例に出すまでもなく、日本が生んだ最大の芸術家、江戸文化が生んだ天才浮世絵画家である。作品数も3万点以上に及び、現在の目で見ても全く古さを感じさせない斬新な作風は、日本にとどまらず、ゴッホをはじめ世界中の芸術家に影響を及ぼしている。その生活ぶりは謎に満ちており、当時すでに名声を得ていたにもかかわらず長屋住まいで、絵を描くだけで部屋が汚れると引っ越しを繰り返し、その回数は93回にもわたったと伝えられている。画号も30回以上変えたと言われる謎の人物。「富嶽三十六景」「北斎漫画」ほか代表作多数。

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葛飾北斎の言葉
「あと10年生きたいが・・・・せめてあと5年の命があったら、ほんとうの絵師になれるのだが」は名言です。
葛飾北斎 Google 検索
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