じじぃの「中央アジア」考

チェチェンでまた自爆テロ 警官4人死亡 NIKKEI NET(日経ネット)
 【モスクワ=坂井光】タス通信によると、ロシア南部チェチェン共和国で25日、自爆テロが発生し、警官4人が死亡した。21日にもほぼ同時に2度の自爆テロで警官4人が死亡した。ロシアのプーチン首相は24日、急きょ現地入りし、カディロフ共和国大統領と事態収拾策を協議したばかり。度重なるテロで市民には不安が高まっており、政権側は新たな対策を求められそうだ。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20090826AT2M2504626082009.html
『日本と世界の実力がわかる 資源の本』 世界博学倶楽部 PHP文庫 2009年発行
なぜロシアとチェチェンは紛争を起こしたのか? (一部抜粋しています)
憎しみが憎しみを呼ぶ、血の報復合戦――。チェチェン共和国とロシアの紛争はまさにそんな様相を呈した争いであり、そこには資源が大きく関わっている。
両国の対立は、帝政ロシアカフカス地方を併合した19世紀にはじまる。カフカス地方はカスピ海黒海にはさまれたっ山岳地帯に位置し、古来、言語や文化の異なるさまざまな民族が暮らしていた。
帝政ロシアは、この一帯を自国に組み入れようと植民地化を企て、チェチェン人と約50年にわたり戦争を繰り広げた。チェチェン人は必死に抵抗を試みたが、最後はロシアに併合されてしまった。
その後、帝政ロシアが滅びソ連が成立してからも、チェチェン人は独立を求めてたびたび反乱を起こす。そこで当時の指導者スターリンは、多数のチェチェン人をシベリアやカザフスタンへ移住させた。第二次大戦中の1944年のことである。彼らはスターリンが死んでから母国への帰還を認められたが、この間に約20万人ものチェチェン人が亡くなったといわれている。
1991年にソ連が崩壊すると、ソ連の構成国であったアルメニアグルジアアゼルバイジャンなどの共和国は次々と独立することになった。民族自決の道を選んだのである。このときチェチェンもカラチャイ・チェルケス、カバルディノ・バルカル、北オセアニアなどの周辺の自治共和国とともに独立を求めたのだが、ロシアは連邦からの離脱を認めようとしなかった。
チェチェン以外の3つの自治共和国はロシアの威に屈し、渋々ながら独立を諦めた。しかしチェチェンだけは主張を曲げず、大国ロシアに真っ向から対峙し続けたのである。
1991年10月には大統領に就任したドゥダエフがチェチェンの独立を宣言。だが、ロシアのエリツィン大統領はこれを受け入れなかったため、1994年に第一次チェチェン戦争が勃発し、血で血を洗う惨劇が繰り広げられた。
この戦争により、チェチェンでは人口の10パーセントにあたる10万人が死亡し、経済は荒廃。1996年に停戦合意したものの、1999年にチェチェン武装勢力が隣国ダゲスダン共和国へ侵攻したのを機に、第二次チェチェン戦争へと発展していく。
ロシアは強大な軍事力をもって武装勢力を一掃した。しかしチェチェン独立運動は収まらず、一部の勢力はイスラム原理主義を信奉する国際テロ組織と結びつきを深めて数々のテロを実行した。

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世界遺産への招待状「中央アジア 大草原のシルクロード 8月7日 NHK
【語り】真矢みき腹筋善之介
世界遺産への招待状」、第16回は中央アジア。そこには果てしない大草原が広がっています。全長7500キロにおよぶ“草原のシルクロード”は、太古から東西を結ぶ重要な交易路でした。そして、そこを駆け巡っていたのが遊牧民たちです。今回はウズベキスタンカザフスタンの4つの世界遺産を訪ねます。
まずは、シルクロードの代表的なオアシス都市、世界遺産サマルカンド」。遊牧民の英雄ティムールによって築かれた街は、“青の都”と称えられ、紺碧のモザイクタイルで覆われた壮麗なイスラム建築群は、異国情緒にあふれています。
続いては、カザフスタン世界遺産「タムガリの岩絵」。草原にある岩山には、5000もの絵が刻まれています。この場所は“特別に神聖な場所”とされ、3000年間にわたり、様々な遊牧民族が自分たちの“宗教画”を刻んでいったのです。
そして、カザフスタン北部の世界遺産「サリ・アルカ自然公園」。ここには、湖沼や手つかずの草原があって、生き物たちの楽園です。湖沼は渡り鳥たちの繁殖地となっています。面白いことに、南国から飛来したフラミンゴと北国のハクチョウが、同じ湖で泳いでいたりします。そして草原には、巨大な鼻の持ち主である「サイガ」という、カザフスタン特有の珍獣もやってきます。「サイガ」は神出鬼没で、1日100キロあまりも俊足で移動するのです。このサイガは、なんと古来、遊牧民たちのお手本になってきたのですが、その訳は番組で。
最後は、カザフスタン南部の世界遺産ホジャ・アフマド・ヤサウィ廟」。遊牧民たちにイスラムの教えを広めた12世紀の聖人ヤサウィがまつられ、中央アジア最大の聖地になっています。ヤサウィが説いたのは「神秘主義イスラム」という独特のものです。その神秘的な宗教行事などもご紹介します。中央アジアの大草原には、不思議が一杯です。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/invitation/archives/archive090803.html
どうでもいい、じじぃの日記。
8/7、NHK中央アジア 大草原のシルクロード」を観た。
オープニングの言葉。「わぁ。広い。なんにもない」。
昔、『NHK特集 シルクロード 』を観た。石坂浩二氏のナレーションでやたらと砂漠が出てきて、バックには喜多郎氏の曲が流れていた。
ここは、シルクロードの世界でもある。
モンゴル帝国が滅びた後、中央アジアを統一したのはティムール(1336年〜1405年)であった。
ティムールは西は今のアフガニスタンから東は中国の新疆ウイグル自治区まで支配するティムール帝国を築いた。
都は今のウズベキスタンサマルカンドで青の都と呼ばれた。青はオアシスの水の色である。
モンゴルのチンギス・ハーンは破壊し、ティムールは建設したといわれる。
ティムール帝国は文字を持たない遊牧民族である。宗教は太陽神(土着信仰)であった。
ティムール死後、中央アジアトルコ語が入ってきて、宗教は土着信仰にイスラム教が混ざった神秘主義イスラムと呼ばれるようになった。
ティムール帝国が滅亡後、中央アジアの国の多くは、19世紀に北からのロシア帝国に征服され、ロシア革命後はソビエト連邦下の共和国となった。東のウイグル地区は中国の新疆ウイグル自治区となった。
ソビエト連邦が崩壊した後で独立した中央アジアの国は、ウズベキスタンカザフスタンキルギスタジキスタントルクメニスタンなどである。
チェチェン共和国と、その周辺の共和国も独立しようとしたが、ソビエト連邦が崩壊した後のロシアに弾圧された。
地図で見るとチェチェン共和国は回りを独立できなかった共和国に囲まれている。
2003年、モスクワ野外コンサート会場爆破事はチェチェン独立派が関与しているといわれている。
8月26日のニュースでチェチェン共和国内での自爆テロで警官4人が死亡したことが出ている。毎日のように紛争が起きている。
なぜ、ロシアとチェチェンは紛争を起こすのか。
ロシアが独立を認めない理由の一つにロシアの石油パイプラインがチェチェンを通過しており、もしチェチェンの独立を認めてしまえば、この石油パイプラインの利権が無くなってしまうからというのである。しかし、石油パイプラインなどチェチェンを通らず、迂回させてしまえばいいことである。
中央アジアは、ティムール帝国で繁栄した。ティムール死後、この中央アジアは「神秘主義イスラム」の世界になった。
アフガニスタンにしろ、チェチェンにしろ、中国の新疆ウイグル自治区にしろ、元々同じ民族なのである。
この人達に対し無理やり、他の民族が関わりを持とうとするところに紛争の原因があるのではないだろうか。