じじぃの「人の死にざま_32_杉田・玄白」

あの人に会いたい 杉田玄白 SPYSEE
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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
杉田玄白 (1733-1817) 84歳で死亡
江戸中期の蘭方医杉田玄白は古希を前に「養生七不可」という自戒の言葉を書きとどめた。
一、昨日の非は恨悔すべからず。
一、昨日の是は慮念すべからず。
一、飲と食とは度を過ごすべからず。
一、正物に非ざれば苟しくも食すべからず。
一、事なき時は薬を服すべからず。
一、壮実を頼んで房を過ごすべからず。
一、動作を勤めて安を好むべからず。
 (1、昨日の失敗は後悔しない。
  2、明日のことは心配しない。
  3、食べるのも飲むのも度を過ぎない。
  4、変わった食べ物は食べない。
  5、何でもないのにむやみに薬を飲まない。
  6、元気だからといって無理をしない。
  7、楽をせず、適当に運動をする。
 ) 
晩年に至っても彼は、雨の日も風の日も、日本橋の自宅から丸の内、深川あたりまでテクテクと往診に歩いた。彼は決して頑強でなく、むしろ虚弱の体質であったのに大長命を保ったのは、この緊張した摂生生活と、勤勉な運動のせいであったと思われる。
そして82歳で、若き日の、オランダ医書ターヘル・アナトミア』(解体新書)翻訳の苦心を回顧した『和蘭事始』(オランダ事始)を書いた。
その原本は彼の死後失われたが、ただ一部残っていた写本を、幕末に湯島の露店で洋学者神田孝平が発見し、福沢諭吉が一読し、『蘭学事始』として世に紹介する奇跡が生じた。82歳の人の著作で、後代これほど多数の人々を感動させた書物はない。
玄白は、内部に自虐的な一面はあるものの、結局は幸福な学者であった。この回顧録を絶筆のつもりで書いたのだが、さらに長命して、文化14年4月17日、84歳で眠るがごとき大往生をとげた。
彼の絶筆。
「医事は自然に如かず」

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杉田玄白肖像
http://www.wul.waseda.ac.jp/collect/b8/a252.html
杉田玄白の言葉
「昨日の非は悔恨すべからず。明日、これ念慮すべし」