じじぃの「人の死にざま_26_坂本・龍」

坂本龍馬 - あのひと検索 SPYSEE
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知ってるつもり?!坂本龍馬」 1/5 動画 YouTube
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知ってるつもり?!坂本龍馬」 4/5 動画 YouTube
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坂本龍馬とお龍 動画 YouTube
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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
坂本龍馬 (1835-1867) 32歳で死亡。 (一部抜粋しています)
慶応3年11月15日の夜、京都河原町三条下ル蛸薬師の醤油屋、近江屋の2階で龍馬は火鉢を中に客の同志中岡慎太郎と話していた。龍馬は風邪気味で厚着をし、その上寒い夜であったので、小僧にしゃもを買って来いと命じた。
それといれちがいに8時ごろ、十津川郷士と名乗る3人の男が訪れた。
龍馬の従者の相撲取り上りのの藤吉がその名刺をとりつぎ、部屋を出て来ると、3人の男はもう階段を上ってそこまで来ていて、いきなり藤吉に乱刃を浴びせた。
龍馬が何の騒ぎとも知らず「騒えな!」と土佐弁で叱りつけたとき、2人の刺客が躍りこんで来て「コナクソ!」と叫びながら、龍馬と中岡の頭部を割りつけた。
龍馬は背後の床の間の刀をとろうとして、また背後から袈裟がけに斬られつつ、刀はとったが抜くいとまもなく、鞘のまま渡り合い、中岡も大刀近くにおいていたので、脇差でこれまた鞘のまま防戦した。しかし、たちまち両人とも乱刃の下に倒された。
刺客たちは仕止めたと思ったのか、「もういい、もういい」といって、謡曲鞍馬天狗を口ずさみつつ悠々と立ち去った。
そのあとで龍馬は息を吹き返し、はじめて刀をぬいて行燈に照らし、残念、残念といいながら、階段のある隣室まで這い出したが「おれは脳をやられたからもう駄目だ」と微かな声でいってこと切れた。頭部の傷からは脳味噌が溢れ、血は階段から流れ落ちた。
中岡慎太郎も右手切断に近い重傷をはじめ11ヵ所斬られていたが、急を聞いて駆けつけた土佐藩士たちに遭難のようすを詳しく話し、2日後の17日の夕、絶命した。
この暗殺者は、清河八郎を斬った佐々木只三郎の手の者ではなかったかといわれるが、佐々木只三郎は、それから50日後の鳥羽伏見の戦いで傷つき、死んだので、この大型暗殺隊長の証言は得られない。
もう少し生かしておきたかった、と思われる人間は史上そう多くはないが、坂本龍馬はたしかにその1人である。

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【元気のでる歴史人物講座】(23)坂本龍馬 2009.6.10 MSN産経ニュース
■歌にも詠んだ尊皇の心
今日、最も人気の高い維新の志士、坂本龍馬は尊皇の心が深かった。坂本家は代々、国学神道、和歌を学ぶ伝統、家風があり、その感化を受けた龍馬の精神、行動の根本にあったのは、強い皇国意識、神国思想である。これが分からなければ、龍馬は当世風の民主主義者になってしまう。
和歌を愛し自ら詠んだ龍馬は、宗良(むねなが)親王後醍醐天皇皇子)が編纂した新葉和歌集を愛誦した。龍馬は手紙でこう書いている。
「新葉集とて南朝楠木正成公などの頃、吉野にて出来し歌の本なり。これがほしくて京都にて色々求め候えども一向手に入らず。かの吉村よりお借り求めされ、おまえ(坂本家の元お手伝い)のだんなさんにおん写させ、おん願いなされ、何とぞ急におこし下さるべく候」
新葉集は南朝天皇及び南朝に忠誠を尽くした人々の歌集で、志士たちの座右の書となったものである。
龍馬と志士たちが最も尊崇(そんすう)したのは楠木正成である。「月と日のむかしをしのぶ湊川(みなとがわ) 流れて清き菊の下水(したみず)(楠木家紋)」。龍馬の楠公(なんこう)仰慕の歌である。
「この数ならぬ我々なりと、何とぞして今上(きんじょう)様(孝明天皇)の御心を安めたてまつらんとのこと、朝廷というものは国(土佐藩)よりも父母よりも大事にせんならんというはきまりものなり」。この深厚な尊皇の至情の中に龍馬の真の姿がある。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090610/acd0906100802002-n1.htm
坂本龍馬と『竜馬がゆく (一部抜粋しています)
青春歴史小説である『竜馬がゆく』は、『坂の上の雲』と並んで紛れもなく司馬遼太郎の代表作である。この小説を人生の一冊として挙げる日本人は特に多く、また功成り名を遂げた政治家や経営者が後輩に薦める一冊としても、この作品が選ばれる場合が圧倒的に多い。戦後に生きた多くの日本人を魅了し、心を励まし続けてきた、まさに国民的な歴史長編と言える。司馬遼太郎が死んで8年になるが、死の当時は『この国のかたち』や『明治という国家』に司馬遼太郎の思想の完成形態を見て、そこに注目する意識が強かったが、時間が経過して、司馬遼太郎の存在が次第に身近な関心から離れて行くと、あらためて小説『竜馬がゆく』の偉大さと言うか、作品の巨大な存在感と永遠の生命力を思い知らされる。この一作が無ければ司馬遼太郎は国民的作家にはなれない。『竜馬がゆく』は司馬遼太郎の代名詞である。『坂の上の雲』ほどにも評価は分かれることはなく、最後まで司馬遼太郎の代表作として日本人に愛され続けることだろう。
http://www.geocities.jp/pilgrim_reader/hero/tosa_1.html
次回の知ってるつもり?!
2001/10/28 放送 新・坂本龍馬
http://www.ntv.co.jp/shitteru/next_oa/011028.html
坂本龍馬の言葉
「日本を今一度、洗濯いたし申し候」
「いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ」