じじぃの「未解決ファイル_01_インカ」

「科学の謎」未解決ファイル 日本博学倶楽部 PHP文庫 2008年発行 (一部抜粋しています)
全長100メートルを超える地上絵
南米大陸の国ペルーのナスカ平原の地上に描かれた巨大画には、上空から見ると、コンドル、ハチドリ、サル、イヌなどの鳥や動物、あるいは花などの植物をかたどったものがある。ほかにも、渦巻きや放射状の線、矢印のような三角形など幾何学模様もある。
東京23区ほどの面積のなかに700以上の地上絵が点在していて、大きいものでは全長100メートルを超え、世界遺産にも設定されている。描かれた時代は紀元前1世紀から紀元6世紀頃とされ、その時代にトウモロコシ栽培中心の農耕生活をしていたナスカ文明の遺物であると考えられている。
この謎の多い地上絵は上空からの写真でおなじみだが、実際はナスカ平原、といっても乾燥地帯だから半分は砂漠のような土地に、わずか20〜30センチ幅ほどの線で描かれているだけだ。ひと雨降れば洗い流されてしまいそうな線画が、この時代まで残されたのは、ナスカ平原が乾燥地帯だったからである。
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ナスカの地上絵はいったい何を意味している?
ナスカの地上絵には多くの研究者が興味を示し、絵が描かれた目的について、さまざまな説が挙がっている。
多くの地上絵のうち具象図は30点ほどにすぎず、ほかは幾何学模様であることから、天体運行との関連が考えられるとしたカレンダー説。その一方で、線の多くが山に向かってひかれていることから、山岳信仰の象徴だとする説もある。地上に引かれた線は、巡礼の際に歩く道だというのだ。また、宇宙人が描いたというSFじみた説もあるし、当時の人たちが気球に乗って上空から絵を見て楽しんだなどという説も真顔で論じられた。
そんななか、一番多くの研究者が支持しているのが、農耕儀礼説だ。乾燥地帯だけに、農業生活に必要な雨乞いの儀式用に描かれたという説である。地上絵のなかには、遠く離れたアンデス山脈に降った雨が、ナスカ平原で地下の伏流水となっている部分を指している地図と考えられるものもあるという。
近年になって、日本人文化人類学者のグループが、衛星画像から新たな地上絵を100点ほとみつけている。そのなかには豊穣祈願と見られる土器の絵らしいものや、人をかたどったものも存在するという。また、こうした発見より、ほかにも未発見の絵の存在する可能性が出てきている。新しい地上絵の発見が謎の解明に繋がると期待したい。

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NHKスペシャル 失われた文明 インカ 恩田陸 著、NHK「失われた文明」プロジェクト 著 NHK出版  (一部抜粋しています)
インカの声
インカが作り上げたタワンティンスーユは、特異な世界であった。キープの解読が待たれるが、国家に必要な情報処理体系をどのようにして築きあげ、それを活用していたのか、私たちはまだ理解することができないでいる。それは、この文明を担った人々が語り出す前に、彼らの文明が滅ぼされてしまったからである。私たちは、現代のことばでいう情報処理をはじめ、インカ文明のあり方、インカや中央アンデスの人々の基本的な考え方を、これから明らかにしていかなければならない。しかし同時に、私たちは、彼らが石器時代の道具しか知らなかったにもかかわらず、計算しつくされた正確さで、建築や品々を莫大な時間をかけて「几帳面に」作り上げたことを知っている。そこには、ヨーロッパに生まれた科学技術がつねに問題としてきた「効率」の概念はまったくないのである。
私たちは、彼らが大切にしたものは、近現代の人間が絶対的なものと考えている真や善でも美でもなかったことも知らなければならない。インカをはじめ中央アンデスの人々が大切にしてきたものは、自然の中にある異常性=ワカであり、ワカに対する「畏れ」であったと思われる。この畏れは、人間が自然を裏切らず、自然が人間を裏切ることがないようにという祈りに他ならなかった。そしてこの祈りこそ、インカ文明の基調低音であり、彼らがわれわれに語りかける声ではないか、と思われてならない。

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どうでもいい、じじぃの日記。
飛行機からでないと、識別できないナスカの地上絵が、2000年も前の人々に、どうして描けたのだろうか。そして、古代ナスカの人々が何のためにこんな巨大な絵を描いたのであろうか。
5/29、テレビ東京 【ミイラが暴く世界三大ミステリーツアー】を観た。
去年の2/2のTBS 【世界ふしぎ発見!】でもやっていたが、地上絵がなぜ描かれたかはナスカの人々が豊穣を祈願して、雨乞いのために作ったという説が有力である。
東金図書館から『NHKスペシャル 失われた文明 インカ』を借りてきた。
インカの写真が随分載っている。建物はほとんど石積みである。人々の住む家々の石積みはそうでもないが、ちょっと立派の建物の石積みは石と石の隙間がほとんどない。見事としかいいようがない。
インカ文明はスペインによって滅ぼされた。インカ文明の担い手であったろう神官がいなくなって、彼らの本当の考え方が封印されたままになっている。
彼らは文字を持たなかったと言われているが、文字を持たくても成り立っていた文明というのも不思議である。
初代のインカの王は「マンコ・カパック」という名前だ。何か、なつかしい響きがする。