じじぃの「人の死にざま_10_モディリアニ」

アメデオ・モディリアーニ - あのひと検索 SPYSEE
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Amedeo Clemente MODIGLIANI !!! 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=V9jRRNlkH38
『画家の妻たち』 澤地久枝著 (一部抜粋しています)
33歳になっていたアメデオ・モディリアーニが彼女とはじめて会うのはこの年の春、謝肉祭の期間である。そしてジャンヌの両親の反対を押し切り、2人は6月にいっしょに暮らすようになった。デッサン、油絵と、モディリアーニは誰よりも多くジャンヌの肖像を描いている。知りあって3年にみたない時間しかない結婚だった。
モディリアーニは、斜塔で有名なピサに近いリヴォルノ1884年明治17年)7月12日、ユダヤ系イタリア人として生れた。4人きょうだいの末っ子はとくに母親の寵児であり、子供のころの病弱は母の庇護をさらに厚くした。モディリアーニの才能の開花は早く、フィレンツェベネツィアの画塾で学ぶことを家族は支持した。一家は父親の代に没落したといっても、彼は生活苦とはあまり縁のない日々を送っている。パリへ出てくるのは22歳の1906年で、ジャンヌ・エビュテルヌと出会うまで、10年以上のパリ生活がある。
画家として認められる以前に、モディリアーニは酒びたりの生活、痲薬(ハッシッシ)、女から女へのボヘミアン生活を身につけていた。ジュラール・フィリップがモディリアーニを演じた映画「モンパルナスの灯」の印象は強いが、モディリアーニは伝説の人、神話の人にされるところがある。実際、酒、痲薬、女と条件はそろっていたというし、美男子であった。そして、芸術家として暁を見届ける前に貧困と失意のうちに死んでいる。
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1915年の終わりに、モディリアーニはベアトリス・ヘイスティングス(5歳年長の英国女性、詩人でジャーナリスト)との同棲を解消していた。彼のほうから別れたというより、はベアトリスがイギリスへ帰ってしまった。この恋愛は2年間つづき、ジャンヌ・エビュテルヌにつぐ数のベアトリスの肖像画が描かれている。
気どった女、あるいは、かわいい女のベアトリスが描かれ、いささか手ごわい才気を感じさせる彼女の肖像画も描かれている。
ベアトリスの肖像画にくらべて、ジャンヌ・エビュテルヌの肖像画はなんと物憂げでひかえ目なのだろうか。
1915年、36歳だったベアトリスの肖像画より、1918年の20歳前後のジャンヌの方が大人びてみえる。茶目っけいっぱいのベアトリスに対して、静かな、人生の涯をすでにみたというようなジャンヌがいる。前髪をあげてリボンで結んだジャンヌの肖像画だけは女子画学生としての面影を伝えているが、そのほかは、感情をみせない女性、そして妊った体型の女としてのジャンヌがいる。
それは、ごく自然なことかも知れない。
画商によって保護されたわずかな収入のほかは、経済的な目安のたたない生活、カフェで似顔を描き、1枚5フランで売ろうとしたといわれるモディリアーニのそばで、ジャンヌはモデルをつとめ、1918年3月、妊娠を両親に告げている。
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1919年の冬が訪れた。モディリアーニは母親に自分の写真を送る。夫婦の写真、そして赤ん坊の写真はとられた形跡がない。モディリアーニは春になったらイタリーに旅行し、そこで一時期を過ごしたいという希望を書いている。死はすぐ隣りに来ているが、その前に貧困が二人の結婚生活を無情に砕こうとしていた。
ある日、凍りつくようなアトリエでモディリアーニはベットに横たわり、かたわらに妊娠9ヵ月のジャンヌが腰かけているところへ友人たちがゆきあわせている。からになったワインの瓶と、開いたオイルサーディンの缶が散らばっていたという。
1920年1月24日夜、モディリアーニはパリの慈善病院で意識不明のまま亡くなる、死の瞬間にはジャンヌがつきそっていたと書かれた資料がある。
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モディリアーニ死すの知らせに、ローマに住む兄のエマヌエールは「王子のように葬られたし」と電報を打ってきたという。家族にさらに経済的支援を乞えば、もっと楽に生きることも可能だったかも知れない。モディリアーニの芸術家としての自恃は、自らそれを許さなかった。世間がこの優れた青年画家を理解し認めるまでに、なんと時間がかかったことだろう。
モディリアーニによる肖像画のあるズボロフスキーは、「今日(1月27日)、最愛の友アメデオは、皆の希望通りに多くの花に包まれて、ペール・ラシェーズの墓地に眠りました。現代のもっとも優れた芸術家のための感動的な勝利にも似た葬式にしました。星々の息子の彼には、この世は存在しなかったのです」と書いた。
モディリアーニのイタリア語の墓碑銘には、
「まさに栄光に届かんとするとき、死が彼を連れさる」
と刻まれているという。

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私の好きなもの: モディリアーニの恋人
以前もこのblogで書きましたが、モディリアーニは大好きな画家です。
正確には、その作品が、と言うべきでしょうか。
この新潮社の”とんぼの本”シリーズは、絵画・芸術について、コンパクトに纏まっていて、作品の写真も多く読みやすいです。
この本はタイトルどおり、モディリアーニと妻ジャンヌを中心に、更にモディリアーニの交友関係を軸に纏められています。
やっぱり好きです、モディリアーニの画。
静かに優しく自己主張しているから、でしょうか?
ピカソは、こういう風に静かに観ることは出来ません。その作品の持つ全てに圧倒されてしまう。
モディの画は、静かにそっと、そして自然に、私の中に入ってきてしまう。こちらを息苦しくさせることが無い。
人の少ない美術館で、ゆっくりと向き合ってみたいです。
『肩を出したジャンヌの肖像』がいいかな?
http://brilliant-sunrise.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-5a18.html
アメデオ・モディリアーニ Google 検索
http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8B++%E7%94%BB%E5%83%8F&um=1&ie=UTF-8&ei=3MCpS9y3I9KHkAWvy824BA&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBkQsAQwAA