じじぃの「ちょっとウクライナ」考

麻生首相ウクライナ首相と会談 民主化や経済発展に協力 2009年3月25日 毎日jp(毎日新聞)
麻生太郎首相は25日夜、同日来日したウクライナティモシェンコ首相と首相官邸で会談した。ウクライナ民主化市場経済の発展に日本が協力することで一致したほか、日本の環境技術の提供、金融分野の専門家をウクライナに派遣することなどで合意した。
両首脳は会談後、共同記者発表を行い、麻生首相は「自由と繁栄の弧の考え方に基づき、対話と協力が進展していることを歓迎している」と語った。ティモシェンコ首相は「自由と繁栄の弧の思想を両国でさらに確認し高めている。日本はウクライナにとって戦略的パートナーであり、近代化を手助けする最良のパートナーだ」と述べた。
ティモシェンコ首相は26日は与謝野馨財務・金融・経済財政担当相らと会談する。
http://mainichi.jp/select/world/news/20090326k0000m010102000c.html?inb=rs
ウクライナ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (一部抜粋しています)
東にロシア連邦、西にハンガリーポーランドスロバキアルーマニアモルドバ、北にベラルーシが位置している。
19世紀より産業の中心地帯として大きく発展。現在は、穀倉地帯(ヨーロッパの穀倉)として知られ、天然資源に恵まれ、資源(鉄鉱石・石炭)立地型の鉄鋼業を中心に重化学工業が発達している。ソ連時代にチェルノブイリ原子力発電所事故もあったが、現代でも原子力発電が盛んである。
歴史的・文化的には中央・東ヨーロッパの国々との関係も深い。キエフ大公国が13世紀にモンゴル帝国に倒された後は、独自の国家を持たず、諸侯はリトアニア大公国ポーランド王国に属しオスマン帝国クリミア・ハン国モスクワ大公国などと戦った。17世紀から18世紀の間にウクライナ・コサックの国家、ヘーチマン国家が存在したが、ロシア帝国が強大化し、滅亡させられた 。
第一次世界大戦後にウクライナが独立を宣言するが、その後内戦をロシアの赤軍が制し、ソビエト連邦の連邦構成共和国となる。1991年ソ連崩壊と共に独立を達成した。
経済
2005年、ユシチェンコ政権の成立後暗転し始める。それまでの好調なウクライナ経済は、ロシアからの安価なエネルギー資源および原料の供給、経済発展を続けるロシアや中国への輸出等によって支えられていた。しかしユシチェンコ大統領は就任直後、ロシアとは距離を置き、EUアメリカなどとの関係を強化する姿勢を示した。大統領はアメリカなど西欧諸国からの投資拡大を見込んでいたが、実際にはそれほど投資は増えず、逆にロシアからの安価な資源供給が受けられなくなり、またロシアに並ぶ輸出相手国であった中国の需要が減少するなど経済環境が悪化。
ロシアとの関係が急激に悪化し経済が失速する中で、特にウクライナ経済を牽引していた東部地域の住民を中心に、ロシアとの関係改善を望む声が急速に高まった。危機感を覚えた大統領はまずティモシェンコ首相を解任。ついでモスクワを訪問し、「ロシアは我々の永遠の戦略的パートナーだ」と発言するなど、ロシアとの関係修復に奔走した。しかし、ロシアとの関係のみが現在ウクライナの経済を低迷させている要因というわけではない。
影響
チェルノブイリ事故はその規模だけでも比較するものがない。商用発電炉の歴史で、放射線による死者が出たのはこれが初めてだった。
2000年4月26日の14周年追悼式典での発表によると、ロシアの事故処理従事者86万人中、5万5千人が既に死亡した。ウクライナ国内(人口5千万人)の国内被曝者総数342.7万人の内、作業員は86.9%が病気に罹っている。
周辺住民の幼児・小児などの甲状腺癌の発生が高くなった。
IAEAの記録によると、チェルノブイリ事故による放出は、広島に投下された原子爆弾リトルボーイ)の放射性の汚染の400倍多いが、20世紀中頃の大気圏内核実験で起こった汚染の100から1,000分の1だった。チェルノブイリ事故は局地的な災害であって、全地球的災害ではないということもできる。

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どうでもいい、じじぃの日記。
3月27日、産経新聞ウクライナ首相が講演」「近代化 日本はパートナー」が載っている。
ウクライナについてちょっと調べてみた。
ウクライナは、以前は「小ルーシ / 小ロシア」と称されていた。
ウクライナの国土面積は日本の約1.6倍で、人口は約4700万人、首都はキエフ(262万人)である。
1986年のチェルノブイリ原発事故で旧ソ連ウクライナに日本医師団が派遣された。
2005年に発足したユーシェンコ政権は、欧州連合(EU)加盟を掲げNATOに傾斜した。ロシア離れが進んでいることにいい気持ちがしないロシアは天然ガスの供給をストップさせた。
ウクライナの肥沃な農地を求めて世界中から資本が殺到し、各国資本による土地の奪い合いが起きている。日本はその競争に出遅れてしまった。
ウクライナの小学校で松尾芭蕉の『奥の細道』が、高校で川端康成の『千羽鶴』が教えられている。
ロシアの人が親日的ということは知っていたが、ウクライナの人はロシア人以上に親日的だとのこと。
ウクライナの人は日本の進んだ電気製品、車などにあこがれているようである。
トルコ人親日的なのと似ているのかもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/cool-hira/20090113/1231796510
主なウクライナの有名人。
大鵬幸喜:大相撲力士。 父親はウクライナ人のコサック、母親は日本人のハーフ。
セルゲイ・ブブカ:陸上選手。
セルゲイ・プロコフィエフ:作曲家。
ニコライ・ゴーゴリ:文豪 。
話変わって
3月27日 NHK BS、再放送であったがイラク帰還兵 苦悩の4年間」を観た。
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/080317.html
ジョージ・ブッシュ政権により、大義名分なきイラク戦争アメリカから派遣された最初の部隊は、2003年、イラクに上陸、バグダッドを進攻、数々の激戦を行い、2004年に本国アメリカへ帰還した。だが、帰国後、深刻な心的外傷後ストレス障害(PTSD)や体調不良が兵士を襲う。最初の帰還兵となった部隊の4人の若者が祖国に戻り、たどった4年間のドキュメンタリー番組。
地域社会に順応できず、恋人と別れたり、人生の目標を失って苦悩する過程を描く。
マシュー・ジャネット 不眠症に悩み、夢に出てくるのは死体だけ。子どもの指導をするうちに普通の生活ができるようになっていった。
アール・シモンズ モルモン教の布教活動をしていた。イラク戦争に行ったのは痩せたかったためだった。帰国後、幻覚をみるようになる。結局、布教活動ができなくなり、州兵になった。
クリストファー・ニブレイ イラク戦争に行ったのは国のために戦いたかったため。帰国後、誰とでも親しくなれない。アメリカの豊かさの中で生活ができない。アジアに向かう。
マーク・パターソン 人を殺したことに悩む。一方で、自分の戦争体験を否定する若者と合わない。自分の居場所が無い。再びイラクに駐軍する軍務につく。
アメリカはアフガニスタンイラクに150万人の兵士を派遣したが、3人に1人は何らかの精神的な後遺症をかかえている。
戦争は人を殺す。戦争体験はその後の人生に、大きな精神的な後遺症を与えるようだ。