じじぃの「失われた10年」考

日本の「失われた10年」を反面教師に 2/10 産経新聞 (一部抜粋しています)
オバマ米大統領は9日、ホワイトハウスで就任後初めて公式の記者会見を行い、10日に上院で採決される大型の景気対策法案の早期成立を訴えた。政権の最重要政策に掲げる景気対策で、オバマ大統領はバブル崩壊後の日本が陥った「失われた10年」に言及し、米国経済の危機的な状況を回避するために、大型の景気浮揚策を果断に進める決意を表明した。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/america/220648/
日本版Newsweek 2.18号 銀行国有化の反面教師ニッポン (一部抜粋しています)
金融救済策 アメリカが手本とすべきは迅速な対応で成功したスウェーデン
オバマ政権は近く、米金融業界に対する救済策を発表する。国民の関心は高い。救済策がどうあるべきか、納税者のほぼ全員が意見をもっているようにみえる。
いかなる救済策であれ、株式相場が上昇に転じるまで議論は終わらないだろう。だが90年代に銀行を国有化したスウェーデンと日本の例をみれば、救済策が有効かどうかの議論よりも、救済策をいつ行うべきかという問題が肝心だとわかる。救済が遅れれば遅れるほど事態は悪化する。
スウェーデンは素早く救済に動いて成功したが、日本は救済が遅れて失敗した。この例を教訓とすべきだとピーターソン国際経済研究所のアダム・ポーゼン研究員は言う。自己資本が不足した現行を国有化しなければ、経済全体に悪影響が及ぶ。
10年間に及ぶ日本の金融危機は、「恐怖」が引き起こした。サブプライム危機前のアメリカ同様、90年当時の日本の銀行は好調な経済に支えられ、信頼性の低い借り手にも強気の貸し付けを行っていた。反動を危ぶむ声など、非現実的な意見でしかなかった。
しかし90年代初めに株式と不動産のバブルが崩壊すると、債務の返済不能に陥る企業が続出した。
困窮した企業は破産を申し立てたり政府に返済期限の延長を申し入れ、大半は受け入れられた。
銀行の監督当局は問題を認識しながら、パニックの引き金を引くことを恐れ、静観の構えを崩さなかった。いつか市場が回復して債務が返済可能になることを祈っていたのだと、カリフォルニア大学サンディゴ校の日本専門家ウルリーケ・シェーデは言う。
だが、銀行は新規の融資を見合わせ、市場が好転することもなかった。銀行は株主のパニックを避けようと、保有資産の価値や融資先の信用度を水増しした。
企業が返済の先延ばしに走ったのは、政府の暗黙の了解の下に銀行が永久に下支えてくれるからと考えたからだ。銀行は株主と自己の保身のため、顧客がまだ生きているかのように振る舞った。
日本政府が懸念したのは、資産の再評価が「銀行による不良債権の投げ売りを進め、大量の不動産の売却で地価がさらに下落、不良債権が増加する」ことだったとシェーデは言う。早い段階で銀行を国有化すれば、政府は段階的に不良債権を処理できたはずだ。
日本政府が銀行の国有化を進めて不良債権の処理を始めたのは、危機が顕在化してから5年後のこと。この遅れが10年に及ぶ経済の停滞と信用収縮につながった。
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日本とスウェーデンの対応を研究したノルウェー中央銀行のクノート・サンダルによるとスウェーデンは「盗人に追い銭」を与えるようなことは許さなかった。日本のように債務の返済を先延ばし続けることもなかった。
政府の素早い対応により、銀行が当座の現金を得るために優良な資産を売却することを防げた。優良な資産を売却すれば銀行の健全性はさらに損なわれ、市場に大量の資産があふれて優良資産までが値下がりする危険性もある。アメリカのこの点に注意が必要だ。スウェーデンは迅速さで成功し、日本は待ちの姿勢で失敗した。

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どうでもいい、じじぃの日記。
日本版Newsweek銀行国有化の反面教師ニッポンが載っている。
この記事の中で日本の「失われた10年」で日本政府が銀行の国有化を進めて不良債権の処理を始めたのは、危機が顕在化してから5年後のことと書かれている。
失われた10年」とはバブル景気が崩壊した後、1991年頃から2002年頃までの約11年の期間を指しているようだ。
バブル景気が崩壊した1991年〜1995年の歴代内閣を調べてみた。
宮澤喜一  1991年11月05日 〜 1993年08月09日
細川護熙  1993年08月09日 〜 1994年04月28日
羽田孜    1994年04月28日 〜 1994年06月30日
村山富市  1994年06月30日 〜 1996年01月11日
上記内閣が「不良債権問題」をちゃんと処理しなかったことが日本の「失われた10年」になったようだ。
宮澤元首相は、2003年の早稲田大学の特別講義で「不良債権問題を処理するため、政府が財務面で早期に処理しなければならなかった」ようなことを語っている。
失われた10年」を演出したのは、何もしなかった宮澤元首相だったのかもしれない。