じじぃの「歴史・思想_71_世界史大図鑑・リーマン・ショック」

Lehman Brothers collapse: What went wrong ten years ago?

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=01xYpDhYwGg

ドキュメンタリー映画『オキュパイ・ラブ』 Love is the Movement!

2011年9月17日、アメリカ・ニューヨークのウォール街において、「オキュパイ運動」が始まりました。
http://unitedpeople.jp/occupy/

『世界史大図鑑』

レグ・グラント/著、小島 毅、越前敏弥/訳 三省堂 2019年発行

アメリカの住宅ローン市場ではじまった危機が、世界の金融システムを崩壊寸前まで導いた 世界金融危機(2008年)

21世紀の変わり目には、世界不況の悪い徴候が見られた。低金利と規制のない信用貸しのせいで、多くの人が返済不可能な借金をかかえた。銀行、特にアメリカの銀行は、信用履歴が芳しくない顧客にも住宅ローンを提供した。これは「サブプライム住宅ローン」と呼ばれる。住宅ローンの返済が滞れば、家を差し押さえて買い値以上の値段で売却できると考えられていたが、それは住宅価格が上昇しつづけることが前提となっていた。
2007年には金利が徐々にあがって住宅価格がさがり、月々の返済ができなくなる人が現れはじめた。全米で住宅が差し押さえらえたが、銀行は大きな損失をかかえ、自分たちの金を取りもどせないのではないかと危惧した。

危機がヨーロッパへひろがる より

2007年8月、フランスのパリバ銀行が、サブプライム住宅ローン市場の影響て危機的状態にあることを明らかにした。銀行は何兆ドルもの金をリスクの高い住宅ローンに投機していて、それがいまや無価値になる可能性があった。パニックが起こり、銀行は互いの賃貸取引を停止した。イギリスのノーザン・ロック銀行は、すぐに使える現金が不足して、イギリス政府に緊急融資を依頼せざるをえなかった。
全世界で株価が急落しはじめる。2008年9月にはアメリカの住宅金融公社ファニー・メイとフレディ・マックが政府に救済されたが、有力投資銀行サブプライム住宅ローン市場へ深く関与していたリーマン・ブラザーズの負債はあまりにも大きすぎると考えて、救済しなかった。
金融市場の大混乱によって、ほとんどの西洋諸国で経済が深刻に悪化する。株価は急落し、政府支出が減って世界の貿易も縮小した。アイルランドがヨーロッパで最初に景気後退、経済悪化の時期に陥った。アイルランドでは国が破産寸前に陥り、政権が2008年10月に退陣した。アメリカ、中国、ブラジル、アルゼンチンなどの政府は、景気刺激策を講じて経済の梃入(てこ)れを図り、政府支出を増やして減税した。ほかの国々、とりわけヨーロッパは緊縮財政を選び、公的支出を凍結して増税した。こうした措置を受けて、抗議とストライキがヨーロッパ各地で見られるようになった。ポルトガル、スペイン、ギリシャは負債を減らすよう欧州連合EU)から圧力を受ける。EUは巨額の資金を投じて経済的に脆弱な国を支援し、ユーロ圏と共通通貨ユーロの価値を保とうとした。しかし経済危機の影響は甚大で、多くの人が家や仕事を失った。これは第2次世界大戦後の最悪の経済不況となった。

グローバル経済 より

世界経済は現在、かつてないほど開かれている。インターネットを利用すれば、世界のどこかで商品を注文し、わずか数日後に別の場所へ届けることができる。世界の貿易は地球規模のパートナシップによって成り立ち、多国籍企業が莫大な額の取引をしている。世界じゅうで人々が仕事を求めて都市へ移住し、都市化が進行した。
グローバリゼーションへしばしば向けられる批判のひとつに、一部の企業が利益追求のために安価な労働力を搾取し、非倫理的に行動しているというものがある。ほかにも、グローバリゼーションによって少数の個人が法外な富を蓄積し、格差が拡大したという批判もある。きわめて貧しい状態にとどまっている国もあり、たとえばサハラ以南のアフリカはうまく対処できずに取り残され、豊かな国に債務を負っている。
不況は昔からずっと起こっていたが、2008年から11年までの金融危機は少なくとも1929年の大恐慌以来最悪のもので、あるいは人類史上最悪の不況だったかもしれない。これは政府規制の広範囲に及ぶ失敗と、機関投資家による無謀な投資によって引き起こされた回避可能な惨劇だったと考える人が多かった。金銭的、財政的な刺激が大量に注入され、なんとか破局は免れた。
家庭と企業には大きな負債が残り、銀行家への怒りがひろがったが、これは銀行が比較的痛手を受けずに生き残ったと感じる人が多かったからだ。財政緊縮策が市民の不安をあおり、資本主義に反対するデモが見られた。「オキュパイ運動」がひろがって、ニューヨーク、ロンドン、フランクフルト、マドリード、ローマ、シドニー、香港で何万人もの人が行進した。金融関係者が世界不況の原因をめぐって議論を交わすなか、市井の人々への影響は甚大であとを引くものとなった。