じじぃの体内時計

『一年は、なぜ年々速くなるのか』 竹内 薫著 青春新著 (一部抜粋してます)
「年齢とともに詳細よりも全体を見るようになるという視点に関しては、前頭連合野の発達が大きく関係していると思います。
前頭葉は20代半ばまで発達する比較的成長がゆっくりな領域です。
年齢とともに前頭連合野が発達し、計画性や抽象性を発揮するのだと考えられます。
なので、左脳が衰えるからとか、左右両方とも衰えるからという理由ではなく、前頭連合野の機能が豊熟してくるから、と考えた方が自然な気がします。」
友人の脳神経科学者からの「前頭葉仮説」である。
前頭葉(前頭連合野)は、ようするにおでこの裏であり、そこには大脳の司令部が陣取っている。
その司令部が年々、経験を蓄積していった結果、細部にこだわって全体をないがしろにするような判断を避け、常に大局的な見地から行動できるようになるのだという。

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『老いの超え方』 吉本隆明 (一部抜粋してます)
老人は、精神的にもっと上のことを考えている。
つまり看護婦さんを起こしては悪い、申し訳ないと思っているのです。
しかし、何かを行おうという思いと、実際の運動性の分離がものすごく広がっているということなのです。
普通の年齢より広がっているというのが老人だと解釈できる。
これは極端になると、ものすごく食い違ってしまう。
これは意志力や精神の方向性と、実際の身体の動きというのが、老人のほうが間隔が広がって分離されていると考えたほうが納得できる。
今の病院では、なおさら食い違ってしまいます。
しまいには、これは駄目だと言って若い人と老人は分裂する一方ではないか、というのが僕の解釈です。
意志と実際の行動の分離が拡大することを鈍いと解釈すると、そうなってしまう。
そうでなくて、それは「超人間」的に分離したと解釈すると、両方で納得できるわけです。
音をなるべく立てないようにベットのそばに簡易トイレを持ってきて工夫しても、どうしても音を立ててしまいます。
それで看護婦さんは気づいて駆けつける。
「そんなに気にしなくてもいいですよ」と言ってもなかなか通じないのです。(笑)。

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どうでもいい、じじぃの日記。
夕方。ばばぁと団地裏の辻堂海浜公園内を散歩する。
公園内を通って海岸にでると伊豆半島のほうから夕焼けが雲と海を真っ赤に染めている。
「今日も無事一日過ごせたな」と言ったらばばぁに無視される。いつも同じことを言っているから。
じじぃはこの頃、一日がものすごく速く感じる。
子供とじじぃとでは体内時計が違っているのかしら。
子供の場合は時計がチクタク。チクタク。チクタク。と進み、じじぃの場合はチクタク。チクタク。チクタク。と進んでいたりして。
子供とじじぃとではアインシュタイン一般相対性理論により時間が違うんだなんて言われたらびっくりもんだな。
体内時計なるものは脳の中にあるのだろうか。
ネズミの場合は寿命が約3年、ゾウガメの寿命は約200年、人間の場合は約100年ぐらいか。
すべての動物の脈拍数は約15億回なのだという。
ゾウガメの時計はチ〜ク〜タ〜ク。チ〜ク〜タ〜ク。チ〜ク〜タ〜ク。と進んでいたりして。
竹内薫の『一年は、なぜ年々速くなるのか』を読んだ。
この本に「歳をとると時間が短くなる」にいくつかの説があるそうで、そのいくつかが紹介されている。
年相応に脳が進化しているからというのが有力だ。
どうも、老化ばかりが原因じゃないようだ。
吉本隆明の『老いの超え方』の中の「超人間」は脳が進化した最たるものなのかもしれない。
などと、思いながら今日も一日終わり。