じじぃの「人間らしさ・親指の骨格・嗅ぎタバコ入れ!面白い雑学」

Stone Age Hand Axe Shaped by Complex Brain

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kyiH1xtmN_w

Four giant stone hand axes were recovered from African lake


Giant stone-age axes found in African lake basin

SEPTEMBER 10, 2009 phys.org
A giant African lake basin is providing information about possible migration routes and hunting practices of early humans in the Middle and Late Stone Age periods, between 150,000 and 10,000 years ago.
https://phys.org/news/2009-09-giant-stone-age-axes-african-lake.html

『面白くて眠れなくなる解剖学』

坂井建雄/著 PHP研究所 2022年発行

PartⅢ 解剖学から見た人間のカタチ――「ビールジョッキ筋」を知っていますか より

●筋肉の「頭」と「尾」
肘は、曲げたり伸ばしたりすることが主な仕事です。ところが、肘の曲げ方にもいろいろな種類があって、それぞれで使う筋肉が異なります。一番わかりやすい運動は、力こぶをつくる動きで、このときは上腕の前面にある「上腕二頭筋」という大きな筋肉を使っています。
    ・
肘を曲げる力が必要なときには、いつも手の平が手前に向いているとは限りません。例えば、重いビールジョッキを持つときは、握りこぶしをつくって親指を上に向けています。このとき、上腕二頭筋ではなく前腕の上のほうの筋肉が固くなっています。これは「腕橈骨(わんとうこつ)筋」という筋肉です。
分類上は前腕の筋肉に含まれますが、上腕骨から始まって肘関節をまたぎ、腕橈の下のほうで終わっています。ですから肘を曲げるのに加えて、回外・回内の働きをするはずなのですが、腕橈骨筋が最も発揮するのは回外でも回内でもない、その中間的ポジションにあるときなのです。
それが、ビールジョッキを持つときの動きです。ですから「ビールジョッキ筋」と命名し、学生には覚えやすくしています。

●親指の付け根のタバコ入れ
手の解剖は、指の皮膚を1本1本剥がしていきますから結構大変で、特に手の平は皮膚が厚いので学生も難儀しています。
親指は特によく動かす指ですから、筋肉も特別です。手の平の親指の付け根あたりは、少しふっくらしていますね。ここを母指球といって、親指を動かす筋肉が4つ集まっています。
前腕の前面には親指を曲げる筋肉が1つ、後面には親指を伸ばす筋肉が3つあります。この3つの筋肉の腱は、手首のところで皮膚の上からでも確認することができます。
親指をグッと開いてみてください。そうすると、手の甲の親指の付け根のところに2本の腱が浮き上がって、その間に窪みができたのではないでしょうか。この窪みを「解剖学的嗅ぎタバコ入れ」といいます。
おかしな名前ですが、タバチエールとも呼ばれ、フランス語で「嗅ぎタバコ入れ」という意味です。昔の人は嗅ぎタバコを使っていたそうで、嗅ぐときに使う道具の形がこの窪みに似ていたことから名づけられたようです。
親指を動かすためだけに使われる筋肉は、母指球の筋肉4つのほかに、前腕にも4つあり、合わせて8つの筋肉が備わっているという実に贅沢なつくりになっています。

親指だけを特別扱いしているからこそ、人間は器用な手を獲得できたのです。

                  • -

どうでもいい、じじぃの日記。
棺桶に片足を入れながら、生きている。
死ぬ前に行って見たかった場所にエジプトのピラミッドがある。
約4500年前、146mの高さを誇るクフ王の大ピラミッドが完成した。
これを現場で指揮したのは神官といわれるが、彼らは現代でも立派な建築士だろうと思われる。
一説には、人間は約100万年前から脳の大きさは現代人と変わっていないのだという。
人間が火を使ったという痕跡は約60万年頃のものしか見つかっていないが、約150万年前から火を使って調理をしていたと思われる。
石器を使い肉をさばいていたが、石器は100万年前にはより洗練されたハンド・アックス(握斧)などに変わっていった。
手の親指も石器の作りかたの多様化に伴い、変化した。
彼らのコミュニケーションはゼスチャーで行われていたが、この頃 脳の大きさがほぼ決まった。
じじぃはウソばっかりとか。
トホホのホ。

じじぃの「科学・地球_440_アルツハイマー征服・さらばデール・シェンク」

What Is Alzheimer's Disease?

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7_kO6c2NfmE

Alzheimer’s Immunotherapy Pioneer Dies


Alzheimer’s Immunotherapy Pioneer Dies

Oct 11, 2016 The Scientist Magazine
Dale Schenk, who worked to develop a vaccine for Alzheimer’s disease, has passed away at age 59.
https://www.the-scientist.com/the-nutshell/alzheimers-immunotherapy-pioneer-dies-32714

アルツハイマー征服』

下山進/著 角川書店 2021年発行

第20章 さらばデール・シェンク より

  エラン崩壊後、医療ベンチャーで再出発した天才デール・シェンクに病魔が忍び寄る。すい臓がんにおかされた最後の日々に、アデュカヌマブの治験成功のニュースが入る。

すい臓がんを公表する

ハーバード大学のデニス・セルコーはアセナ・ニューロサイエンスをつくった学者だ。1987年サンフランシスコ国際空港のカフェでデールを面接して、2番目の社員にした。
それ以来、エランの時代も苦楽をともにしてきた。デールがプロセナを起業すると役員になることを引きうけていた。
デールから電話がかかってきたのは、デールがすい臓がんという診断をうけてすぐのことだった。セルコーも医者なので、すい臓がんという診断が重い事はすぐわかる。言葉にならなかった。
デールの希望で、まずプロセナの役員会で、情報の共有が図られた。
    ・
ドラ・ゲームスやピーター・スーベルト、リサ・マッコンローグらかってのアセナ・ニューロサイエンスの研究者たちは、この公表をもってデールの病気を知った。
マッコンローグは母親をすい臓がんで2001年に亡くしていたので、この病気のことをよく知っていた。すい臓がんは見つかりにくいため、発見された時点では他に転移していることが多い。診断された患者の5年生存率はわずか6パーセントだ。
デールは抗がん剤の科学療法をうけて、髪がすべて抜け落ちた。そのつるつるになった頭で地元紙のインタビューに応じて、この病気の死亡率が94パーセントであることについて聞かれた。
「僕は統計には興味がない。何が効くのかに興味がある」
CEOの仕事も続けた。
プロセナ自体は小さな会社だったので、アルツハイマー病の治療薬の創薬はできなかった。だが、自分が蒔(ま)いたワクチン療法の療法の種がどう芽吹いていくのかには、関心をよせていたのである。
AN1792(アルツハイマー病ワクチン)の治験の失敗から生まれた「自然抗体」BIIB037(アデュカヌマブ)フェーズ2の治験が進んでいた。

アデュカヌマブに効果あり

バイオジェン社はケンブリッジに本社がある。チャールズ川を隔ててボストンの対岸の街だ。アル・サンドロックは、そのバイオジェン社を出て、夕食をとろうと、メインストリートを愛用車で足っていた。2014年11月だから、デールの病気が公になる1ヵ月ほど前のことである。
電話が鳴った。
治験の責任者のジェフ・セビニーからだった。
「アル、アデュカヌマブのフェーズ2の結果がいくつか入ってきた。話せるか?」
「ちょっと待って車を止めるから」
アルは、結果がいいものであろうと、悪いものであろうと、驚いて事故を起こさないようにと、路肩に車を止めた。
「OK。車を止めたから大丈夫。話して」
「アミロイドを除去しただけではない。認知機能の面でも効果がある。MMSEでもCDRでも結果が出ている!」

AN1792もバピネツマブもアミロイド班を除去できたことは確認できたが、肝心の認知機能の面で、プラセボと変わりがなかった。つまり効果がなかった。
抗体薬の治験で、われわれは初めて認知機能の面で、治験の最初に設定されたMMSEとCDRのふたつの目標値を達成することができたのだ。
アルはジェフの話を聞きながらぞくぞくするような興奮を感じていた。
フェーズ2のデータがすべて入ってくると、翌年3月にフランスのニースで行われる国際的なアルツハイマー病の学会AD/PDで、その結果を公表することにした。

This is what supposed to be

2015年3月のニースの会議には、デニス・セルコーやUCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)に教授の職をえていたリサ・マッコンローグも参加していた。バイオジェンのセッションは人気のセッションだった。
そこで、バイオジェンのジェフ・セビニーからアデュカヌマブの治験の結果が発表されると、場内はどよめく。
プラセボ、1、3、6、10ミリグラム各30人が、4週間に1回、52週にわたって投与をうけた。半年でアミロイドの集積が減り、1年で高用量の投与をうけた患者は、MMSEやCDR-SBなどの認知の検査でも有意な効果が出た――。
AN1792以来、失敗を続けてきたワクチン・抗体療法の治験で、初めて認知機能の面での効果が認められたのだった。
リサはすぐにニースからサンフランシスコにいるデールに電話をする。留守番電話にそのことを吹き込んだ。
デニス・セルコーの電話がデールにはつながった。デニスの報告を聞くとデールは満足そうにこう言ったのだという。
「ほら言った通りだろう。これが本来の結果なんだ(This is what supposed to be)」
サンフランシスコの自宅でデールはこのニュースを妻のリズにも伝えている。
リズは、デールが自分で切り開いたワクチン療法からの果実が他の製薬会社にとられることになったことに複雑な思いをしていた。デールがいま不治の病と戦っていればこそなおさらその思いが募った。思わず「悔しくはないの?」と聞いた。
デールは、ニコニコしながらこう答えたのだった。
「本当は嬉しいんだ。自分が信じていたことが、たとえ他人の手であれ実証されたのだから。何よりも患者とその家族にとっていいニュースだ」
デールは病気にあってもなお、前を見ていた。毎日プロセナに出勤し、指揮をとった。

ある静かな朝に

誰もがデールを死ぬとは思っていなかった。本人もそうだったかもしれない。
痛みが激しくなってきて、緩和ケアをうけることになった。担当医が高名な医者だったためか、実際に緩和ケアを施そうと病室にやってきたのは、若い医師だった。
その若い医者は、デールを見てこう言った。
「短ければ2日、長くともあと2ヵ月しか生きられない。その期間安楽に過ごせるように緩和ケアをしましょう」
「いや、そんなことはない。自分は大丈夫。ここからは出る」
こう言って、本当に病室を出て家に帰ってきてしまった。
翌日、終末ケアを行うためのホスピス医が家にやってきて、腹水をとったあとに、モルヒネなどで緩和ケアを施していった。
最期の時が近づいていた。
リズは前妻との間の娘2人も家に呼び寄せていた。
いつもと同じように、夫婦は一緒のベッドで寝た。緩和ケアを施したデールはよく眠っていた。
おやすみなさい。デール。
このようにして最後の夜を夫婦は過ごした。
翌日、リズが目を覚ますと、デールの体は冷たくなっていた。朝、まずデールがかわいがっている犬が部屋に入ってきた。デールに鼻をよせたが、冷たくなっているのを知ると、ポロポロと涙を流した。リズはその涙を見ながら、犬も涙を流すのかとぼんやり考えていた。
ついで、2人の娘と息子たちが寝室にひとりずつ入ってきて、冷たくなったデールと最後の時を過ごした。
2016年9月30日の静かな朝の出来事だった。
享年59歳。
デール・シェンク死亡のニュースは、またたくまに世界中のアルツハイマー病の研究者の間をかけめぐった。
    ・
東京大学で井原康夫のあとを継ぎアルツハイマー病研究を続ける岩坪威は、デールと家族ぐるみでつきあったが、デール死亡の報を聞き、抗体薬が承認されれば、デール・シェンクはノーベル賞だってとることができたのに、とその死を惜しんだ。

じじぃの「人間らしさ・献体・死者の世界!面白い雑学」

Gobekli Tepe │What happened 12,000 years ago?

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_2KZfjH0nyo

“Gobeklitepe” by Klaus-Peter Simon


ギョベクリテペ遺跡 ・ギョベクリ・テペ(文化遺産:2018年)

ターキッシュエア&トラベル
●ギョベクリテペは世界最古の遺跡
ギョベクリテペ遺跡は、放射性炭素年代測定による調査の結果、地球上で最古の高度な文明であるといわれていたメソポタミア文明よりも、7,000年も古い文明の遺跡であることが判明しました。
一番古いものは今から1万2,000年前に建造されたものとして認められています。エジプトのピラミッドでさえも7,000年前の建造物であることから、かなり昔に建造されたものであることがわかるでしょう。
https://turkish.jp/spot/%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%83%99%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%9A-%E6%96%87%E5%8C%96%E9%81%BA%E7%94%A3%EF%BC%9A2018%E5%B9%B4/

『面白くて眠れなくなる解剖学』

坂井建雄/著 PHP研究所 2022年発行

PartⅡ 解剖学の歴史――献体のはじまり より

献体を申し出た最初の女性

明治時代になって、政府はドイツ人教師を雇って大学東校(現在の東京大学医学部)で西洋医学の教育を始めました。当初は解剖する遺体がありません。人体解剖は医学の基礎となる重要な事柄ですが、これでは解剖実習が行えないため、医学教育にも影響が生じます。
そんな中、美幾(みき)という重病の女性が大学の関係者から勧められ「自分が亡くなったら解剖して構わない」と遺言を残して息を引き取りました。1869年に国内初となる刑死体以外での解剖が東京大学で実地されたのです。
これがきっかけとなって政府も人体解剖を認め、刑死ないし獄中での病死で身寄りのない人のほかに、養育院での病死で身寄りのない人と、獄中での病死で身寄りのない人のほかに、養育院での病死で身寄りのない人と、解剖の許される範囲が徐々に広まっていきました。それでも、明治から第二次世界大戦までは、病死体の解剖については法的規定がないために、各大学の解剖学教室は解剖体を手に入れるのに苦労していたのです。
そのときの様子が、東京大学の解剖学教室で長年書かれてきた『屍体に関する記事』という微忘録に残されています。それによると、解剖体が足りないために養育院で亡くなった身寄りのないご遺体を、内密裏に分けてもらって解剖を行っていたと記されています。オープンにはできませんので、顔を傷つけず、体に外見上の欠損をつくらないという配慮をしながら解剖を行ったということでした。
たまに、いないはずのご家族が現れることがあり、怒鳴り込まれたときには教授が事態の収拾を図るために奔走して大変だったといいます。
戦後間もなくして、「大学等へ死体交付に関する法律」が公布・施行されて、医学および歯学の教育のために大学の長から要求があった場合は、都道府県知事はご遺体を交付できるように定められました。

献体運動の推進

解剖体の不足は、医師たちだけでなく、医療によって救われた人にとっても他人事(ひとごと)ではありませんでした。それを憂えた人たちの中から、自分の死後に体を医学教育に役立てることを思い立った人が現れたのです。彼らが大学に申し出たきっかけとなり、献体運動が起こりました。
献体運動は全国に波及して献体団体が結成され、1971年には篤志解剖全国連合会が設立されました。互いに連携を密にしながら、ご遺体の受け入れ機関である大学との交流を図るとともに、献体運動の推進を行ったのです。
    ・
かつては医学のためとはいえ死後の体を解剖されることは、懲罰的で残酷なことでした。しかし、篤志家が自らの体を提供することを申し出て、その献体の志を熱く語ることによって、解剖のためにご遺体を提供することは人間として誇れる行為であることに変わったのです。そして、現在は普通の人が、自然な気持ちで献体を申し出てくださるようになりました。

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どうでもいい、じじぃの日記。
棺桶に片足を入れながら、生きている。
死ぬ前に行って見たかった場所にエジプトのピラミッドがある。
約4500年前、146mの高さを誇るクフ王の大ピラミッドが完成した。
これを現場で指揮したのは神官といわれるが、彼らは現代でも立派な建築士だろうと思われる。
一説には、人間は約100万年前から脳の大きさは現代人と変わっていないのだという。
6万年前頃(出アフリカ)に、人間のコミュニケーションの方法はゼスチャーから会話へと移行したのではないか。
それでは、人間はいつ頃から、宗教的な行いをするようになったのか。
なんとなく、『旧約聖書』創世記の舞台ができたのは、今から2万年前頃ではないか。
トルコのギョベクリテペは世界最古(1万2,000年前)の宗教遺跡といわれるが、イスラエルとかシリアにも同じような遺跡が存在しているらしい。
この頃、死者の世界との交わりを含めて、宗教が成立したように思う。
じじぃはウソばっかりとか。
トホホのホ。

じじぃの「科学・地球_439_アルツハイマー征服・アデュカヌマブの発見」

【解説】効果は?承認は?アルツハイマー病の新薬“アデュカヌマブ”

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IsDNYq9cpkI

アデュカヌマブが米食品医薬品局(FDA)に承認された


ついに米国で承認されたアルツハイマー病「根本治療薬」

2021年06月10日 朝日新聞社の言論サイト
アルツハイマー病の「根本治療薬」と位置づけられる「アデュカヌマブ」が米国食品医薬品局(FDA)により条件付きで承認された。患者の脳にたまる「アミロイドβ」と呼ばれるたんぱく質を減らす効果が認められた初めての薬である。
不治と言われてきたアルツハイマー病が治るようになるのか、と期待した人は多いだろう。が、事はそう簡単ではない。これは初期段階、つまり「まだあまり困っていない段階」に使う薬である。認知機能が明らかに衰えたアルツハイマー病患者は対象ではない。
果たしてあまり困っていないときに薬を使う気になるだろうか。しかも高価と来ている。医療経済からはどう評価すべきなのだろう。そもそも、早め早めの検査は望ましいことなのだろうか。悩みを増やすだけにならないのだろうか。
https://webronza.asahi.com/science/articles/2021060900005.html

アルツハイマー征服』

下山進/著 角川書店 2021年発行

第18章 アデュカヌマブの発見 より

  バピネツマブの失敗を注意深く見ていた「ドラッグハンター」がいた。バイオジェン社のアル・サンドロック。アルは、「自然抗体」の治験を、バピを他山の石として設計する。

デール・シェンクは、バピネツマブのフェーズ3の結果がわかる数年前に、同じ敷地内に子会社のネオトープという会社を設立、そこにピーター・スーベルトやドラ・ゲームスを移していた。
シェンクはエラン社が開発拠点を閉鎖するとアナウンスしたあと、しばらくは小会社のネオトープの運営をすることになっていた。
が、ここでできるプロジェクトはごく限られている。そのごくわずかのプロジェクトに残るための面談も、エラン社では行われたが、多くのプロジェクトが開発拠点の閉鎖とともに、中止になった。
シェンクは、2012年12月には完全にエランから離れ、プロセナという医療ベンチャーを立ち上げることになる。その立ち上げに、右腕だったピーター・スーベルトやドラ・ゲームスはぜひとも参加してほしい仲間だった。
実際に何度も誘ったが、ピーターもドラも首をたてにはふらなかった。ピーターはこの時まだ56歳だったが、すでにやりきった、という重いがあった。退職のパッケージをとり、引退する。ドラもまだ57歳だったが肝臓に問題をかかえていたために、引退を決意する。
リサ・マッコンローグは、エラン社の開発拠点の閉鎖を最後まで見届けるチームにいた。
エラン社、AN1792(アルツハイマー病ワクチン)の失敗と会計スキャンダルの後、自分たちだけで薬を開発する力を失い、多くのプロジェクトを共同開発した。開発拠点の閉鎖にともない、400はある冷凍庫を整理しカタログをつくり、それぞれのパートナーに送らなければならなかった。
しかし、その作業は気の渡欧なるような作業だった。何しろ、冷凍庫の中身を知っている各プロジェクトの研究者は1人去り、2人去り、ほとんどがいなくなっていた。人影少なになったラボで残った12人はその作業を続けた。
リサは、1人またひとりアセナ時代からの科学者たちがちりぢりになっていくのを見ながらこんなことを考えていた。
    ・
ラエ・リンは、2012年には、SRIインターナショナルをやめていたが、まだ適切なアドバイスができる状態を保っていた。リサは、ラエ・リンに相談する。
ラエ・リンはひととおり話を聞くとこう言った。
あなたは科学から離れてはいけない。科学は私たちの全てだ」
リサはその言葉にはっとする。
UCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)は、ビル・ラターという偉大なメンターのもの、遺伝子工学で最先端をいった大学だった。競争は厳しかった。厳しかったが、常にフロンティアを求めるその気概は、自分たちの血となっていた。そう科学は単なる職業ではない。私たちにとって天職なのだ。
「科学に携わることなく家でじっとしていなくてはならないことほど辛いことはない」
ラエ・リンは絞りだすようにして言った。
リサは、UCSFに学者として戻ることを決意する。
まだ、自分は終わっていない。

「自然抗体」をとる

ここで時計の針を戻して、チューリヒ大学でのAN1792の治験の時の話に戻ろう。
すでに第10章の終わりで、チューリヒ大学のこの2人が、AN1792を投与した30人の患者の追跡調査をした話は書いている。
投与後1年にわたる調査で、2人は、抗体を生じなかった10人の患者からも脳炎が発症していたことから、副作用はワクチンの自己免疫疾患の可能性があると考えたのだった(『ネイチャーメディスン』2002年)。さらに抗体を生じた20人は、抗体を生じなかった10人にくらべて、その後も認知機能の衰えがなかった、という調査結果も報告していた(『ニューロン』2003年)。
ここから、チューリヒ大学のロジャー・ニッチとクリストファー・ホックの2人は独自の抗体薬探しを始めるのだが、その方法がユニークだった。
Aβは、脳内だけに生まれるわけではない、体のいたるところで、Aβが生じていることを、デニス・セルコーが明らかにしていたことはすでに書いている。それに対する抗体もまた自然発生的に生まれていることも、わかっていた。さらに、2005年には、ハーバード大学ロバート・モイヤーとルドルフ・タンジが、アルツハイマー病の患者には自然発生の抗体が少ないことを発見し、発表していた。
これらの論文に、ロジャー・ニッチとクリストファー・ホックは注目したのである。
「自然発生の抗体」。そう人間は誰でも自然に、APPから切り出されてAβが出てくる。それに応じて自然発生的に抗体も生まれていたのである。
わざわざPDAPPマウスから抗体をとって、それを「ヒト化」せずとも、人間に自然発生している抗体を薬にしては駄目だろうか。そうした抗体を生じている人はアルツハイマー病になりにくいのだから。
チューリヒ大学の付属病院で、患者を長年にわたって見てきたホックには、1000以上の検体があった。そのなかから、アルツハイマー病のリスクファクターが高いにもかかわらず、発病していない人、もしくは発病しても、状態を維持している人を探す。そうした人は強い抗体をもっているはずだ。
マウスを使ってつくる人工的な抗体の場合「ヒト化」した時に、脳のAβ以外にくっついてしまうことがあった。これが効率を落としていると考えられた。
しかも抗体をつくる際に、Aβのモノマーに対するものがいいのか、トライマーがいいのか、オリゴマーがいいのか、はたまたベータシート構造をとったアミロイド班に対するものがいいのか、これは治験をやってみなければどれが効くのかはわからない。
しかし、自然発生の抗体であれば、人間が200万年の進化でなかでつくりあげてきた免疫システムが選んだ抗体であるから、ピタリともっとも有害なものにくっつき無力化するのではないか。
モリーBセルから抗体をスクリーニングしていくシステムは、Reverse Time Migration (RTM)と名づけられる。RTMを使うことで、白血球からの遺伝情報を、それに対応する抗体に翻訳することができる。
このRTMを使って探し出したのが、BIIB037、後のアデュカヌマブだったのである。
その発見は、2006年の12月。

フェーズ2開始

ニューリミューン社とバイオジェンはバピネツマブの失敗から学んでいた。
エラン社の治験が失敗したのは、まず患者の選定を誤っていたからだ。PETがまだ十分に普及していない時期に始めた治験だったために、治験に入るか入らないかは、問診によって決められていた。つまり本当にアルツハイマー病の患者かどうかは、PETをとっていないのでわからないのである。2割から3割はアルツハイマー病以外の患者がエンロールしたと考えた(実際、2015年に発表だれたバピネツマブの治験の追跡調査で、3分の1の被験者がPETをとらずに治験に入っていたことがわかっている。AN1792にいたっては1人もPETをとっていない。2019年7月に発表された14年後の追跡調査では、22人のうち5人の症状は、アルツハイマー病以外の病気からきていたことがわかっている)。
    ・
このようにして、PETによって選ばれた165人の患者が参加するフェーズ2の治験は、2012年10月から、アメリカの33の施設で行われることになったのである。
それはバピネツマブがフェーズ3で失敗した2ヵ月後のことであった。
アデュカヌマブ(Aducanumab)の名前は、ニューリミューン社社のロジャー・ニッチとバイオジェン社でつけた。3文字目のUは自分たちのいるZurichのUから。4文字目と5文字目のCAはバイオジェン社のあるCambridegeから。そして最初のADはアルツハイマー病(AD)とその最初の患者であるアウグステ・Dからとった。
ロジャー・ニッチはアロイス・アルツハイマー博士が100年前にこの病気を発見したドイツの出身だった。
アデュカヌマブこそがアウグステ・Dから連綿と続く患者と家族の苦しみを止めるのだ。

じじぃの「上海協力機構・プーチン×習近平会談・中露接近の思惑と本音とは!プライムニュース」

プーチン×習近平 対面会談 ロシアの思惑と中国の本音 【前編】

動画 fnn.jp
https://www.fnn.jp/articles/-/418528

【解説】プーチン大統領が「中国に忖度」か 習近平国家主席との「すれ違い」 ロシアウォッチャーが読み解く中ロ首脳会談(2022年9月16日)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=hDTKEpzxFnc

プーチン×習近平 対面会談 ロシアの思惑と中国の本音 【前編】

https://mobile.twitter.com/JDWorldBriefing/status/1570633273822564354/photo/1

習近平国家主席プーチン露大統領と会談

2022年9月16日 人民日報
習主席は「中国はロシアと互いの核心的利益に関わる問題で力強く支持し合い、貿易・農業・コネクティビティなどの分野で実務協力を深めることを望んでいる。双方は上海協力機構 (SCO)、アジア信頼醸成措置会議(CICA)、BRICSなど多国間枠組みで協調と協力を強化し、各国の団結と相互信頼の増進を後押しし、実務協力を拡大し、この地域の安全保障上の利益を守り、数多くの発展途上国新興国の共通利益を守る必要がある」と強調した。
http://j.people.com.cn/n3/2022/0916/c94474-10147945.html

プライムニュース 「プーチン×習近平会談 中露接近の思惑と本音 対米姿勢の相違点とは」

2022年9月16日 BSフジ
【キャスター】長野美郷、反町理 【ゲスト】佐藤正久(元外務副大臣)、宮本雄二(元駐中国大使)、廣瀬陽子(慶應義塾大学総合政策学部教授)
ロシアの軍事侵攻後、対面では“初”となる中露首脳会談の実施。欧米と対立するプーチン大統領の中国への接近が意味するものとは…
一方、台湾問題で米国と対立する習近平国家主席はロシアとの関係を内外にどうアピールするのか…
中露首脳が会談で交わされた言葉を徹底的に分析、対米姿勢では足並みが揃っているように見える中露双方の内情と“思惑のズレ”を専門家とともに読み解き、日本が取るべき戦略と対中・対ロ姿勢を問う。

プーチン×習近平・対面会談 ロシアの思惑と中国の本音

きのう、ウズベキスタンで行われたウクライナ侵攻後初めてとなるプーチン大統領習近平国家主席との会談について検証する。

中国とロシアの首脳会談では、台湾情勢とウクライナ危機を巡り、米国に対して結束を誇示した。
今年の2月の段階では、「両国の友情に限界はない」という共同声明を出したが、今回プーチン大統領は「ウクライナ危機に関する中国のバランスのとれた立場を高く評価する」と述べ、習近平国家主席は「双方の核心的利益に関わる問題で、互いに力強く支持する」と強調している。
プーチン大統領は「ウクライナ危機に対する中国の疑問や懸念は理解している」と発言。
   

反町理、「これは人民日報の記事ですが、どの辺がポイントなんですか」

宮本雄二、「紙面上段の写真を見ればこれはほとんどウズベキスタンとの会談です。習近平が握手している相手はウズベキスタンです。右に習近平プーチンの写真があるが握手していない」
反町理、「これは中国から見た序列なんですか」
宮本雄二、「これが中国当局が人民に伝えようとしたメッセージ」
佐藤正久、「会談が行われた順序はカザフスタンウズベキスタンキルギスタントルクメニスタンパキスタン、モンゴル、次いでロシアです。中央アジアの国々と終ってからロシアなんです。この中国のいやらしさ。ウクライナ侵攻で失った中国の一帯一路の信頼を今度は中央アジアに移している」

【提言】 「日本が描くべき”対中・対露”戦略は」

宮本雄二 「普通の外交を!」
 普通の外交とはしたたかな外交のこと。
廣瀬陽子 「中ロの狭間の国々へのアプローチ」
 中央アジアはロシアと中国の奪い合いの場になっている。しかし中央アジアの国々はロシアにも中国にも取り組まれたくない。こういう国々にアプローチして間接的のロシア、中国に刺激を与えていく。
佐藤正久 「JAUKAS 6EYES + TPP IPEF」
 安全保障面ではAUKAS(米国+英国+豪州)に日本が入る。Five Eyesに日本が入る。経済面ではTPP、IPEF(インド太平洋経済枠組み)を使いながら進める。
https://www.fnn.jp/subcategory/BS%E3%83%95%E3%82%B8LIVE%20%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9

じじぃの「科学・地球_438_アルツハイマー征服・Osaka変異」

【老いるショック】認知症アルツハイマー認知症とは?進行を遅らせるには 2016年5月2日放送

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RxWLW5QnkDU

Osaka変異患者のアミロイド・イメージング


研究紹介 アルツハイマー病とは

大阪公立大学大学院 医学研究科 認知症病態学
●Osaka変異の発見
アルツハイマー病は、可溶性Aβオリゴマーによるシナプス機能障害で始まる」と信じられています。
しかし、このオリゴマー仮説が提唱された2002年当時は、オリゴマーによってアルツハイマー病が発症しているという直接的な証拠はありませんでした。アルツハイマー病患者の脳では目に見えない可溶性Aβと凝集して老人斑を形成した不溶性Aβとが常に混在しており、病理や臨床症状がどちらのAβによって引き起こされたものなのかを見極めることは困難でした。
http://www.med.osaka-cu.ac.jp/Neurosci/introduce.html

アルツハイマー征服』

下山進/著 角川書店 2021年発行

第16章 老人斑ができないアルツハイマー病 より

  揺らいでいるように見えたアミロイド・カスケード仮説に強力な証拠が現れる。大阪市立大学が発見した「Osaka変異」と、アイスランドのグループが発見したある遺伝子変異だった。

相次ぐ抗体薬の治験敗退で、アミロイド・カスケード・セオリーは揺らいでいるように見えたが、それを補強する材料も出ている。
もともとアルツハイマー病は、老人斑と神経原線維変化というふたつの病理から診断をしていた。そこから考えて、老人斑ができて神経原線維変化ができ、神経細胞死するというのがおおもとのカスケード・セオリーだが、2000年代にさらに精巧な各段階について検討が加えられていた。その中のひとつに、毒性をもつのはAβのオリゴマー(十数個あつまったもの)という2002年のデニス・セルコーの研究があった。
APPから切り出されたAβは、あつまってオリゴマーを形成する、それがベータシート状をとって固まったものがアミロイド班(老人斑)だが、毒性を持つのはオリゴマーの段階だというわけだ。この論理からすれば、アミロイド班は結果でもかまわないということになる。
このセルコーの論文は、シャーレの中の実権で確認されたものだが、そのことを実証する家族性アルツハイマー病の新しい遺伝子が、同年大阪市立大学のチームによって発見された。
それが「Osaka変異」だ。
このOsaka変異は、瀬戸内海のある島にある家系からみつかった家族性アルツハイマー病の遺伝子だ。
これは変わったアルツハイマー病遺伝子だった。
この家系は、たしかにAPPをコードする部分に突然変異がありそのせいでアルツハイマー病が発症しているのだが、重度に進んだ患者にも老人斑ができなかった。
つまりこのOsaka変異の発見は、老人斑が毒性をもって神経細胞を殺すのではなく、その前のAβのオリゴマーが毒性をもつということを意味していた。
きっかけは、2001年に同市立大学の附属病院にやってきた57歳の女性の患者だった。担当医は認知症臨床研究センターの嶋田裕之。
2年前から物忘れがひどくなったというその女性の家族歴を開くとやたらと認知症になった人が多かった。家族性アルツハイマー病を疑った嶋田は、同じ大阪市立大学の森啓(ひろし)の研究室に遺伝子を調べてほしいと頼んだ。

実際に遺伝子を調べたのは同研究室の富山貴美だった。
富山は帝人出身の研究者で、1998年の井原康夫の弟子筋にあたる森の研究室にきた。当時の身分は講師。

老人斑ができないアルツハイマー

この変異はこれまでの家族性アルツハイマー病の変異とはいろいろな意味で変わっていた。たとえばこれまでの変異は、プリセニリン1にしても2にしても、父親か母親かのどちらかがその突然変異をもっていれば、50パーセントの確率で突然変異が受け継がれる。そしてその突然変異が受け継がれれば、100パーセント発症する。つまりヘテロで発症する。
しかし、この「Osaka変異」の場合では、遺伝子が母親か父親のどちらかから受け継がれても発症はしないのだった。両親ともに、この「変異」を持っている場合にのみ「病気」が受け継がれる。つまりその遺伝子異常がふたつ揃わないと発症しない。ホモだった。
瀬戸内海の小さな島ゆえに近親婚がくりかえされて継承されてきた「家族性アルツハイマー病」だったのだ。だから、この家系の外から嫁や婿を迎えれば、子どもは100パーセント発症しない。
しかし、そのことが逆に、富山たちがこの新しい変異を論文に投稿する際のネックになった。「老人斑が生じない」というのは、この変異をいれたトランスジェニック・マウスでわかったことだ。しかし、人間の場合に確かにそうなる、というのは剖検をしなければわからない。
嶋田のところに訪れた患者の妹も同じ変異をホモでもっており発症した。しかし、その2人が亡くなった時にと、それぞれの配偶者に剖検をお願いしても首をたてにふらなかったのだ。
この遺伝子が子どもたちに受け継がれていないのであれば、なぜ妻の脳を解剖しなくてはいけないのか、ということだ。実際、子どもたちも全員遺伝子検査をうけたが、夫はその遺伝子をもっていないので、ホモで遺伝子をもっている子どもはいなかった。
この「Osaka変異」について、富山は必死に論文を書いて投稿した。ネイチャー・メディスン、ネイチャー・ニューロサイエンス、サイエンス……。
しかし、ことごとくリジェクトされた。
    ・
ネイチャー・メディスンに2度目を出したときにはリジェクトの理由として、はっきりと「剖検がとれていない」からだと書かれてあった。

アイスランド変異

この「Osaka変異」以外にも決定的だったのは、2012年7月にネイチャーに発表されたある論文だった。
その論文は、アルツハイマー病になりにくい突然変異を特定したというものだった。突然変異は、Aβの産出にかかわるAPPの遺伝子に起こっており、この遺伝子をもっていると、アルツハイマー病にかかる確率が5分の1から7分の1になるという。
アイスランドのデコードという会社が1795人のアイスランド人の全ゲノム配列を病歴と比較することで、この遺伝子変異を発見した。さらに研究チームは、約40万人以上のスカンジナビア人を対象に、この変異を調査した。
この遺伝子をもっているベータセクレターゼよるはさみが入りにくくなっていた。つまりAβが産出されにくいということになる。
Aβが産出されなければ、アルツハイマー病にならない。
これはやはり、アミロイドベータが病気のトリガー(引き金)をひいていることの証左だった。
では、なぜ、バピネツマブ(ベータアミロイドを標的とするアルツハイマー病治療薬)やソラネズマブは効かなかったのだろうか?
バピネツマブもソラネズマブも軽症(mild)から中等度(moderate)のアルツハイマー病の患者が対象だった。
それでは遅すぎるのではないか? そして投与量の1ミリグラムが少なすぎたのではないか?
科学者たちは、ピッツバーグコンパウンドBをつかった治験の設計の見直しと、投与の時期に着目をしだす。

じじぃの「人間らしさ・斬首された頭と身体の関係!面白い雑学」

【科学】首を切断されたら意識はある?

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=GOmZmVarLow

実物大 頭蓋骨 レプリカ 6,980円


『面白くて眠れなくなる解剖学』

坂井建雄/著 PHP研究所 2022年発行

PartⅡ 解剖学の歴史――江戸時代の解剖事情 より

人体の内臓はカワウソに似ている?

日本の医学は、奈良時代に仏教とともに中国から伝わった医学に基づいた漢方医学でした。中国医学では五臓六腑(ごぞうろっぷ)といって、心・肝・脾・肺・腎の5つの内臓と、これらを補助する胃・小腸・大腸・胆・膀胱・三焦(さんしょう)という6つの内臓から人体は構成されているとしています。
中国では、宋の時代には解剖が行われていた記録があり、解剖図も日本に伝わっています。それを基にして鎌倉時代末に、梶原性全が『頓医抄』を記しています。
日本で公式に行われた初めての人体解剖となると、江戸時代に山脇東洋が行ったものとなります。その観察記録が『蔵志』という書物として残されています。
山脇東洋は、若い頃に師匠である後藤崑山と話す機会があり、そのときにカワウソの内臓は人間と似ているので、人体の代わりに解剖することを勧められます。それにしたがってカワウソの解剖をした東洋ですが、小腸と大腸の区別がつかないことで悩んでいました。やはり、実際に人体の内部を見ないとわからないことを痛感したのです。

江戸時代の解剖事情

江戸時代に行われた解剖は刑死体でしたが、当時の死刑にはいくつかの種類があり、解剖にも制限がありました。
武士の場合は、名誉を尊重した切腹と、不名誉な罪を犯したときに行われた斬首の2種類ですが、いずれであっても解剖されることはありませんでした。
これに対して庶民の場合は、磔(はりつけ)、鋸挽(のこぎりびき)、火罪、下手人(げしゅにん)、死罪、獄門(ごくもん)の6種類の死刑があり、このうち解剖が行われたのは「死罪」に処せられた刑死体だけでした。これには、いくつかの事情があります。
磔は、受刑者を市中引き回して刑場に向かいます。刑場では磔柱に手足・胸・腰などを縄などを縄で縛り付け、衣類の一部を剥ぎ取って脇腹を露出させた後、周りから槍で突き上げるというものです。
鋸挽は、土中に埋めた箱に罪人を入れ、首だけを地面から見えるようにして二晩三日にわたって晒(さら)した後、市中引き回してから鋸で首を切るというものです。
火罪は、火あぶりの刑といわれるもので、受刑者を市中引き回してから刑場で、磔柱に縛り付けた後、足元に薪(たきぎ)を積んで柱を囲む竹枠の周りに葦(あし)を積み上げて、火をつけるというものです。
これらの3つは死体が損傷するため、解剖には適さないのです。
残りの3種類は、斬首による処刑である点では共通していますが、罪の重さに軽量があって、付加される刑罰が異なります。
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これらの3つのうち、死罪になった死体は試し切りに用いられましたが、余裕があって町奉行所などの許可が下りれば解剖が許されたのです。
江戸時代には、人体解剖も試し切りに代わるものと考えられ、一種の刑罰の意味がありましたので、一般には残酷なものと捉えられていました。

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どうでもいい、じじぃの日記。
デカルトの二元論(物質と精神)は分かりやすい。
デカルトは脳の松果体を「魂のありか」と呼び、物質と精神が松果体を通じて相互作用するとした。
人間の身体を物質と精神という枠で2分割するとすれば、首から上が精神、下が物質になるのだろうか。
昔、人間の頭蓋骨をひどく恐く思っていた。
だがもうすぐ、自分もそんな変わり果てた姿になると思うと、頭蓋骨をひどく身近に感じるようになった。
だが、頭蓋骨がレプリカと分かっていても、そばに置くのは恐い。
「何を偉そうに生きてんだよ。おまえ、もうすぐだ」
トホホのホ。