じじぃの「歴史・思想_140_韓国・堕落の歴史・高麗王朝」

高麗王

ウィキペディアWikipedia) より
高麗王(こうらいおう)は、高麗(918年 - 1392年)の国王で、姓は王氏。
王建が高麗を建国したが、第23代高宗の1258年に元朝に服属した。
後の第25代忠烈王の1287年からは高麗王は征東行省達魯花赤を兼ね、元朝の属国となったが、恭愍王時代の1356年に元朝の衰退とともに元朝を離れ、明に服属した。13世紀から14世紀までは元朝の中央官庁「中書省」の出先機関である「行中書省」の1つであり、征東行中書省が正式名称である。元朝の滅亡までこれは続き、高句麗との混淆を避けるために、中国では王氏高麗と呼んでいる。なお、元朝服属時代の第23代から第30代国王の諡号には元朝の忠臣を示す「忠」が付けられている。

                        • -

『韓国 堕落の2000年史』

崔基鎬/著 祥伝社新書 2019年発行

”韓国病”はどこから始まったか?――かつての高徳の民を退廃に導いた痛恨の出来事 より

いまも残る中国に対する事大主義

「統一新羅」という言葉は美しく響くが、先にも述べたとおり、新羅は、当時の東洋の模範的な国家であった高句麗百済を、外国である唐の軍を引き入れて、不意打ちによって倒した。
百済が660年に滅びた後、日本の大和朝廷が4万人の陸海軍を朝鮮半島に派兵して、「白村江(はくすきのえ)の戦い(663年)」を戦ったことが『日本書紀』に詳細に記されている。そして668年に新羅・唐連合軍が、高句麗を滅ぼした。
当時、高句麗の版図(はんと)は、今日の北朝鮮から満州・シベリア沿海州にまで及んでいたが、新羅満州からシベリア沿海州にわたる領土を放棄して、「国土統一」を成就させたのだった。

悲劇の誕生李朝成立――何が日韓両国の歴史の明暗を分けたのか? より

民族の心を復興した高麗(こうらい)王朝の繁栄

自ら唐の臣下になり下がることによって、背後から百済高句麗を攻め滅ぼした新羅は、9世紀に入ると、中央の権力が弱体化して国内が乱れ、地方で豪族が割拠(かつきょ)するようになった。そして936年に高麗朝と交代した。
高麗朝はナショナリズムを甦(よみがえ)らせ、高句麗百済の精神的な再興を企て、再び韓民族の誇りを取り戻させた。仏教文化が興隆し、1章で紹介した海印寺の「八方大蔵経」の版木も、この時代の文化の所産だった。
だが、13世紀に入って、モンゴルがアジア大陸において勢力を大きく伸ばすようになると、高麗は、この世界帝国への対応に追われることになった。1206年にチンギス・ハン(成吉思汗)がモンゴル諸族を統合し、モンゴル遊牧帝国の創健者となると、1231年には、高麗へ第一次侵攻を行なった。
その後、チンギス・ハーンの末子の子であり、第5代皇帝のフビライ・ハンが中国の統一を成し遂げ、1271年に中国の伝統を受け継ぐ正統王朝として、元朝を樹立した。そして、その後、1世紀にわたるモンゴル人による漢人支配が始まった。
高麗は23代の高宗(コジョン)のもとで、モンゴル軍の第一次侵攻を蒙(こうむ)ると、いったんは講和を結んだが、抗戦を決意して、都を開京(ケギョン)から、その西方にある江華島へ移した。開京は現在の北朝鮮の南西部にある開城(ケソン)である。
モンゴル軍は江華島を攻めあぐねた。しかし、24代の元宗(ウオンジョン)が講和の道を選んで、モンゴルから侵略しないという約束を取りつけ、1270年にモンゴルの要求にしたがって、開京に遷都した。同時に精鋭軍の解散を命じたことから、事態が急変した。

モンゴルの日本侵攻を7年遅らせた高麗の抵抗

高麗朝には、一般国務から独立した総帥権によって動く「三別抄」が存在した。「別抄」は勇士によって組織された選抜軍を意味したが、最初は盗難を取り締まるためにつくられた「夜別抄」から始まった・この組織がしだいに拡大したことから「左別抄」「右別抄」の2つに分けられた。そして、モンゴル軍に捕えられて脱出した捕虜から「神義軍」が組織され、左、右、神義の3軍を三別抄と呼ぶようになった。
    ・
モンゴルにとって珍島の三別抄を討つことが緊要の課題となった。5月15日に、本来は日本遠征のために準備したモンゴル軍と高麗政府連合軍が、屯田経略司長官のモンゴル人将軍の忻都(きんと)に率いられて、珍島を後略した。そこで王として擁立されていた温(オン)を殺し、1万余人の男女を捕虜にした。
こうして日本遠征の障害がいちおう取除かれたので、使節の趙良弼が日本へ向けて出発した。
珍島が陥落したものの、残った三別抄が金通精を首領にして、本拠を耽羅に移し、再び猛烈な活動を展開した。そして全羅・慶尚南北道から、京畿道までも出撃して、南部の穀倉地帯を占拠して、制海権を握った。そのためモンゴルは日本遠征のための航路と食糧を確保するために耽羅を攻撃した。
1273年4月、モンゴル・高麗政府連合軍が耽羅へ攻め込んだ。激戦の末に、三別抄も衆寡(しゅうか)敵せず、ついに敗れた。三別抄による江華島の蜂起から、3年が経過していた。
モンゴルは三別抄がこのように勇戦したために、1266年から計画した日本遠征を、およそ7年にわたって延期せざるをえなかった。この間に、日本は北九州沿岸の防備を準備する、時間的な余裕を与えられた。
さらにモンゴルは、日本遠征のために準備した軍隊を、三別抄の鎮圧に差し向けたことによって多くの兵員や艦船を失い、莫大な損失を蒙(こうむ)った。
もしも、1回目の元冠が7年前に行なわれていたとしたら、日本はモンゴルの支配のもとに置かれる悲運に見舞われたかもしれない。そうすれぱ、今日の日本もなかったかもしれないのである。この事実は、日本の歴史に記されてもよいのではないだろうか。

じじぃの「中国が作った物語・米軍が武漢市にウイルスを持ち込んだ?プライムニュース」

中国政府 トランプ氏の「中国ウイルス」に抗議 (20/03/18)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UzaG5tC00nE

Are the US and China locked in a hybrid war ?

China locked in hybrid war with US

MARCH 17, 2020 Asia Times
Irrespective of its origin, which is still not conclusively established, as much as Trump tweets about the “Chinese virus,” Covid-19 already poses immensely serious questions about biopolitics (where’s Foucault when we need him?) and bio-terror.
The working hypothesis of coronavirus as a very powerful but not Armageddon-provoking bio-weapon unveils it as a perfect vehicle for widespread social control - on a global scale.
https://asiatimes.com/2020/03/china-locked-in-hybrid-war-with-us/

プライムニュース 「“新型コロナ”と中国 小売り・生産の大幅減 巻き返しを狙う大戦略

2020年3月18日 BSフジ
【キャスター】内田嶺衣奈、反町理 【ゲスト】山際大志郎自由民主党政務調査会会長代理)、津上俊哉(日本国際問題研究所客員研究員)、田中修(日本貿易振興機構アジア経済研究所上席主任調査研究員)
世界的な新型コロナウイルスの感染拡大によって、日本だけではなく米国や欧州の市場が大荒れだ。一方、発生源とされる中国では、衛生当局が「流行のピークは過ぎた」との認識を示し、企業が生産を再開し始めた。
“コロナ”によって世界経済の失速が免れない中、中国は経済の立て直しに躍起だが、少子高齢化の構造的な問題を抱えており、中長期的には経済が減速するという見方は多い。中国経済の現状を分析し、その行方を展望する。
●“新型コロナ”と中国経済 経済危機と共産主義
田中修、「中国では去年から南北格差が始まっている。北は国有企業中心で南は中小企業が中心。南でイノベーションが起きている。南が北を変えるべき時代だ。南が中国の生活水準を上げている」
山際大志郎、「国有・国営企業と民間企業というふうに中国の体制では分けられないと思う。アリババでもテンセントでも中国共産党の管理下に置かれている。多くの若い中国人は海外の大学に留学生で出る。その人材が中国をさらに引っ張っていく存在としてある。その人達がイノベーションの主体になっている」
【提言】 「中国経済の今後にあるべき日本の備え」
田中修 「秋に備えよ!」
 スペインかぜは夏に一旦収まった。今度のウイルスでも秋に備えて発展途上国向けに医療体制を整える。
津上俊哉 「中国に依存しすぎ?妙案はありません(残念ながら)」
 中国に依存しすぎるなという声があるが、今のところ妙案がない。
山際大志郎 「進化を取り込む」
 中国はこういう危機があった時に進化を遂げている。ジャンプアップする力を持っている国だ。中国で起きている変化を冷静に捉えて、取り込めるものは取り込んで日本もバージョンアップする。
https://www.fnn.jp/programs/primenews

プライムニュース 「世界の国境封鎖が加速 米国の現状を緊急報告 米中“コロナ新対立”」

2020年3月19日 BSフジ
【キャスター】長野美郷、反町理 【ゲスト】薗浦健太郎自由民主党総裁外交特別補佐 衆議院議員)、森本敏(元防衛相 拓殖大学総長)
今月11日、WHOが新型コロナウイルスの感染拡大が「パンデミック」状態であると表明。実際に15 ヵ国以上の国や地域が「非常事態」や「緊急事態」を宣言し、もはや“世界的有事”となった感もある中、その影響は安全保障の分野にも及びつつある。
 米国政府が欧州からの入国禁止措置を表明した同じ日、米国防総省は同盟国である韓国やイタリアを含む4ヵ国を対象に、米兵やその家族の往来を60日間にわたって制限すると発表。韓国については、毎年この時期に行われてきた米韓合同軍事演習も中止となっており、米軍の経験値や能力の低下、つまり抑止力の低下が懸念される。また、NATOの中東・アフリカ方面、そして地中海における活動で重要な拠点となっているイタリアへの措置についても、その影響が懸念される。
新型コロナ感染拡大の中でも、北朝鮮の挑発行為や中国の海洋進出と示威行為がやまぬ中、米国の決断は世界の安全保障にどんな波紋を招くのか?そして、決断の背景にある米国の実情と今後の展開をどう読み解くべきなのか?
●元防衛相&総裁外交特別補佐 米中“舌戦”が生むリスク

5日~18日の米中の応酬の経緯

 5日 ポンペオ国務長官 記者会見で「武漢ウイルス」と呼ぶ
12日 中国外務省・趙立堅副報道局長 ツイッターで「米軍が武漢市にウイルスを持ち込んだのかもしれないと投稿
16日 ポンペオ国務長官(電話会談) 中国がアメリカに責任転嫁しようとしていると「強い異議」を表明
   趙立堅副報道局長(電話会談) 米側の対中批判に対し「断固反対し、強く非難する」
17日 トランプ大統領 ツイッターで「中国ウイルス」と投稿
18日 中国外務省 年内に記者証が切れるニューヨークタイムズ、ウォールストリートジャーナル、ワシントンポストの米国人記者に対し10日以内に記者証を返却するように命じる
森本敏、「中国はSARSのときもそうだが今回の新型コロナウイルスの原因について、発生は中国だが発生源ではないと言っている。本来はきちんと科学的な分析調査が行われるべきでその役割を果たすべきなのはWTOです。習近平国家主席人民解放軍の軍の研究所に調査を命じている。中国が発生源でないという証拠を探しているしか思えない。こういう事をうやむやにしていたら第2第3の問題が起こる。最初はこのウイルスは米国のインフルエンザが原因だと言っていた。米軍が武漢市にウイルスを持ち込んだのかもしれないなどと外交でこんなやりとりするのはおかしい。根拠のない議論をしてプロパガンダをするというのは国際社会の中で信用を落とすだけ」
薗浦健太郎、「少なくとも中国で発生して拡散して国際社会に広まったのは事実。結局中国の全ての行為は共産党の支配を正当化するためにある。共産党プロパガンダWTOが利用されている。WTOが中国にきちんと科学的データを出させないといけない。我々は科学的根拠に基づいて突き詰めていって、人類としてこの先何をしなければいけないか言い続けるということをやらなければいけない」

反町理、「中国が新型コロナウイルスの抑え込みに成功しイタリアに派遣団を送りこんで成功し、中国はコロナの発生源でありながらその機会を利用して自分たちの覇権を広げようとしているように見える」

森本敏、「米国が武漢市にウイルスを持ち込んだというふうに持って行き、同時に中国のやりかたは米国の民主主義国より優れている。一党独裁の方が優れているということを諸外国に援助をしながら宣伝する。『中国が作った物語』です」
https://www.fnn.jp/programs/primenews

じじぃの「歴史・思想_139_韓国・堕落の歴史・統一新羅の事大主義」

1.小中華思想・事大主義の朝鮮/韓国

まず、「中華思想」であるが、「中華思想又は大中華思想」とは、「自分たちが世界の中心であり、中心から離れたところの人間は愚かで服も着用しなかったり獣の皮だったり、秩序もない」と考えていた中国人の思想であった。
それに対して「小中華思想」は、自らを「中国王朝(大中華)と並び立つもしくは次する文明国で、中華の一役をなすもの(小中華)」と見なそうとする文化的優越主義思想で、この思想にどっぷりつかってきたのが朝鮮(今の韓国と北朝鮮)である。また、事大主義(じだいしゅぎ)とは、大に事(つか)えるという考えと行動を表す言葉で、「小国である自国はその分を弁えて、自国よりも大国の利益のために尽くすべきである」といった大国に媚びへつらう卑屈な政策を指すときに用いる。
http://ishido.com/hannichi_seiri3.html

『韓国 堕落の2000年史』

崔基鎬/著 祥伝社新書 2019年発行

”韓国病”はどこから始まったか?――かつての高徳の民を退廃に導いた痛恨の出来事 より

なぜ、新羅による統一が問題なのか?

これほど高い徳と輝かしい文化を誇った朝鮮半島三国時代は、1つの予期せざる大事件によって終止符を打った。新羅による朝鮮半島の統一である。
同じ民族によって統一がなったのだから、一見問題ないように見えるかもかもしれないが、新羅の場合は事情が違う。
新羅による統一は、外勢である唐と結託して、同胞の国であり、当時、アジアの強国であった高句麗と、世界の最高級の文化と芸術の国であった百済を不意打ちすることによって滅亡させたものだった(百済が660年、高句麗が668年)。民族反逆の末に、自らを唐の属国としてしまった。ここに韓国人の意識構造に、異常を招く事態となった。
新羅は進んで唐の属国となることによって、卑怯、利己主義、機会主義、事大主義を蔓延(はびこ)らせ、韓民族を転落させたのだった。
これは朝鮮半島に禍根(かこん)を永久に残すことになった大事件であるが、今日の表現を用いてみれば”無頼漢(ゴロツキ連中)”が他民族の勢いを借りて、自分たちの民族国家を打倒したのだった。
もっとも、このような見方をするのは、私だけではない。かつて李光洙(イクァンス)が同じことを唱えた。李光洙は天才的な文芸家で、長編小説『無常』によって近代韓国文学の祖といわれているが、1892年に平安北道で生まれ、日本の早稲田大学に留学した。強烈なナショナリストであり、1919年に三・一独立運動の推進者の一人として、日本留学生による独立宣言を起草した。東亜日報編集局長、朝鮮日報社副社長を務め、1937年に日本の警察によって検挙された。
太平洋戦争中は学徒動員などで、積極的に協力したとして、戦後、糾弾もされた。
李光洙は「春園」の号によって知られるが、1950年に朝鮮戦争が始まると、ソウルから逃げ遅れ、北へ拉致された後に消息を絶った。一説ではこの時に連行された知識人のなかで、ただ一人だけ反米文書に署名することを拒んだために、処刑されたといわれる。
彼は早くから、新羅による朝鮮半島の統一と、その後の14世紀に起こった李朝の成立という2つの事件を、韓民族の民族性を歪め、今日のような頽廃(たいはい)に陥れた大元凶と位置づけていたが、私もまったく同感である。
韓国民は、”韓国病(ハングクビョン)”によって苦しめられてきたが、これこそ、新羅が進んで中国の属国になることによってもたらされた国民性の頽廃そのものである。韓国病の病根は、それほどまでに根深い。

いまも残る中国に対する事大主義

「統一新羅」という言葉は美しく響くが、先にも述べたとおり、新羅は、当時の東洋の模範的な国家であった高句麗百済を、外国である唐の軍を引き入れて、不意打ちによって倒した。
百済が660年に滅びた後、日本の大和朝廷が4万人の陸海軍を朝鮮半島に派兵して、「白村江(はくすきのえ)の戦い(663年)」を戦ったことが『日本書紀』に詳細に記されている。そして668年に新羅・唐連合軍が、高句麗を滅ぼした。
当時、高句麗の版図(はんと)は、今日の北朝鮮から満州・シベリア沿海州にまで及んでいたが、新羅満州からシベリア沿海州にわたる領土を放棄して、「国土統一」を成就させたのだった。

韓国古代史は統一新羅を美辞麗句をもって謳歌しているが、新羅が自らを「大唐国新羅郡」と卑下(ひげ)して読んだことを記録している。

このような環境のもとで、国を失った高句麗百済の遺民の心境は、その後、卑屈におち、紳士どころではいられなかった。その結果、中国に対する”事大思想”は、今日でも、いまだに韓国で幅をきかせている。

進んで中国の属国になり下がった新羅李氏朝鮮の大罪

韓族はこのように旺盛な活力を持っていたのに、新羅による統一を機として衰退しはじめた。仁・義・礼・勇が充溢した独立自尊・高徳の国は、民族の裏切り者によって、かつて敵であった隣国の属領になり下がったのである。
そのことが何を意味するかというと、中国は今日に至るまで、どの時代をとっても孔子をも絶望させたように、社会がつねに腐敗していたが、この深い泥沼のような中国文化に組み込まれてしまったことが、韓民族に最大の不幸をもたらしたのである。
新羅は中国の属国となることによって、唐の元号を用いるかたわら、名前や、服装を唐風に改めた。韓人の姓は、三国時代までは二字姓だったが、創氏改名が強(し)いられ、一字姓となった。
またくわしくは後の章で述べるが、民族の衰退を加速させた2番目の要因は、李氏朝鮮の成立(1392-1910年)であった。
    ・
近代韓国の先覚者であり、先にも紹介した李光洙は、新羅の朝鮮統一と、李朝の成立によって、韓民族の民族性が次のように歪められたと指摘している。
一、 虚言と偽騙(ぎへん)行為がはびこることによって、相互間の信頼心が失われた。このために詐欺的な態度がひろまるようになった。
二、空理空論を弄(もてあそ)び、美辞麗句を連ねる。頂上の権力者は生殺与奪の権をはじめ、不可能なことがないほど、思うままに権力を振るい、一切の責任を負わない。
三、表裏不同だ。人の面前では諂(へつ)い、背後では悪様(あしざま)にいう。恥をまったく知らない。
四、卑屈、物事に怖(お)じけ恐れる。他人の思惑ばかりを気にして、決断する能力が低い。
五、反社会的利己心によってのみ動かされ、公益には無関心だが、自己、家族、党派について極端な利己主義を発揮する。
これこそ、現在の韓国を深く蝕(むしば)む”韓国病”そのものにほかならない。

じじぃの「中国・新型コロナ治療に日本製インフル薬アビガン採用へ!モーサテ」

アビガンの効果発表。臨床試験で効果認められる。富山化学を傘下に持つ富士フイルムが株式市場で注目される

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=mW6na07wwls

中国・新型コロナ治療にインフル薬「アビガン」採用へ

英国ガーディアン「アビガン採用へ」の記事!

ファビピラビル

ウィキペディアWikipedia) より
ファビピラビル(英: Favipiravir)は、富山大学医学部教授の白木公康と富士フイルムホールディングス傘下の富山化学工業(現:富士フイルム富山化学)が共同研究で開発した核酸アナログでRNA依存性RNAポリメラーゼ阻害剤である。

開発コードのT-705、あるいは商品名であるアビガン錠 (Avigan Tablet) の名前でも呼ばれる。

中華人民共和国では、浙江海正薬業股份有限公司がライセンスを取得して生産している。
【投与例】
2014年10月19日、スペインのエボラ対策当局は、マドリード市内の病院で患者を看護していて二次感染し、入院治療を受けていた看護助手に対してファビピラビルを投与したところ、体内からウイルスが消失したと発表した。

                  • -

モーニングサテライト

2020年3月18日 テレビ東京
【キャスター】佐々木明子大浜平太郎
●インフル薬「アビガン」採用へ 中国 新型コロナ治療
富士フイルム傘下の製薬会社が開発したインフルエンザ薬を中国が新型コロナウイルス感染症の治療薬として、正式採用を検討していることが明らかになりました。
中国当局が採用する方針を発表したのは日本のインフルエンザ薬、「アビガン」として知られるファビピラビルです。中国当局によりますと、アビガンを感染者に投与した結果、短期間で陽性から陰性になり、発熱などの症状も軽くなったということです。「アビガン」は富士フイルム傘下の製薬会社が開発し、日本でも新型コロナウイルスによる肺炎治療のために、先月から患者への投与が始まっています。
https://www.tv-tokyo.co.jp/mv/nms/news/post_198858

夕刊フジ』 2020年2月25日発行

新型肺炎の重症化防ぐ“特効薬”か 新型インフル薬「アビガン」注目 日本政府は対策の基本方針決定 より

新型コロナウイルスによる肺炎(COVID19)が国内でさらに拡大する事態に備え、日本政府は25日午後、対策本部を開催し、総合的な基本方針を決定し、発表した。感染者の重症化を防ぐ“切り札”として、新型インフルエンザ薬として備蓄している「アビガン」が注目されている。医療機関の中には、感染者への投与を始めたという。
「さらにしっかり詰めてもらいたい」
安倍晋三首相は24日、翌日決定する基本方針について、加藤勝信厚労相らに官邸でこう指示した。
24日までにまとまった基本方針案は別表の通り。東京五輪の開会式を5ヵ月後に控え、断固たる措置と覚悟が求められる。
こうしたなか、注目されているのが抗インフルエンザ薬「アビガン」だ。富士フイルム傘下の製薬会社が開発したもので、新型コロナウイルスのようなRNAウイルスの増殖を妨げる効果が期待できる。
日本国内で製造・備蓄されており、新型のインフルエンザが流行した場合、タミフルなど既存の抗インフルエンザ薬が効果がないか、不十分な場合に限り、厚労省の要請で出荷される。
安倍首相は23日、官邸で開かれた対策本部会合で、感染者の治療のために「アビガン」の投与に向けた環境整備も急ぐよう指示した。
永田町事情通によると「中国もアビガンに強い関心を示しているが、日本政府は『日本国民があくまで優先』という姿勢だ」という。
アビガンには、動物では胎児に奇形が出る可能性が指摘されており、妊婦や妊娠の可能性がある女性には使えない。また痛風高尿酸血症のある人も慎重に使う必要がある。

                  • -

どうでもいい、じじぃの日記。
3月10日、中国の習近平国家主席新型コロナウイルスの感染が大流行した湖北省武漢市を訪れ、政府が事態を収拾させたとのメッセージを発表した。
中国の感染者は約8万800人で、3100人以上が死亡した。
だが、中国で人々の生活が少しずつ平常に戻りつつあるようだ。
そんな中、中国が新型コロナ治療に日本が開発したインフル薬「アビガン」採用とのこと。
日本の薬が世界中で使われるのではないかと、予感させます。

じじぃの「歴史・思想_138_韓国・堕落の歴史・日本に亡命した高句麗王」

高麗神社へ行こう

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TAF1O_lzsb4

高麗神社を参拝される両陛下 (2017年)

両陛下が埼玉へ私的旅行 日高の高麗神社、見頃のヒガンバナを見て回られる 大勢の市民ら歓迎

2017年9月20日 埼玉新聞
高麗神社は朝鮮半島高句麗が7世紀に滅亡した前後に、日高市を中心とする地域に移り住んだ渡来人ゆかりの神社で、高句麗の王族が祭られている。
両陛下は高麗文康宮司(50)から、高句麗の人々が渡来した歴史などについて熱心に説明を聴き、参拝を済ませた。
https://www.saitama-np.co.jp/news/2017/09/21/01_.html

『韓国 堕落の2000年史』

崔基鎬/著 祥伝社新書 2019年発行

”韓国病”はどこから始まったか?――かつての高徳の民を退廃に導いた痛恨の出来事 より

「紳士の国」として知られた韓国

2001年に加耶文化研究所の学術会議が開かれた日は、空が晴れあがって爽(さわ)やかだった。6月のこのあたりは、萌えたつような緑が眩(まぶ)しく、もっとも快い季節である。私はかつての伽耶の都のあたりを散策しながら、韓日関係と、新羅百済高句麗による三国時代以後の韓国の悲しい歴史について思いを巡らせた。
当時の韓国は3つの国に分かれていたが、その時代までは、国際的に高貴な「紳士の国」として知られていた。「紳士」は日本では明治以後に英語の「ジェントルマン」の訳語として定着するようになったが、もっと古い言葉である。「紳」は貴人が衣冠束帯の時に用いる大帯であって、ここに笏(しやく)をはさむことから、高い人格と教養を持った男子を意味した。
三国時代以前の韓国は、中国古代の地理書である『山海経(せんがいきょう)』や、中国の前漢の文学者である東方朔(生没不明)による書物や『三国志魏志東夷伝』などに現れるが、「仁と義」、「礼、勇、寛大」、「博愛と禁欲的な廉潔」、「自尊、武勇、快活」さに溢(あふ)れた国として描かれている。

武蔵の国に亡命した高句麗

百済高句麗が滅びた時に、両国の多くの遺民が日本を目指した。『日本書紀』は「百済の遺民20万人程度が白馬江、錦江、海浜を伝わって日本へ渡ってきた」ことを、詳しく伝えている。また、高句麗の遺民1万余名は、若光王(じゃこうおう)の指揮のもとで援軍を頼みに、日本へ向かったのであった。
続日本紀』は「元正天皇霊亀二(716)年、駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の7ヵ国在住の高麗(こうらい、高句麗)人1799人を武蔵国に遷(うつ)し、高麗郡(こまぐん)を置く」と記録している。
埼玉県日高市にある高麗(こま)神社が昭和54年に発行した『高麗神社と高麗郷』は、次のように述べている。これは昭和6年に刊行されたものを、復刻したものである。
 「武蔵国高麗郡及び新羅郡、甲斐の巨摩郡、摂津の百済郡、其の他諸国に於て、朝鮮古代の国名を以て、都邑(とゆう)の名、山川の名、原野の名となすもの少からざる事を思へぱ、日韓の歴史的関係及び日韓融和共栄の上より見て、一種無限の思慕感懐の念が油然として起るを禁ずる事能(あた)はざるなり。(略)
  天智天皇の御世に当り、朝鮮古代の高句麗百済の二国の亡ぶるや、之の国の上下の人の我が国に移住帰化して、ついに王臣となり、日本国民となり、長く王室を護り、国事に尽力した者は多い。(略)
  当時、武蔵国は古代日本の帝都所在の地を去る事数十百里、王化未(いま)だ洽(あまねし)からず、所謂 辺陬(へんすう)の地方にして、帝都所在の畿内地方に比して、地は広漢、人は稀薄。現時の如き繁栄ならず。
   分けゆけど花の千草のはてもなし
     秋をかぎりの武蔵野の原
   出づるにも入るにも同じ武蔵野の
     尾花を分くる秋の世の月
  の歌によりて、以て王朝時代の武蔵野の広漢無極の如き状態を想見すべし。斯の如き処に多数の高麗人が既に今より一千二百余年前に、其の開墾拓殖に従事して、以て現代繁栄の基を建て、源を発せし事は、武蔵野・東京府、埼玉県等を云々する者の必ず注意もし、思念もすぺき事なり」
この『高麗神社と高麗郷』は、高麗神社の祭神である高句麗王であった若光王について、詳しく記している。若光王がどうして遠くかけ離れた東海の日本まで、追われて移ったのか思うと、国の興亡の歴史について、後世に生きている私としては、心から涙をそそぐほかない。
韓国と日本の交渉が遠く神話時代に遡(さかのぼ)ることは、周知のことである。韓日間には垂仁(すいじん)天皇の治世に天日槍(あめのひぼこ、新羅の王子)が来朝したのをはじめとして、深い交渉があった。日本が帰化人から当時のアジアにおける進んだ文化を摂取したことは、唐の『晉書』に、「東国(注・日本)に文字無し、高句麗独り之を有す」と記されているのによっても分かろう。
日本書紀』のなかで、人工の灌漑施設である韓人池が登場するが、日本の歴史において高麗人の名がもっとも早く載(の)っているものである。応神(おうじん)天皇7年秋に、高麗人、百済人、新羅人が来朝して、武内宿禰(たけうちのすくね)が詔(みことのり)を奉じて、これらの帰化人に池を造らせて「韓人池」と名付けた。

じじぃの「病気自慢・尿道に管を通すほど辛いものはない?地下鉄の素」

排尿障害がある

尿道カテーテル(おしっこの管)は痛い?その方法と目的、注意点、体験談

●排尿障害がある
前立腺肥大など尿の通り道に障害があって尿が出せない場合や、自律神経の障害などで尿を出せない場合に使用します。
糖尿病や、脊髄の外傷や病気、直腸がんの手術後などは、自律神経の障害が起こることがあります。
https://keiyouwhite.com/baloon

『地下鉄の素』

泉麻人/著 講談社文庫 2000年発行

病気自慢 より

さほど激しい戦地に行かなかった戦争体験者が「一歩の差で爆撃から逃れたんだ…」とか、関東大地震のときに東京から離れていたのに「いやぁあのときの揺れはひどかった…」などと後世代に自慢したくなるのと一緒である。多摩ニュータウンなどに初期の頃から入っている住民に「あの頃は、なぁんにもなくて、タヌキしかいなかった」なんて、大袈裟な話を聞かされることもよくある。
中年に差しかかると、そういった病気自慢とか検査自慢とかが、1つの定番の自慢話となってくる。いまや大震災や戦争体験のある人は少なくなったから、その手の話としては病気関係と幼い頃の貧しい食生活くらいしかアイテムがない。
僕は幸いにも、17のときに十二指腸潰瘍をやっているから「胃カメラ通」の部類である。これまでにおよそ5、6回は胃カメラを飲んでいて「巧いですね」と医師から誉められた経験もあるのだ。彼ら初、中級者の話をフンフンまだ青いな…とヘンな優越感に浸りながら聞いていた。
ところで僕は去年、急性肝炎を患って1ヵ月ほど入院していたのだが、そのとき同室の患者たちから鍛冶和の検査体験談などを聞かされた。
僕が胃カメラ体験などの話をすると、膵臓を患っている男が言う。
「異の内視鏡(通は胃カメラと言わずにプロっぽく内視鏡と呼ぶ)は、まだいい方ですよ。膵臓の造影やったことあります? これ胃の内視鏡より一回り太い管入れましてね、十二指腸の先んとこからまた枝みたいな管をピッと膵臓の方にこじ入れまして…」
何か聞いてるだけで腹の底がキリキリしてきそうな話だ。と、隣の大腸をやられた男が参戦している。
「腸のファイバースコープ、こりゃあたまりませんぜ、おたくたちまだ口でしょ、私の場合ケツの穴から入れるんですよ、あのウミヘビみたいな管をズリズリズリッ…」
さらに太ももの付け根の静脈から血管造影の管を通したという強者、なんだかんだ言っても尿道に管を通すほど辛いものはない! となぜかうれしそうに語る検査達人。
胃カメラぐらいでは肩身が狭い。上には上、がいるのである。

                    • -

どうでもいい、じじぃの日記。
3月6日、家の近くの糖尿病専門病院に行ってきた。
血糖値の大まかな変動を反映するのがHbA1c(ヘモグロビン・エイワンシー)だ。
HbA1c・・・過去1~2ヵ月の血糖の平均値を反映する臨床検査値、「糖尿病コントロール指標」で、基準値は4.6~6.2

新型の血糖測定器、指先に針を刺す採血が不要に

採血不要の新タイプの測定器(リブレ)は、腕に貼り付けた500円玉大のセンサーに読み取り機をかざすと、直近の血糖値が表示される。
この新型の血糖測定器を2週間付けたままで、毎日食べたものを管理記録表に書いものを提出した。
2週間の血糖値の推移が書かれたグラフを渡されたが、その線の幅が気象図の偏西風の幅のように蛇行している。
担当医師、「あなたの場合、血糖値の推移はあまり上下がなく、高い値をキープしています」
普通 血糖値は食べた直後上下するものだが、食べても食べなくても高いままだ。
担当医師、「腎臓機能の値は正常です」
インスリン注射 14単位 → 18単位に打つ量が変わった。
まあ、あなたは腎臓に悪影響が出ています。人工透析が必要です、なんて言われないだけマシだ。

じじぃの「歴史・思想_137_韓国・堕落の歴史・新羅による朝鮮半島の統一」

『神野の世界史劇場』付属CD全公開!(042 / 106) 白村江の戦と高句麗滅亡と新羅統一

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Y45x58zI_Ok&t=852s

韓国 堕落の2000年史―日本に大差をつけられた理由 (祥伝社黄金文庫)

読書メーター
新羅による朝鮮半島統一、李朝の成立、この2つが韓民族の民族性を歪めた。文化先進国であった高句麗から進んで中国の属国に成り下がった大罪。
慕華思想、小中華を誇る。李成桂、1392年に李朝を創建、中国社会の悪いところ全て移入。朱子学、美辞麗句を並べる空論、韓国の平地に寺がない理由。李朝500年と徳川300年の違い。江戸時代の日本ほど庶民が豊かで文化的な生活を享受した国は世界にない。李朝では王家の間で殺戮劇が繰り返された。女性は半奴隷。政権が変わると政策真反対。明に防衛を委ね、他力本願の属国根性。今の日本は?

                        • -

『韓国 堕落の2000年史』

崔基鎬/著 祥伝社新書 2019年発行

”韓国病”はどこから始まったか?――かつての高徳の民を退廃に導いた痛恨の出来事 より

「紳士の国」として知られた韓国

2001年に加耶文化研究所の学術会議が開かれた日は、空が晴れあがって爽(さわ)やかだった。6月のこのあたりは、萌えたつような緑が眩(まぶ)しく、もっとも快い季節である。私はかつての伽耶の都のあたりを散策しながら、韓日関係と、新羅百済高句麗による三国時代以後の韓国の悲しい歴史について思いを巡らせた。
当時の韓国は3つの国に分かれていたが、その時代までは、国際的に高貴な「紳士の国」として知られていた。「紳士」は日本では明治以後に英語の「ジェントルマン」の訳語として定着するようになったが、もっと古い言葉である。「紳」は貴人が衣冠束帯の時に用いる大帯であって、ここに笏(しやく)をはさむことから、高い人格と教養を持った男子を意味した。
三国時代以前の韓国は、中国古代の地理書である『山海経(せんがいきょう)』や、中国の前漢の文学者である東方朔(生没不明)による書物や『三国志魏志東夷伝』などに現れるが、「仁と義」、「礼、勇、寛大」、「博愛と禁欲的な廉潔」、「自尊、武勇、快活」さに溢(あふ)れた国として描かれている。

なぜ、新羅による統一が問題なのか?

だが、これほど高い徳と輝かしい文化を誇った朝鮮半島三国時代は、1つの予期せざる大事件によって終止符を打った。新羅による朝鮮半島の統一である。
同じ民族によって統一がなったのだから、一見問題ないように見えるかもかもしれないが、新羅の場合は事情が違う。
新羅による統一は、外勢である唐と結託して、同胞の国であり、当時、アジアの強国であった高句麗と、世界の最高級の文化と芸術の国であった百済を不意打ちすることによって滅亡させたものだった(百済が660年、高句麗が668年)。民族反逆の末に、自らを唐の属国としてしまった。ここに韓国人の意識構造に、異常を招く事態となった。
新羅は進んで唐の属国となることによって、卑怯、利己主義、機会主義、事大主義を蔓延(はびこ)らせ、韓民族を転落させたのだった。
これは朝鮮半島に禍根(かこん)を永久に残すことになった大事件であるが、今日の表現を用いてみれば”無頼漢(ゴロツキ連中)”が多民族の勢いを借りて、自分たちの民族国家を打倒したのだった。
もっとも、このような見方をするのは、私だけではない。かつて李光洙(イクァンス)が同じことを唱えた。李光洙は天才的な文芸家で、長編小説『無常』によって近代韓国文学の祖といわれているが、1892年に平安北道で生まれ、日本の早稲田大学に留学した。強烈なナショナリストであり、1919年に三・一独立運動の推進者の一人として、日本留学生による独立宣言を起草した。

いまも残る中国に対する事大主義

「統一新羅」という言葉は美しく響くが、先にも述べたとおり、新羅は、当時の東洋の模範的な国家であった高句麗百済を、外国である唐の軍を引き入れて、不意打ちによって倒した。

百済が660年に滅びた後、日本の大和朝廷が4万人の陸海軍を朝鮮半島に派兵して、「白村江(はくすきのえ)の戦い(663年)」を戦ったことが『日本書紀』に詳細に記されている。そして668年に新羅・唐連合軍が、高句麗を滅ぼした。

当時、高句麗の版図(はんと)は、今日の北朝鮮から満州・シベリア沿海州にまで及んでいたが、新羅満州からシベリア沿海州にわたる領土を放棄して、「国土統一」を成就させたのだった。
韓国古代史は統一新羅を美辞麗句をもって謳歌しているが、新羅が自らを「大唐国新羅郡」と卑下(ひげ)して読んだことを記録している。このような環境のもとで、国を失った高句麗百済の遺民の心境は、その後、卑屈におち、紳士どころではいられなかった。その結果、中国に対する”事大思想”は、今日でも、いまだに韓国で幅をきかせている。

進んで中国の属国になり下がった新羅李氏朝鮮の大罪

韓族はこのように旺盛な活力を持っていたのに、新羅による統一を機として衰退しはじめた。仁・義・礼・勇が充溢した独立自尊・高徳の国は、民族の裏切り者によって、かつて敵であった隣国の属領になり下がったのである。
そのことが何を意味するかというと、中国は今日に至るまで、どの時代をとっても孔子をも絶望させたように、社会がつねに腐敗していたが、この深い泥沼のような中国文化に組み込まれてしまったことが、韓民族に最大の不幸をもたらしたのである。
新羅は中国の属国となることによって、唐の元号を用いるかたわら、名前や、服装を唐風に改めた。韓人の姓は、三国時代までは二字姓だったが、創氏改名が強(し)いられ、一字姓となった。
またくわしくは後の章で述べるが、民族の衰退を加速させた2番目の要因は、李氏朝鮮の成立(1392-1910年)であった。