じじぃの「バラ色の時代・週休3日制がスタンダードになる?怖すぎる未来年表」

Future of Humanity. AI will create 'useless class' of human

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PeOacAo10cE

“useless classes” in human society

『動物と機械から離れて―AIが変える世界と人間の未来』

菅付雅信/著 新潮社 2019年発行

仕事の代替は古くて新しい問題である より

UBI(ユニバーサル・ベーシック・インカム)を提唱するのは彼だけではない。「欧州の当ら数知性」とも呼ばれるオランダの歴史家ルトガー・ブレグマンは、2016年に『隷属なき道――AIとの競争に勝つ ベーシック・インカムと1日3時間労働』を上梓した。そこでブレグマンは3つのアイデア――UBIの導入、週15時間労働へのシフト、そして国境線の解放――を提案している。AIが仕事を代替する社会においては。この3つの組み合わせこそが処方箋になる得るのだという。
また日本では、駒澤大学経済学部准教授の井上智洋がラディカルなUBI支持者として注目を集め続けてきた。井上は2019年5月に出版した『純粋機械化経済――頭脳資本主義と日本の没落』にて、ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』に出てくる「無用者階級」という言葉を参照しながら、未来の社会は『無用階級』『不老階級』に二極化すると警鐘を鳴らす。そして、技術による失業についてのさまざまなデータを引用しながら、UBIのような包括的な社会保障制度の必要性を強調している。

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『怖すぎる未来年表』

未来予測研究倶楽部/編 学研プラス 2018年発行

2028年 バラ色の時代の到来か? 週休3日制がスタンダードになる? より

週休3日制が今から10年以内に一般的になるという、勤労者にtっては夢のような可能性が高まっている。
文部科学省は、2020年の東京オリンピックパラリンピックに向けて、「夢ビジョン」という政策を打ち出しているが、その中で週休3日制も提唱されているのである。
それをすでに実現している国がオランダだ。オランダでは、同一労働同一賃金が当たり前で正社員も非正規社員も同じ扱いになり、ワークシェアリング(勤労者同士で雇用を分け合うこと)も定着している。
日本でもヤフージャパンが週休3日制導入を発表し、ユニクロも1日10時間X週4日勤務の週休3日制を導入している。
このような制度は企業にとっても、離職者を少なくするために有効な方策だといえる。
ただし、週休3日制にはデメリットもいくつかある。
まずは給料が少なくなる可能性があることだ。残業減の政策が実地されて残業代が減らされ、さらに給料そのものまで減らされたら、サラリーマンにとっては大打撃になる。
オランダでは、給料の減少分を政府が補填する政策を実施することで、この問題を解決している。日本もそうすればよいという意見もあるが、それはオランダの消費税が21パーセントだからできたことかもしれない。
さらに、週休3日制は結局のところ公務員と大企業に恩恵をもたらすだけで、中小企業には無縁どころか、他人が休むために負担を強いられるのではないかという危惧もある。

また、少ない時間で効率よく仕事をすることを企業から求められるため、じっくりと仕事をするタイプの人は就職しづらくなったり、退職を迫られたりする可能性もあるのだ。

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どうでもいい、じじぃの日記。
2030年、バラ色の時代の到来か? 週休3日制がスタンダードになっている?
日本の労働生産性は、40年以上も前から先進国では最下位なのだそうだ。
イスラエル歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの著書『ホモ・デウス』によれば、未来の社会は「無用階級」と「不老階級」に二極化するという。
実は、現在アメリカの「ラストベルト」と呼ばれるかつての工業地帯で白人の自殺者が増加しているらしい。
一説には、AI化が進み労働で人間を必要としない時代がすでにきているらしい。
韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が今年アカデミー賞作品賞を獲得した。
格差と貧困という、日本にとっても人ごとではない社会問題を主題にしたものだ。
10年後、世界はバラ色の時代になっているのでしょうか。

じじぃの「歴史・思想_136_韓国・堕落の歴史・日本に渡った韓民族」

古代朝鮮と多元的外交展開か「渡来人いずこより」展

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5g6xHK7uIGU

538年には、百済から仏教が伝わります

渡来人

5世紀ごろ、朝鮮半島から渡来人とよばれるすぐれた技術者が日本にやってきて、漢字や須恵器(すえき)を伝えます。
http://yayoigaoka-seminar.com/juniorschool/syakai/rekisi/16kuniguni-kohun/toraijin.html

『韓国 堕落の2000年史』

崔基鎬/著 祥伝社新書 2019年発行

”韓国病”はどこから始まったか?――かつての高徳の民を退廃に導いた痛恨の出来事 より

続々と日本に渡った韓民族をしのばせる遺品

高霊は、現在では人口10万人で、農業を主な地場産業としているが、意富伽耶(おおかや)の王宮跡の復元工事が進んでおり、大邱から馬山まで結ぶ邱馬高速道路を使えば、大邱から35分ほどの距離にすぎない。
古事記』と『日本書紀』は日本の最古の歴史書であるが、韓国南部にあった伽耶の国の王子たちが、当時、韓国よりも肥沃な九州地方へ向けて、先を争って船で旅立っていったことを記録している。玄界灘の波を越えて着いたのが、博多地方であった。
『宗像(むなかた)神社の縁起』(『日本書紀』神代上)によれば、天照大神は自ら産んだ三柱の女神の湍津姫神(たぎつひめのかみ)を玄界灘にある沖島(おきのしま)にある沖津宮へ、市杵島姫(いちきしまひめのかみ)を筑紫の宗像郡大島村の大島にある中津宮へ、田心姫(たごりひめのかみ)を、宗像郡玄海町田島の宗像の辺津宮(へつのみや)に住まわせた。
三柱の女神はそれぞれ任務を与えられたが、天孫降臨の経緯として「三女神を筑紫洲に天降らせて、三ヵ所の神社におくり、『汝三神(いましみはしらのかみ)宜しく道中に降居して、天孫を助け奉り、天孫に祭れよ』と命じた」と書かれている。
今回の説によれば、天孫とは、伽耶から玄界灘を渡って、九州地方に着いた王族や、官僚たちのことになる。
当時の日本に築かれた古墳が、韓国の古墳の形と似ており、副葬品としてやはり酷似した舟の埴輪(はにわ)などが多く出土するのも、古墳時代から伽耶族と百済族が舟で波浪を乗り切る猛犬をしながら、九州地方へ渡ったことを偲(しの)ばせる。これらの埴輪や、銅矛(どうほこ)、銅鏡、石製紡錘車、石鏃(いしやじり)は、時には一度に数万人を数える多人数をもって、九州へ向けて海原を渡った人々の名残をとどめている。
一時に数万人が渡ったというと、人数が多すぎると訝(いぶか)るかもしれない。しかし、大和朝廷が7世紀後半に百済を救うために出兵した時には、4万人を送っている。たとえ人数に誇張があり、事実はその半分だったとしても、数万人が、一時に海を渡ったことになる。
2000年6月に、兵庫県日本海側の出石町の遺跡から、15隻の丸木舟の船団の姿を線刻した板が発見されたが、この町には新羅の王子の天日槍(あめのひぼこ)の渡来伝説が残っている。耳を澄ませると、船を操る人々の掛け声が聴こえてくるようだ。

日本の文字文化に貢献した王仁(わに)とその一族

当時の朝鮮半島は、どのような状況にあったのだろうか? 百済(前史時代を含めて紀元前42年から紀元660年)は古代世界において、他に類例を見ないほど高い文化水準を保っていた。
日本では4世紀末期に応神(おうじん)天皇の治世に、百済王が学者であった阿直岐(あちき)を派遣して馬2頭を天皇に貢上した。阿直岐は経典に通じていたため、皇太子であった菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の師となった。
この阿直岐が自分より優れているといって推挙したために、百済から王仁(わに)が来日した。この時に、王仁は『論語』(10巻)と『千字文』(1巻)を伝えた。王仁は冶工(やこう)、醸造人、呉服師をつれて来朝したが、”文の首(ふみのおびと)”と仰がれ、日本に文字が普及するきっかけをつくった。
日本書紀』によれば、当時の大和朝廷では、百済語が話されていた。百済語が日本語の源流であり、記紀万葉集百済語で書かれていたという説すらあるぐらいである。これは帝政ロシアの宮廷において、フランス語が用いられていたようなものだったろう。
今日でこそ、日本において韓国は「近くて遠い国」と呼ばれているが、王仁の時代には朝鮮半島と日本はほとんど一体といってよい関係によって、密接に結ばれていた。
王仁の子孫は代々にわたって河内(かわち)に居住して、朝廷に文筆と記録を編纂することによって仕え、日本文化の発展に貢献した。王仁はその名を『古事記』のなかでは『和迩吉師(わにきし)』、『日本書紀』では「王仁」と書かれている。
王仁百済の近仇首王代(在位375-384年)の学者であって全羅南道の霊岩の月出山の麓にある聖基洞が生誕の地とされており、毎年、記念行事が催されている。
ところが、最近になって、一部で王仁が漢の高祖の子孫であるとか、後漢霊帝の後裔(こうえい)であると唱えているのは。私に言わせれば史実を歪めているものである。

「紳士の国」として知られた韓国

2001年に加耶文化研究所の学術会議が開かれた日は、空が晴れあがって爽(さわ)やかだった。6月のこのあたりは、萌えたつような緑が眩(まぶ)しく、もっとも快い季節である。私はかつての伽耶の都のあたりを散策しながら、韓日関係と、新羅百済高句麗による三国時代以後の韓国の悲しい歴史について思いを巡らせた。
当時の韓国は3つの国に分かれていたが、その時代までは、国際的に高貴な「紳士の国」として知られていた。「紳士」は日本では明治以後に英語の「ジェントルマン」の訳語として定着するようになったが、もっと古い言葉である。「紳」は貴人が衣冠束帯の時に用いる大帯であって、ここに笏(しやく)をはさむことから、高い人格と教養を持った男子を意味した。
三国時代以前の韓国は、中国古代の地理書である『山海経(せんがいきょう)』や、中国の前漢の文学者である東方朔(生没不明)による書物や『三国志魏志東夷伝』などに現れるが、「仁と義」、「礼、勇、寛大」、「博愛と禁欲的な廉潔」、「自尊、武勇、快活」さに溢(あふ)れた国として描かれている。

じじぃの「時間管理・テレビやケータイを切る勇気を!16歳の教科書」

How to set Daily Usage Time Limit On Android Apps

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=frGVcdDPMGQ

スマートフォンを自分の意志で制限する

『16歳の教科書 ~なぜ学び、なにを学ぶのか~』

7人の特別講義プロジェクト&モーニング/編 講談社 2007年発行

社会科 「情報編集力」を身につけよう 【執筆者】藤原和博 より

●テレビとケータイを切る勇気を
ぼくが受験勉強で得たものは、ふたつある。
ひとつは戦略性、全部覚えることなんて到底無理なんだから、どこに絞るかということがポイントになる。
人間って、「やることを絞ろう。時間も能力も限られているんだから」と気がついたとき、はじめて戦略的になれるんですよ。限られた時間の中、自分の労力をどこに注いでいくか、真剣に考えることができるようになる。
それで、自分が練り上げた戦略を貫くには、集中力が必要になってくる。特に僕は、まともな受験対策なんて最後の半分だけだったから、とてつもない集中力を要したんだ。
だから、僕は入学受験によって集中力という「剣」を手に入れて、戦略性という「盾(たて)をもゲットした感覚があるな。
じゃあ、基本的に、これからみんながどうやってそれを手に入れるか?
答えは簡単で、中学と高校ではテレビの時間を制限することと、ケータイの使用を徹底的に制限すること。……こんな結論だと、みんなに嫌われちゃいそうだけどね。
だって、テレビってものすごく面白いでしょ。ケータイだって必需品だ。
でも、それほど面白いものを「自分の意志で制限する」ということができれば、その後の人生でのライフマネジメントに大きな影響を及ぼすに違いない。人生をマネジメントする力になる。面白いバラエティ番組をやっているときでもダラダラ見てないで、スイッチを切るという勇気や潔(いさぎよ)さが、社会に出たときの決断力として利(き)いてくる。
ケータイにしても、ダラダラ待ち合わせしないで「土曜日の1時に渋谷ハチ公まで」って決断する。それで、当日はなにがあっても1時間前に駆けつける。
これは、社会に出てからなによりも大事なタイムマネジメント能力になる。時間管理や自己管理能力につながっていくんだな、これが。
絶対、中高生のうちに鍛えたほうがいいよ。
そして、テレビやケータイを制限すると、自然と別のコミュニケーションを求めるようになるでしょう。それで気がついたときには、自分の周りに以前よりはるかに豊かな「(タテでもヨコでもない)ナナメの人間関係」ができてくるはずだから。

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どうでもいい、じじぃの日記。
市内の図書館が閉まっていたので、古本屋に行った。
『16歳の教科書』か。
人間って、「やることを絞ろう。時間も能力も限られているんだから」と気がついたとき、はじめて戦略的になれるんですよ。限られた時間の中、自分の労力をどこに注いでいくか、真剣に考えることができるようになる。
だって。

じじぃの「歴史・思想_135_韓国・堕落の歴史・高天原は韓国にあった」

5世紀頃の朝鮮半島

5~6世紀 伽耶古墳群

高句麗 世界史の窓

三国時代高句麗
高句麗によって楽浪郡帯方郡が滅んだことは漢民族による朝鮮半島直接支配が終わったことを意味し、半島南部の韓民族も自立の動きを早めることとなり、馬韓百済が、辰韓新羅が統一し、4世紀後半からの朝鮮半島三国時代へと移行した。
三国時代には、高句麗の南下は主に百済に向けられ、百済は対抗上、中国の南朝倭国(日本)とも結んだ。一方、新羅とは比較的友好関係を保ちながら、勢力を南下させていった。

そのころ、朝鮮南部は加羅と言われ、小国家分立が続いていたところに、倭の勢力も進出したため、高句麗と倭は直接戦うこともあった。

https://www.y-history.net/appendix/wh0301-081.html

『韓国 堕落の2000年史』

崔基鎬/著 祥伝社新書 2019年発行

”韓国病”はどこから始まったか?――かつての高徳の民を退廃に導いた痛恨の出来事 より

高天原(たかまがはら)は韓国南部にあったという説

日本の建国神話の中心である「高天原(たかまがはら)」の故地が、従来言われてきた宮崎県の高千穂ではなく、韓国東南部、慶尚北道高霊郡の高霊だった――こんな驚くべき学説が出され、日韓両国の学界から、注目を集めている。
加耶(かや)大学に付属する加耶文化研究所の主催によって、3年前、はじめて学術研究会が催され、そのときに両国の学者が当地に集まり、「高天原故地」の石碑の除幕式も、行なわれた。
そして2001年にも加耶文化研究所が、韓日両国の歴史学者を高霊市に集めて、「高天原」の故地が、ここ高霊にあったとする説を検証する学術研究会が行なわれた。
そもそも高霊は、古代の大加耶(おおかや)の首都があった土地である。大加耶任那加羅の前身である弥鳥邪馬国(みおやまと)であり、『日本書紀』によって意富加羅国(おおからこく)と記されているが、紀元前から5世紀にかけて鉄文化を発達させた。
今年の研究会には、日本から馬淵和夫筑波大名誉教授、歴史研究家の寺本克之氏、加藤瑛二名城大学教授をはじめ40人、韓国側から李慶熙加耶大総長、李鐘恒国民大前学長や、地元の郷土史学者などが参加して開催された。
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同祖同根だった日韓両国民

この説によれば、ここ高霊から、皇族である「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」一行が海を渡って、倭国に政権を打ち立てたことになる。日本から見れば、この地こそ古里であり、母国に当たるということになる。
任那加羅(ニムナカラ)、すなわち「任那(みまな)」の「任(イム)」は、韓国語で主人、あるいは母を意味しているから、「母の国」あるいは「主人の国」という意味になる。
今日では韓国では、目上に宛てて手紙を書くときには、「様」のかわりに「任」を用いる。
加藤教授は「今日まで高天原の故地は、九州の高千穂であると信じられてきたが、李総長がここ大加耶であることを突き止められたことに敬意を表すとともに、日本の歴史の故郷が、ここ高霊加羅(タカマガハラ)にあると認める。日本人の故地、加羅にあることも広く知らせたい」と述べた。
もし、この説が実証されれば、日韓両民族はかなりの確率で同祖同根ということになる。この説は、日韓両族が同じウラル・アルタイ人種であって、生まれた時に尻に蒙古斑点が見られることによっても、裏づけられる。
伽耶」は朝鮮半島南部にあり、高霊伽羅(任那伽耶または意富伽耶)をはじめ、「六伽耶」と呼ばれる6つの国に分かれていた。
しかし、新羅によって、532年に金官伽耶が532年に高霊伽耶が征服され、残った小さな4つの伽耶諸国も、次々と新羅支配下に入った。こうして朝鮮半島の歴史は、新羅(しらぎ)、百済(くだら)、高句麗(こうくり)による三国時代へと移行していった。
李慶熙総長によれば、「伊奘諾尊、伊奘冉尊(いざなみのみこと)、天照大神高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」の諸神が、九州地方に渡ったという形跡はまったくなく、現在でも高霊にある高天原に居住していて、渡ったのは「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」と天孫である「瓊瓊杵尊」らだったという。
そして『日本書紀』に天孫が降臨したとされる「櫛触峯(くしふるたけ)」と「櫛日二上峯(くしひのわたかみだけ)」の「くしふる」が伽耶の地にある「亀旨峰」のことであり(『古事記』では、「久土布多気」と表記)、「添山此云 曽褒里能耶麻(そほりのやま)
」が新羅の王都「徐伐(ノボル)」(現在のソウルの語源)であると、推測している。
馬淵教授は、百済伽耶から発した「天孫民族が精強な武器を用いることによって日本国中を征服して、大和朝廷を建てた」と発表した。
高霊は大邱(テグ)から西南へ、34キロ行ったところにある。高霊地方は伽耶山国立公園として知られている伽耶山麓の一帯の地域を指すが、ここに大伽耶の首都があった。
伽耶山には海印寺があるが、高麗時代の「八万大蔵経(はちまんだいぞうきょう)」(別名「高麗大蔵経」)という、膨大な量の木板(印刷のための版木)を所蔵していることによって知られている・この「八万大蔵経」は、韓国の代表的な文化遺産の1つである。

続々と日本に渡った韓民族をしのばせる遺品

高霊は、現在では人口10万人で、農業を主な地場産業としているが、意富伽耶の王宮跡の復元工事が進んでおり、大邱から馬山まで結ぶ邱馬高速道路を使えば、大邱から35分ほどの距離にすぎない。
古事記』と『日本書紀』は日本の最古の歴史書であるが、韓国南部にあった伽耶の国の王子たちが、当時、韓国よりも肥沃な九州地方へ向けて、先を争って船で旅立っていったことを記録している。玄界灘の波を越えて着いたのが、博多地方であった。

じじぃの「ベッドの下・何かが布団を引っ張っている!怖すぎる実話怪談」

Under The Bed Official Trailer 1 (2013) - Jonny Weston Horror Movie HD

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1oTgs2Aelbg

The Dark Knight

ベッドの下の男

ウィキペディアWikipedia) より
ベッドの下の男とは、アメリカの都市伝説の一つ。「下男」「ベッドの下の通り魔」「ベッドの下の斧男」等と呼ばれることもある。
対象が友人の友人であったり、姉妹であったり、友達大勢であったり、男が持っている凶器が斧や鎌であったり、男が隠れているのがクローゼットの中であったり、押入れであったり、舞台が海外のホテルや山中のペンションであったりと似たような様々なバリエーションが存在する。

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『怖すぎる実話怪談 瘴気の章』

結城伸夫+逢魔プロジェクト/編 文庫ぎんが堂 2019年発行

ベッドの下 より

40年以上の人生の中で、初めて神奈川県の某病院に入院する羽目になった。
入った病室には、2人の患者がベッドを並べていた。
食事は美味しいとは言えなかったが、一応問題なく退屈な入院生活が始まった。
手術も無事終え、少し歩けるくらいまでに体力が回復したある夜のこと。
何時頃だったか覚えていないが、なんとなく金縛りが来そうな気配を感じた。
私は少し霊感めいたものがあるのか、時折あり得ないものを感じる。この時も、やばいと思ったので、体の力をスッと抜いて対処するようにしていた。
すると、ベッドの下から何かが布団を引っ張っているのがわかった。
ベッドの下に潜む者などいないので、初めは夢を見ているのだろうと思った。寝ているのか起きているのか、自分の意識を確認してみると、確かに意識は覚醒している。
布団が下に落ちないよう、私は両腕に渾身の力を込めて布団を押さえた。しかし、ふと気を緩めると、ぐいぐいと布団を引っ張る力がはたらく。
妙なことが起きているとわかった時、私はいつものやり方を試みた。
それは心の中で霊に語りかけること。
(あなたは誰なんですか……?)
心に感応する答えは返ってこない。これも通常のことではある。
(わたしに何か話たくて来ているんでしょう?)
しばらく待っても、やはり応答はない。
(私はあなたに危害を加える者ではありません。だから、ここには来ないでください)
    ・
入院患者は回復して退院できる人と、回復できずに死という形でしか出られない人の2つしかない。私は幸い回復して退院することができた。
もし、回復できずに亡くなったとしたら、今度は自分が誰かの布団を下から引っ張るようになるのだろうか……。

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どうでもいい、じじぃの日記。
何時頃だったか覚えていないが、なんとなく金縛りが来そうな気配を感じた。
すると、ベッドの下から何かが布団を引っ張っているのがわかった。
あの金縛りは、死後硬直の予兆であった。
お花畑の桜がおいで、と私を呼んでいるのだった。

じじぃの「科学・芸術_989_中国でいま何が・急変する対日感情」

日中首脳、和やかに会談 関係改善加速で一致(18/09/12)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=XfyGFAByiPg

『中国でいま何が起きているのか』

邱海涛/著 徳間書店 2019年発行

急変する対日感情と日中間系の今後 より

日中接近の裏では何が

改革開放が始まった1980年以降、中国と日本のあいだでは教科書検定問題や首相の靖国神社参拝など政治的なトラブルがいくつか起こったが、いずれも限定的なものだった。
しかし、2012年に尖閣諸島が国有化されると、日中関係は急速に悪化し、中国の反日運動は決定的なものとなった。
当時の中国では、民間団体であろうと政府機関であろうと、日本側とのいっさいの対話や交流が禁止された。筆者には、不老不死の薬を求める秦の始皇帝によって日本に派遣されたとされる徐福を研究する「中日徐福研究会」の友人がいるが、尖閣諸島が国有化されて以降、会員間の交流や会議がぴたりととまったそうだ。
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いうまでもなく、韓国と中国は日本に対する歴史問題で共闘してきた。日本としては、中国との関係改善によっれ中韓の共闘関係を断ち切りたいという思惑も働いているだろう。
実際、今回の日韓対立では、多くの中国人が日本を支持している。というのも、日本も日本人も約束をよく守るために中国人は敬服しているが、韓国および韓国人はよく騙すという印象が強いからだ。
いずれにせよ、そのような双方の思惑から、日中対立の構図がついに崩れたわけだ。

対日感情と対米感情の差

中国人が日本人を非難する際、「中国が台頭するたびに、いつも日本は中国を挑発し、数々のトラブルを起こして行く手を阻(はば)もうとする」とよく言われてきた。中国人は、そうしたことが歴史上5回もあった、と主張している。
2回目までは白村江(はくそんこう)の戦いと元寇という古代の話であるが、3回目は日清戦争、4回目は1930年代からの日中戦争、そして5回目が2012年の尖閣諸島国有化だとしている。
しかし、現実には、いま中国を滅ぼそうとしているのはアメリカだ、と中国人は悟るようになった。そのため、米中対立はこれから相当長く続くだろうと思われる。
貿易会社に勤める友人は、「ようやくアメリカ人の本性がわかった。かなり性格が悪い。
貿易会社に勤める友人は、「ようやくアメリカ人の本性がわかった。かなり性格が悪い。ビジネスではつきあわざるをえないが、深い交際は避けたい」と不快そうにつぶやいていた。
これまで、中国人が日本とアメリカに対してもっていた認識や感情の違いは、以下のようなものだった。
アメリカは広く、日本は狭い。このため、自然と日本を見下す心理が生まれる。中国人は大きい者を敬うが、小さいものは侮蔑する。だから、中国人が日本を貶める際には「小日本」(ちっぽけな日本)という言葉をよく使う。
●第2次世界大戦が終わるまで、世界列強のなかでは、アメリカが中国にももたらす被害がいちばん小さかった。日本は敗戦国で中国に対して罪がある。このために日本を憎む心理が生まれる。そのうえ、日本人は内向的で争いことが嫌いなため、強く言えば中国に従うと思われてきた。
●中国でも反米運動は起こるものの、反米思想が中国人に根づいていないために、短期間で終わることが多い。非西側諸国のなかで、中国人の反米意識がいちばん穏当で、反日意識がいちばん苛烈だといわれている。
●人権、民主、言論の自由、また法律体系など、アメリカは世界から世界から手本として崇(あが)められている。そのため、中国人にも自然とアメリカ崇拝の思想が生まれる。
上海で生まれ育った筆者は1985年に日本に留学し、以降、15年間、日本で生活してきたが、2000年からは仕事のために再び中国に定住することになった。
そこで筆者が驚いたのは、以前に比べてアメリカを紹介するテレビ番組が非常に多くなっていたことだ。映画はアメリカものばかりで、スポーツ番組もアメリカのスポーツの試合ばかりで、隔世の感があった。
しかし、現在では、アメリカを憎む中国人が急増しており、反日の声はほとんど聞こえなくなっている。もちろん、すべての中国人が反米に傾いているわけではないが、雰囲気としてかなり増えていることは確かだ。
中国人のあいだでは、無料インスタントメッセンジャーアプリの「微信」がよく使われている。「LINE」とほぼ同じ機能をもっており、好きなテーマを論じあうために立ち上げられるグループの内容は、政治、経済、軍事、文化、社会といったテーマが圧倒的に多い。
また、グループ内では反米と親米に分かれており、基本的に学歴が低い者は反米派に傾き、学歴が高い者は親米派に傾くようである。自分の利益にもかかわっているので、人びとは頻繁に交流して米中貿易戦争に関するニュースや情報を収集・交換し、不満の事態への対応策を考えている。いままで見たことがないほど、関心度が高まっている。

じじぃの「新型コロナウイルス・ワクチン・免疫記憶とはなにか?免疫力を強くする」

日本の製薬メーカーに世界が注目。今知りたい治療の最前線。関心の集まっている薬を3つ紹介。

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zbzhmd5pe50

新型コロナウイルス、「克服」までの道は既に見えている

2020.03.10 日経バイオテクONLINE
新型コロナウイルスは全く未知のウイルスではない
新型コロナウイルスはその名の通り、コロナウイルスの1種である。これまで人に感染するコロナウイルスは7種類見つかっている。そのうちの4種は一般的な風邪の原因の10%から15%(流行期は35%)を占めており、ほとんどの場合は軽症に終わる。残りの2種類は、2002年に発生したSARS重症急性呼吸器症候群)と2012年以降発生しているMERS(中東呼吸器症候群)だ。そして7番目に発見されたのが、今回の「新型」コロナウイルスだ。
インフルエンザのウイルスとの類似性から、新型コロナウイルス感染症への治療効果が期待されているのが富士フイルム富山化学の「アビガン」(ファビピラビル)だ。
インフルエンザウイルスは、宿主の細胞内に侵入後、(1)ウイルスの増殖に必要なゲノムRNAの複製や、蛋白質の合成に必要なmRNAの合成を行う。mRNAが翻訳され蛋白質が合成されるなどしてウイルス粒子が作られ、(2)宿主細胞から遊離することで、他の宿主細胞に伝搬して増殖を繰り返す。アビガンは(1)のプロセスに関わるRNAポリメラーゼを阻害してウイルスの増殖を抑え込めると考えられている。
米Gilead Sciences社が開発した「レムデシビル」もドラッグリポジショニングに近い事例といえる。もともとエボラ出血熱の治療薬として開発が進められている抗ウイルス薬であるが、RNAポリメラーゼを阻害することが報告されている。コロナウイルスの増殖にもRNAポリメラーゼが関わっているとされ、未承認ではあるが、アビガンと共に新型コロナウイルス感染症に対する有力な治療薬候補となっている。
https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/news/p1/20/03/09/06663/

『免疫力を強くする』

宮坂昌之/著 ブルーバックス 2019年発行

免疫記憶とはなにか? より

病原体が体内に侵入してくると、からだの防御システムが働き、その拡散を食い止めようとします。最初に働くのが「自然免疫系」です。このしくみで病原体の侵入・拡散が防げない場合には、より高度で洗練された機能を持つ「獲得免疫系」が働きます。それぞれの免疫系には、種々の役者が存在し、共同して働きます。たとえ病原体自体が侵入してこなくても、ワクチン接種をすると、これらの役者たちが刺激を受け、その結果、獲得免疫系が活性化されて、ワクチンに含まれる病原体あるいはその構成成分に対する免疫(=臨戦態勢)ができあがります。
一方、他の病原体に対する反応性は元と変わりません。つまり、ワクチン接種では特定の病原体に対してだけ臨戦態勢ができあがるのです。また、このような状態は、自然免疫系、獲得免疫系の両方が適切に刺激を受けたときにだけできあがります。つまり、ワクチンが働く標的は、自然免疫系、獲得免疫系の両方です。

長期持続性の記憶と短い記憶

ワクチンにはからだに長い免疫記憶を与えるものと、そうでないものがあることについて触れました。たとえば、破傷風、風しん、麻しん(はしか)、ジフテリア、HPV、おたふく風邪などのワクチンの効果は数十年も続きますが、百日咳ワクチンではわずか3年程度、インフルエンザワクチンではよくて4ヵ月程度しか効果が続きません。確かに、ワクチンには長期記憶を与えるものとそうでないものがあるのです。この違いは、なにによるのでしょうか。
一部はワクチンのせいだけではないかもしれません。麻しん(はしか)の場合は、本当に病原体による感染そのものが長期持続性の免疫を引き起こすようです。
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次に、きわめて短期にしか免疫を誘導できないワクチンについてです。
2011~2015年のアメリカでの調査で明らかになったインフルエンザワクチンの効力とその持続期間を示したグラフです。これによると、前記機関におけるアメリカのインフルエンザワクチンの有効率はわずか34%強で、しかもその効果は4ヵ月しか続かなかったとのことです。
既に、第3章でワクチンの有効率について説明しましたが、混乱しないように、ここでもう一度触れますと、「ワクチンの有効率が34%強」ということは、「このワクチンの接種を受けずに発病した人の34%強は、ワクチンをしていれば発病は防げた」(つまり、ワクチン接種しても6割以上の人では発病を防げなかった)ということです。

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どうでもいい、じじぃの日記。
新型コロナウイルス」が世界中で拡散中だ。
テレビを観ていたら、コメンテーターの人が、「もしかしたらイタリアでウイルスが新たに遺伝子変異しているかもしれない」
とか言っていた。
これも別のテレビで言っていたことだが、コメンテーターの人がこんなことを言っていた。
「米国は今後の対応を間違えるとリーマンショック級の大きなダメージを受ける危険性がある。中国がもし世界に先立ってワクチンを開発して中国が世界を救ったという形で動けるポジションができると中国が息を吹き返す可能性がある。韓国は今の状況だと中国に行かざるを得ない。これから中国、米国、日本の間でし烈なワクチン開発競争がはじまるだろう」
司会者、「中国は新型コロナウイルスの発生源であるのにこれを踏み台にして覇権国の道を突き進むのではないかと」
ぜひ、日本が新型コロナウイルス開発で、世界の覇権を掴んでほしいところです。