じじぃの「科学・芸術_879_クロード・シャノン・チェスコンピュータ」

Claude Shannon - Father of the Information Age

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=z2Whj_nL-x8&t=1151s

Claude Shannon's Chess Board

クロード・シャノン

ウィキペディアWikipedia) より
クロード・エルウッド・シャノン(Claude Elwood Shannon, 1916年4月30日 - 2001年2月24日)はアメリカ合衆国の電気工学者、数学者。20世紀科学史における、最も影響を与えた科学者の一人である。
情報理論の考案者であり、情報理論の父と呼ばれた。情報、通信、暗号、データ圧縮、符号化など今日の情報社会に必須の分野の先駆的研究を残した。アラン・チューリングジョン・フォン・ノイマンらとともに今日のコンピュータ技術の基礎を作り上げた人物として、しばしば挙げられる。
【シャノンのチェスプログラム】
1949年にコンピュータチェスに関する画期的な論文「チェスのためのコンピュータプログラミング」を発表し、力ずくの総当たりでなくコンピュータがチェスをする方法を示した。
コンピュータがどの駒をどう移動するかを決定するのにシャノンが用いた方法が、評価関数に基づいたミニマックス法だった。評価関数は、駒の価値や、駒の位置の価値、移動の価値などをすべて数値化して「局面」の価値を評価するものであり、シャノンはその後のゲーム展開を探索木(Search tree)に分類してどの着手がもっとも良いかを探索する方法について考察している。この論文はコンピュータゲームでのコンピュータの思考プログラム設計の原典となった。

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クロード・シャノン 情報時代を発明した男』

ジミー ソニ、ロブ グッドマン/著、小坂恵理/訳 筑摩書房 2019年発行

チェスコンピュータ初号機 より

1965年にロシアを訪れたシャノンは、インターナショナル・グランドマスターであり、3度にわたって世界チャンピオンに輝いたミハイル・ボトヴィニクに親善試合を申し込んだ。おそらく様々な用心との遊びのゲームに何度も付き合わされていたボトヴィニクは、朝鮮に応じたもののゲームに気乗りではなく、ずっとタバコを吸い続け、関心のなさは部屋にいる全員に伝わった。ところがゲームが始まってほどなくシャノンは、ナイトとポーンをボトヴィニクのルークといきなり交換し、有利な立場を確保した。ボトヴィニクは直ちにチェス盤に集中し始め、部屋の雰囲気はがらりと変わった。今回の要人は、いつものへたくそな挑戦者とは違うことをロシア人のチャンピオンは認識したのだ。「ボトヴィニクは心配そうでした」と何年も後にベティは回想している。
仰天した世界チャンピオンをはじめ、誰もが予想していた以上にゲームは長引いた。それでも結果に疑いようはなかった。42回目の指し手の跡、シャノンはキングをひっくり返して負けを認めた。史上最強のチェスプレイヤーのひとりと評されるボトヴィニクを相手に大健闘したことは、シャノンにとって生涯にわたる自慢の種になった。
(このロシア訪問でのもうひとつの出来事からは、シャノンとベティのユーモアセンスがうかかえる。ホテルの部屋の鍵がこじ開けられているとシャノンが声を出して文句を言うと、直ちに錠前師がやって来たので、ソビエト当局によって会話を盗聴されているのではないかとふたりは疑いを強めた。そこで今度は、自分の著書のロシア語版の印税を受け取っていないとシャノンが声に出して文句を言うと、翌日には小切手が発行されたのだった)。
シャノンはコンピュータ・チェスに関する研究を始めるが、やがてこれもまた情報理論のときと同様、新しい分野に進出した途端にその限界を明らかにして、重要な可能性を数多く発見した事例のひとつと見なされた。
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やがてシャノンは、人工的な脳が有機的な脳の能力をしのぐ日が来るという確信を強めた。彼が築いた土台に基づいてプログラマーグランドマスターレベルのチェスコンピュータを構築するのは何十年も先の出来事だが、そのような結果は回避できないと信じていた。機械が創造者を決して超えられないなど、彼によれば「馬鹿げた論理であり、間違った不正確な論理」だった。さらに彼はこう言う。「自分よりも賢いものを作るのは可能だ。このゲームでは、時間とスピードが賢さの決め手の一部になっている。僕は自分のニューロンよりも速く機能するものを作ることができる」。そこに神秘的な要素はいっさいない。
  僕は、人間は機械だと思う。冗談ではない。コンピュータと同じではないし、仕組みも異なるが、人間は非常に複雑な機械だと考えている。そして、人間は簡単に複製できる。人間には10の10乗、すなわちおよそ100億個の神経細胞があるが、このすべてを電子機器でモデル化すれば、人間の脳のように作用するだろう。もしも[ボビー・]フィッシャーの頭のモデルを制作すれば、フィッシャーの脳と同じように動作するはずだ。

じじぃの「牛乳・イライラするのはカルシウム不足だからは間違い?その習慣は間違い」

牛乳飲んでる?

管理栄養士が教えるカルシウムの必要量と吸収率 ~意外と知らない食べ物の「へぇ~」~

2018年2月2日 みどり病院
カルシウムって牛乳・乳製品、小魚に多く含まれていて、骨を強くする栄養素のイメージがあると思います。
カルシウムは骨や歯などの成長に関わるだけでなく、神経伝達、神経興奮の抑制、筋肉の収縮、血圧上昇を防ぐ等、人間の体には不可欠な栄養素で毎日体の中で新しい物と古い物が入れ替わって利用されているので、寝ている間にもカルシウムは消費されているんですよ。
http://midori-hp.or.jp/nutrition-blog/food_i_do_not_know_surprisingly_calcium/

『その習慣、じつは大間違い!』

博学こだわり倶楽部/編 KAWADE夢文庫 2019年発行

「イライラするのはカルシウム不足だから」は間違い! より

イライラしていることを指摘されたとき、こうアドバイスされたことはないだろうか。
「カルシウムが足りないんじゃない? 魚食べてる? 牛乳飲んでる?」
しかし、カルシウム不足が感情のイライラにつながるという説に根拠はない。
この「イライラ=カルシウム不足」説は、高度成長期がピークを迎えた1970年代ごろから広がりはじめたとされている。
当時、急速に経済発展を遂げた日本だが、空気汚染やオイルショックなどが起こり、人々は心身ともにストレスも抱えることになった。加えて、このころは日本の食生活も大きく変わった時期。魚中心の和食メニューから肉中心へと、欧米化が一気に進んでいったのである。
これに目をつけたある雑誌が、「ストレス社会の原因はカルシウム不足」という記事を掲載。その後、「ストレスはカルシウム不足が原因」という定義が広まったともいわれている。
そもそも、血液内のカルシウムが不足すれば、骨に蓄えられたカルシウムから補う仕組みになっている。それでも足りなくなるほど、血中カルシウムが不足してしまうと、イライラどころでは済まなくなる。
カルシウムよりも、イライラと深くかかわりがあるものは「セロトニン」という脳内の神経伝達物質だ。
セロトニンは別名「幸せホルモン」とも呼ばれ、神経を興奮させる「ノルアドレナリン」や快感を増幅させる「ドーパミン」と並び、精神面のバランスを整える作用をもつ。これが不足するとストレスを感じやすくなるわけだ。
だが、セロトニンの原料である必須アミノ酸の「トリプトファン」は、人間の体内ではつくられない。豆腐、納豆、味噌、醤油などの大豆製品、チーズ、ヨーグルトなどの乳製品、さらにはバナナ、アボカド、アーモンドなどに多く含まれているので、おやつや食事に意識的に組み込もう。
ちなみに、「甘いものを食べると幸せになる」のは、あながち気にせいではなく、精製された砂糖は血糖値やセロトニンの値を上げる作用がある。ただし、砂糖で上げたセロトニン値は短時間でグンと下がってしまうので、一気に気分がふさいでしまう危険もある。

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どうでもいい、じじぃの日記。
昔から、牛乳はカルシウムの宝庫とされ、骨を作る上で大切な役割を果たしてきた。
「カルシウムが足りないんじゃない? 魚食べてる? 牛乳飲んでる?」
「健全な身体に健全な精神が宿る」
豆腐、納豆、味噌、醤油などの大豆製品や、チーズ、ヨーグルトなどの乳製品を多く摂ることは健全な精神をつくることにつながるのだそうです。

じじぃの「科学・芸術_878_クロード・シャノン・チューリングとの出会い」

Claude Shannon's Perfect Secrecy

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cAt6MYoGqJ4

information theoretic security; Shannon cipher system

クロード・シャノン

ウィキペディアWikipedia) より
クロード・エルウッド・シャノン(Claude Elwood Shannon, 1916年4月30日 - 2001年2月24日)はアメリカ合衆国の電気工学者、数学者。20世紀科学史における、最も影響を与えた科学者の一人である。
情報理論の考案者であり、情報理論の父と呼ばれた。情報、通信、暗号、データ圧縮、符号化など今日の情報社会に必須の分野の先駆的研究を残した。アラン・チューリングジョン・フォン・ノイマンらとともに今日のコンピュータ技術の基礎を作り上げた人物として、しばしば挙げられる。
【暗号理論に関する先駆的成果】
1949年に論文「秘匿系の通信理論」を発表し、ワンタイムパッドを利用すると情報理論的に解読不可能な暗号が構成でき、情報理論的に解読不可能な暗号はワンタイムパッドの利用に限ることを数学的に証明した(現代の暗号研究で考察されている計算量的に安全な暗号ではなく、情報理論的に安全な暗号を考察している点に注意)。
シャノンはこの論文で、暗号のアルゴリズム(暗号化方法)が知られてもなお安全である暗号(ケルクホフスの原理参照)について考察しており、はじめて暗号について数学的分析を行った。

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クロード・シャノン 情報時代を発明した男』

ジミー ソニ、ロブ グッドマン/著、小坂恵理/訳 筑摩書房 2019年発行

チューリングとの出会い より

暗号技術に関するシャノンの研究からは、のちの人生に重要な影響を与える結果がほかにも生まれた。デジタル時代のもうひとりの巨人、アラン・チューリングとの出会いだ。チューリングは1942年、軍事目的の暗号化プロジェクトを視察するためにイギリス政府が企画した視察旅行の一環としてアメリカを訪れた。この時点で、彼の名声はアメリカでも定着していた。数学に関しては小学生のときから驚異的な天才で、16歳までにアインシュタインの研究の内容を理解していた。23歳のときにはケンブリッジ大学のキングスカレッジの特別研究員に選ばれ、1936年にはチューリング・マシンを思いついた。この画期的な思考実験は、現代のコンピュータを理論的に支える土台となった。
チューリングもまた暗号解読に取り組んでおり、後にこの分野では世界的に有名な人物として歴史に名を残した。アメリカにやって来たのも暗号技術がきっかけで、アメリカの暗号研究者とのあいだで人脈を作り、滞在中に軍上層部と会談し、アメリカの機械の品質と安全性を確かめることを命じられていた。そのなかにはSIGSALYも含まれていた。イギリスの指導者がヴォコーダーで暗号化された会話を受信するのであれば、システムが解読不能だというお墨付きをチューリング博士が与えなければならない。
この件については秘密厳守が徹底され、チューリングとシャノンという評判の人物が関わり、当時は戦時下だったことからすると、ふたりの知的巨人の出会いにはどうしても陰謀の謎めいた雰囲気が漂う。しかし、ふたりの交流にスパイ小説のような展開はいっさいなかった。チューリング伝を書いたアンドリュー・ホッジスによれば、シャノンとチューリングが会った場所はいたって質素なベル研究所のカフェテリアで、周囲にほかの人たちがいる環境で、毎日お茶を飲みながら話し合っていたという。チューリングはある意味、多方面にわたるシャノンのキャリアをうらやんでいた。
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チューリングがイギリスに帰国したあと、ふたりは戦後にもう一度だけ会っている。1950年、シャノンが会議のためにロンドンを訪れ、そのとき時間を割いてチューリングを研究所に訪問した。それについて、シャノンはつぎのように回想している。
  マンチェスター大学チューリングを訪問した……このとき彼は、チェス指しコンピュータのプログラム開発に興味を持っていた……僕もこの問題にはかなり関心があった。実際、その頃の彼はコンピュータのプログラム開発に夢中で、2階がオフィスで、1階にコンピュータが置かれていた。当時はコンピュータは揺籃期だった。
ふたりはチューリングが書いたプログラムについて議論した。数十年後、シャノンはそのときのことを回想している。
  いま何をやっているのかと尋ねた。すると、コンピュータの内部で何が進行しているか知りたくて、コンピュータからのフィードバックを改善するという方法に取り組んでいると教えてくれた。そしてそのために、すごいコマンドを発明したという。当時は様々なコマンドの研究がさかんで、優れたコマンドの発見が大きな課題だった。
  それで、これは何のコマンドかと尋ねると、フッターにパルスを送るためのコマンドだと教えてくれた。フッターにパルスを送るといっても、ピンとこないだろうね。わかりやすく説明しよう。フッターというのは……イギリス英語で拡声器のことだよ。拡声器にパルスを送るということと、フッターにパルスを送ることは同じなんだ。
  では、このコマンドのどこがすごいか。ネットワークでループ障害が発生したときにこのコマンドを使えば、コマンドがループを巡回するたびにパルスが送られ、所要時間に応じた周波数の音とが聞こえるところだ。ループが大きくなれば、周波数はそれに応じて変化する。したがって、ループ障害が発生すればいつでも「ブー、ブー、ブー、ブー、ブー、ブー」と音が聞こえる。その音を上手に聞き取れば、ループ障害が発生しているのか、それともほかの何かが発生しているのか、状態を確認できる。以前には区別できなかったことだ。
情報時代の土台を築いたふたりの巨人は、戦後の再会を心から楽しんだ。しかしこれは、ふたりがじかに話し合う最後の機会となった。同性愛が違法とされる時代に、チューリングは「わいせつ行為」で有罪判決を受け、シャノンの訪問を受けた4年後に青酸中毒で死亡した。彼の死は自殺と断定されたが、詳しい状況は今日に至るまで謎に包まれている。

じじぃの「共有結合・なぜ水は生命にとって最も重要な物質なのか?分子生物学」

【化学基礎】 物質の構成32 共有結合と分子 (7分)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?time_continue=33&v=5nmrMZfdOKI

水分子および共有結合の模式図 (spring8.or.jp HPより)

炭素原子を使った共有結合性結晶 (sidaiigakubu.com HPより)

【高校化学基礎】「共有結合とは」

Try IT
●「共有結合」とは、原子同士がお互いの価電子を出し合い、それを共有してつくる結合
それに対して、水はどのように結合しているでしょうか?
順番に考えてみましょう。
https://www.try-it.jp/chapters-8873/sections-8997/lessons-8998/

『図解入門 よくわかる分子生物学の基本としくみ』

井出利憲/著 秀和システム 2015年発行

共有結合 より

炭素は4本の結合手を持っていて、ほかの原子と共有結合します。炭素だけが共有結合によって立体的にドンドン結合したものがダイヤモンドです。有機化合物は、炭素と炭素以外の原子とが共有結合した化合物です。結合手って何だ? 共有結合とはどんな結合なんだ?
共有結合というのは、原子同士が外殻電子を共有して、電子のペアを作って結合するものです。外殻電子を共有して、電子のペアを作って結合するものです。外殻電子の数は水素、炭素、窒素、酸素でそれぞれ違いますが、水素の電子殻は2つの電子で安定し、炭素、窒素、酸素の外殻電子殻は8つの電子で安定するという性質があります。
こういう性質のため、水素は1本、酸素は2本、窒素は3本、炭素は4本の結合手を持つように見えるわけです。
炭素、窒素、酸素から出ている結合手は図のような平面状ではなく、正四面体の中心から4つの頂点に向かって出ているものが真実の姿です。水も同様で、水素との共有結合
他の水素との水素結合の方向は、酸素から見ていずれも正四面体の頂点に向かっているわけです。細かいことを言うようですが、これから様々な有機化合物の構造を理解する上では、これくらいは心得ておいた方がよいかなと思っている次第です。

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どうでもいい、じじぃの日記。
暑い日が続くなか、コップに氷を入れてアイスコーヒーを毎日飲んでいます。
実は、コップの中の水は、ほとんど全部水素結合を通じてつながっているのだそうです。
水は分子が互いに強く結合しているために、生命維持に欠かせないらしい。
体の中の炭素は、水素や酸素、窒素などと共有結合して安定な有機化合物を形成しています。
天の川銀河だけで1000億の恒星があるといわれている。
なぜ、地球以外に我々のような生命体が見つかっていないのか不思議です。

じじぃの「科学・芸術_877_クロード・シャノン・最も重要な修士論文」

The Thinking Machine (Artificial Intelligence in the 1960s)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=aygSMgK3BEM

Claude Shannon pictured in May 1952.

クロード・シャノン 情報時代を発明した男』

ジミー ソニ、ロブ グッドマン/著、小坂恵理/訳 筑摩書房 2019年発行

はじめに より

クロード・エルウッド・シャノンが「情報時代のマグナカルタ」とも評される論文を発表し、その論文1本だけで情報というアイデアを世に送り出してから40年近く経過していた。ただし、彼のアイデアによって可能になった世界は、姿を現したばかりだった。今日、私たちは情報が氾濫した世界に暮らしているが、送信するすべてのeメール、鑑賞するすべてのDVDやサウンドファイル、読み込むすべてのウェブページが存在しているのは、クロード・シャノンのおかげだ。
    ・
「おそらく20世紀で最も重要で最も有名な修士論文」と共に始まったキャリアのおかげで、シャノンはブュシュ、アラン・チューリングジョン・フォン・ノイマンといった思想家と出会い、共同研究する機会に恵まれた。シャノンと同じく全員が、今日の土台を築いた。シャノンは不本意ながら、アメリカの防衛機関に協力する機会も多く、第二次世界大戦の最中には暗号解読、コンピュータ制御式の砲術、さらには大西洋を横断してルーズベルトチャーチルを結ぶ電話回線などの難事業にも駆り出された。のちにシャノンはベル研究所に勤務することになる。
ここは企業の研究杯発部門として設立されたが、電話会社の一部門というより、「天才たちの活動」の拠点と見なされていた。「世間から不可能だと思われていることでも、いったんやると決めたら、ベル研究所の連中はほんとうにやってしまうんだよ」と、シャノンの同僚は言う。シャノンがそこで選んだのは「電話通信、ラジオ、テレビ、電報など、情報を伝達する一般的なシステムの気品的な性質の一部についての分析」だった。これらのシステムは数学的にはまったく別物だと思われていたが、シャノンはそれらがすべて本質的なものを共有していることを証明した。これがシャノンの成し遂げた2つ目の抽象化であり、最大の功績である。

史上最も重要で最も有名な修士論文 より

1930年代、「記号を使った計算」すなわち厳密な数理論理学と、電気回路の設計のどちらの分野にも精通している人間は、世界に一握りしか存在しなかった。これは、特に意外なことではない。シャノンの頭のなかで融合する以前には、このふたつの分野が共通点を持っているとはまず考えられなかった。論理を機械にたとえることはできても、機械が論理を実践できるわけではないと信じられていた。
ミシガンでの学生時代にシャノンは(何と哲学の講義で)、いかなる論理的陳述も方程式で表現することが可能で、数学に似たシンプルなルールでこれらの方程式を解けることを学んだ。
陳述の意味を理解していなくても、真偽を証明できる。実際、理解しようと努めないほうが悩む必要がなく、推論を自動的に進められる。このように、気まぐれな言葉を厳密な数学に変換するうえできわめて重要な役割を果たしたのが、19世紀のイギリス人天才数学者ジョージ・ブールだった。靴の修理屋だった父親には経済的な余裕ががなく、学校には16歳までしか通えなかぅたため、独学で数学を習得した。トムソンが最初の解析器を考案する少し前、ブールは1冊の本によって自らの天才ぶりを証明した。僭越にも彼は、著書に『The Laws of Thought(思考の法則)』というタイトルをつけた。そしてこの法則は、少数の基本的な演算子――AND、OR、NOT――に基づいていることを示したのである。
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これは非常に興味深い内容だったものの、ほぼ1世紀のあいだ、実用的な問題にほとんど応用されず、何世代にわたって学生には、哲学書の奇抜な発想として教えられてきた。それが、クロード・シャノンにも教えられる機会につながった。当時は、「ブーリアン」という言葉の響きが面白かった程度だと彼は語っている。しかし、100のスイッチを持つ箱の仕組みを理解しようと格闘しているとき、このルールの何かが頭の片隅に残っていた。ブュシュが解決しようとしている方程式は恐ろしく複雑だったが、そのなかで、閉と開、イエスとノー、1と0 といった、ブール代数の単純明快さはなぜか際立っていた。
1937年の夏にMITからニューヨークに向かったときにも、それは頭の片隅に残っていた。シャノン以外に、論理と回路を同時に考えるという発想に近づいている者たちがいたとすれば、ベル研究所の研究者たちだったろう。彼らは夏のインターンシップにシャノンを招いた。一時的な雇用で、臨時スタッフに割り当てられる通常業務をこなしただけだったらしく、研究所にも記録は残されていない。しかしシャノンは、数理論理学に対する深い洞察、回路設計に関する平均以上の知識、そしてこのふたつが関連しているのではないかという消えることのない疑念を研究所に持ち込んだ。つまりこれらのいっさいを、現存するなかでは最も複雑で広範な回路網を所有する電話会社の心臓部に持ち込んだのである。ネットワークの機能改善とコスト削減に数学的見地から取り組むことが、シャノンに任せられた仕事だった。
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「おそらく今世紀で最も重要で、最も有名な修士論文かもしれない」、「歴史上、最高の修士論文のひとつ」、「あらゆる時代を通じて最も重要な修士論文」、「記念碑的」といった評価を受けたものの、エンジニアの時間を節約しただけの一連のトリックは、本当にこれだけの賞賛に値するのだろうか。いずれの方法からも同じ結果が得られるのであれば、同僚が11の段階で踏んだ作業をシャノンが2段階ですませたことが、それほど重要なのだろうか。
間違いなく重要だった。しかし、シャノンの論文のなかで最も素晴らしい結果は、目に見える形で記されておらず、ほとんどは暗示されており、時間の経過と共にその重要性は明らかになった。シャノンがブールに倣って統合記号を「もしも」という条件節とみなしていることに気づくと、暗示されていることの重要性が明確になる。
1 + 1 = 1 という式は、もしも電流が並列のふたつのスイッチを通過したら電球が点くことを(あるいは継電器が「イエス」の信号を送ることを)意味する。そして 0 + 0 = 0 という式は、もしも電流が並列した2つのスイッチのいずれにも流れなければ、電球は点かないことを(あるいは継電器が「ノー」の信号を送ることを)意味する。入力情報次第で、同じスイッチからはふたつの異なる回答が提供される。これを擬人化すれば、回路が決断を下した、あるいは論理を実行したと言ってよい。回路がたくさんあれば、きわめて複雑な論理を解き明かせる。論理的な難問を解決し、前提から結論を推論する作業を、人間が鉛筆で行うよりも正確に迅速にこなしていく。そして、論理を真と偽のバイナリに分解する方法をブールが示したおかげで、バイナリで表現できるシステムであれば何でも、彼が語る論理的世界にアクセスできるようになった。「思考の法則」は、無生物の世界にも延長されたのである。

じじぃの「高齢者の水の飲み方・熱中症の引き金は脱水にある!水の超能力」

体内の水分

『知られざる水の「超」能力』

藤田紘一郎/著 講談社+α新書 2006年発行

水と命はつながっている――水の正体 より

ヒトの体内の水の割合は、若いほど多い。胎児は体内の90パーセントを水が占める。新生児になると80パーセントで、幼児は70パーセント、と徐々に少なくなる。成人男性は60パーセントで、女性は55パーセント、男性より女性が少ないのは、体脂肪の量が男性より多いぶん、比率が下がるためである。
さらに年をとって60歳以上になると、水分は50パーセントくらいになる。老人になればなるほど、水分補給が必要であることが、ここから見てとれる。
どんなに年をとっても、人体の半分以上は水が占めている。そのわりに、われわれの体は「水っぽく」は感じられない。動いても、ポチャポチャと鳴ったりはしない。
それは、体内の水の70パーセントは、細胞内に取り込まれているからである。
約60兆個もの細胞のひとつひとつは膜で区切られており、その中に水が入っている。
それらの水が70パーセントとして、残りの30パーセントはどこにあるのか。それは血液と、細胞外の組織内部の水分である。
意外なことに、骨も3分の1は水でできている。
このように体の中では、いろいろな水が常時めぐっているのだ。
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ではなぜ、人は水を失うと死んでしまうのだろうか。
1番大きいのは、体内の熱のコントロールができなくなること。水分は、「血液」として体をめぐる。血液は栄養素、老廃物、酸素、二酸化炭素、そして熱も運ぶ水である。
そうして熱を運んであたためる一方、「汗」は冷却作用を持つ水分である。発汗して皮膚表面から出る気化熱によって体の熱を奪う。
しかし水分が失われると、体内にたまった熱を放出できない。この状態のまま、体温が上がり、意識障害、多臓器不全を起こすのが、いわゆる熱中症である。
直腸の温度が40℃を超えると、人はショックを起こして死んでしまう。
日本では熱中症が増え、年間20人以上の死者が出ている。しかも、患者が出るのは暑い時期だけではない。季節を問わず、激しい運動によって脱水症状を起こして発症するケースもある。
熱中症の引き金は、「脱水」にある。

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どうでもいい、じじぃの日記。
「成人男性は60パーセントで、女性は55パーセント、男性より女性が少ないのは、体脂肪の量が男性より多いぶん、比率が下がるためである。さらに年をとって60歳以上になると、水分は50パーセントくらいになる。老人になればなるほど、水分補給が必要であることが、ここから見てとれる」
じじぃの顔にはシミができ、首や腕にはシワが目立つようになってきた。
さらに高齢者は、発汗などの機能も衰えて、のどのかわきを感じる力も弱まっている。
「自分が今、水を必要としている」という自覚が薄くなっているのだそうです。
トホホのホ。

じじぃの「科学・芸術_876_クロード・シャノン・発明家の遺伝子」

Claude Shannon - Father of the Information Age

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=z2Whj_nL-x8

クロード・シャノン 情報時代を発明した男』

ジミー ソニ、ロブ グッドマン/著、小坂恵理/訳 筑摩書房 2019年発行

はじめに より

クロード・エルウッド・シャノンが「情報時代のマグナカルタ」とも評される論文を発表し、その論文1本だけで情報というアイデアを世に送り出してから40年近く経過していた。ただし、彼のアイデアによって可能になった世界は、姿を現したばかりだった。今日、私たちは情報が氾濫した世界に暮らしているが、送信するすべてのeメール、鑑賞するすべてのDVDやサウンドファイル、読み込むすべてのウェブページが存在しているのは、クロード・シャノンのおかげだ。
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「おそらく20世紀で最も重要で最も有名な修士論文」と共に始まったキャリアのおかげで、シャノンはブュシュ、アラン・チューリングジョン・フォン・ノイマンといった思想家と出会い、共同研究する機会に恵まれた。シャノンと同じく全員が、今日の土台を築いた。シャノンは不本意ながら、アメリカの防衛機関に協力する機会も多く、第二次世界大戦の最中には暗号解読、コンピュータ制御式の砲術、さらには大西洋を横断してルーズベルトチャーチルを結ぶ電話回線などの難事業にも駆り出された。のちにシャノンはベル研究所に勤務することになる。
ここは企業の研究杯発部門として設立されたが、電話会社の一部門というより、「天才たちの活動」の拠点と見なされていた。「世間から不可能だと思われていることでも、いったんやると決めたら、ベル研究所の連中はほんとうにやってしまうんだよ」と、シャノンの同僚は言う。シャノンがそこで選んだのは「電話通信、ラジオ、テレビ、電報など、情報を伝達する一般的なシステムの気品的な性質の一部についての分析」だった。これらのシステムは数学的にはまったく別物だと思われていたが、シャノンはそれらがすべて本質的なものを共有していることを証明した。これがシャノンの成し遂げた2つ目の抽象化であり、最大の功績である。

発明家の遺伝子 より

当時シャノンの親友だったロドニー・ハッチンズの妹、シャーリー・ハッチンズ・ギッテンは、兄とシャノンのことを振り返ってこう語っている。「ふたりはいつも何かたくらんでたわ。どれも害のないものだったけれど、すごく独創的だったの」。ある実験のことをよく覚えているという。ハッチンズ家の納屋のなかに、ふたりの少年は即席のエレベーターを取り付けた。その実験台として、最初にエレベーターに乗り込んだのがシャーリーだった。手作りにしてはよく出来ていて、シャーリーの運もあるだろうが無事に降りられた。ほかにも見事な仕掛けはたくさんあって、ハッチンズ家の裏庭にはトロリーが走り、有刺鉄線を利用した電信装置もあった。「ふたりはいつも何かしらこしらえていたわよ」とシャーリーは語る。
意外ではないが、クロードはトーマス・エジソンを崇拝した。しかも、エジソンクロード・シャノンが似通っているのは偶然ではない。ふたりには共通の先祖がいるのだ。ジョン・オグデンという清教徒の石工で、イギリスのランカシャーから海を渡ってきて、製粉所やダムの建設にたずさわった。彼は弟と一緒にマンハッタンで最初の常設の教会を建設したが、その3世紀後に、子孫のクロード・シャノンが情報時代の土台を築くことになったオフィスはそこから3キロほどしか離れていない。
マンハッタン島の南端の、フォート・アムステルダムのすぐ近くに建設された教会は、1644年の春に完成した。ゴシック様式で、木製の屋根は雨風にさらされて時間と共に青みを帯び、もっと高価なスレートで葺いたような印象を受ける。石切り場での作業から風見鶏の設置までいっさいの計画を立てたオグデンは、痩身で鷲鼻が目立ち、頑固な性格だった。発見からまもない新世界の建設に貢献した移民のひとりだ。
私たちのほとんどは、理想の人物を選ぶ条件がそれほど厳しくない。候補として考えられるたくさんの英雄のなかから、結局は自分との類似点を備えている人物を選び出す。おそらくそれは、クロードと遠縁のエジソンの場合にも当てはまるだろう。理想の人物として身内を尊敬できるのは幸運である。しかし彼はそれだけでなく、滅多にない強運の持ち主だった。