じじぃの「歴史・思想_23_SNS革命・ハンナ・アーレント(哲学者)」

ニューズウィーク日本版』2019年5・28号

ニュースを読み解く哲学超入門

哲学は必ずしも現実と無縁な象牙の塔で生まれたのではない。ナポレオン皇帝のドイツ侵略がフリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831)の歴史観を、大英帝国の繁栄と矛盾がJ・S・ミル(1806-73)の経済哲学を、ナチスの蛮行がハンナ・アーレント(1906-75)の政治分析を、息苦しい管理社会がミシェル・フーコー(1926-84)の社会観察を生んだ。
危機が生んだ人類の英知こそが新たな危機に対する一番の処方箋となるだろう。
いま渦中にある米中対立を見て、ヘーゲルなら、そこに古代中国から欧米近代社会へと西進した、世界史における覇権のダイナミズムを読み取るかもしれない。
また中国における人権抑圧や、米大手IT企業GAFAなどのビッグデータ活用による監視社会はどうだろうか。そうした「のぞき見」横行に対して、フーコーなら個人のプライバシー侵害だけでなく、人間の「動物化」を指摘するだろう。
セクハラ告発にも使われ、社会変革の利器となったツイッターなどのSNSアーレントならそこに輝かしい未来よりも、全体主義をもたらす危険を見るのではないか。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/05/post-12161.php

ニューズウィーク日本版』2019年5・28号

ニュースを読み解く哲学超入門 SNS革命は吉か凶か 執筆者 仲正昌樹(金沢大学教授)

ハンナ・アーレント(1906-75) より

ドイツ生まれのユダヤ人政治哲学者。
ナチスの政権奪取とともにパリ、続いてアメリカへ亡命する。第2次大戦後もニューヨークを拠点に活発な著作活動を展開。『エルサレムアイヒマン』『人間の条件』など、その著作群は人間の本質問い直しを読者に迫る。大著『精神の生活』を未完のまま遺して急逝した。
ハンナ・アーレントは没後40年を経た現在でも、政治哲学に刺激を与え続けている。同時にリベラリズムリバタリアニズム自由至上主義)など、現代政治哲学の潮流のいずれにも分類できないその独自性のため、評価の難しい存在。「アーレント産業」と言われるほど膨大な研究や伝記が発表されている。

SNS革命は吉か凶か より

17年10月にハリウッドの大物プロデューサーのセクハラがSNSで一気に世界に拡散されて以降、#MeToo運動が注目されるようになった。日本でも同じ頃から、セクハラ・パワハラや大企業の不祥事がSNSでの告発によって注目を集め、マスコミにも取り上げられて社会問題化する事態が相次いだ。
現代ではインターネット上でごく普通の人が声を上げたことがきっかけで、それまで表に出にくかった、いびつな権力関係や暴力が公衆の目にさらされ、公共の場での論議につながる可能性が飛躍的に拡大した。SNSに社会変革への期待を寄せる人は少なくない。
     ・
伝統的な政治構造が解体されていく大衆社会における、全体主義発生のメカニズムを分析したハンナ・アーレントなら、こうしたSNSの両面性についてどうコメントするだろうか。
主著『人間の条件』(邦訳・筑摩書房)でアーレントは、古代ギリシャ都市国家(ポリス)をモデルに、政治哲学的な議論を展開。政治が正常に機能し、ヒトが人間らしい振る舞いを身に付けるには、「公的領域」が確立していることが必要と主張した。
公的領域とは、市民として同島の立場にある人々が暴力や脅迫ではなく、言論によって説得し合う場だ。物事を自分だけの単一的な利害や憶測ではなく、他人の視点から見て公平に評価できる能力(「複数性」)こそが人間らしさを構成する最も重要な条件という。そのためには自分たちが持っている情報や意見を包み隠すことなく、公衆の面前で吟味を上kル姿勢(「公開性」)が各人に求められる。
ただ、似た境遇の市民少数から成る古代ポリスと違って、現代国家はさまざまな階層やアイデンティティーを持つ数千万から数億の人々が関わっている。そうした複雑な社会・経済問題を処理するため、巨大な官僚機構が国家を運営する現代政治では、「複数性」と「公開性」を維持するのは難しい。
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伝統的な社会構造が急速に解体し、人々が不安に襲われる危機の時代にはむき出しのエゴや情念が「公的領域」にあふれ出し、大衆は暴走する群れに変貌する。ナチスはラジオや映画など、当時の最新メディアを利用してあおった。活字文化によって培われた公共性に一定の信頼を寄せる20世紀ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバマスと違って、アーレントはメディアを介してのマスコミュニケーションには懐疑的だった。
もしアーレントがいま生きていればSNSで可視化される大衆の欲望と同調して「共感」の政治を何のてらいもなく実行する政治家を、「人間の条件」の究極の破壊者とみるだろう。
ではどうすれば、SNSを通して増殖する無軌道な欲望を抑制し、本来の「公共性」に近づけることができるのか。無論、アーレントにも明確な処方箋はないが、18世紀のフランス革命アメリカの独立革命を対比する『革命について』(邦訳・筑摩書房)で基本的な考え方が示されている。
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批判的な相互吟味を経ることなく脊髄反射的にネットに噴出する、素朴な民衆の「心の叫び」は、アーレントの言う「複数性」を満たすものではない。むしろ、不特定多数の「いいね!」を得たことをもって、公的に承認されたかのごとき幻想が拡散されれば、全体主義への道が開かれる。

じじぃの「高齢者の肉食・酸性食品は体によくない?理系の話」

『世の中の裏が面白いほど見える理系の話』

話題の達人倶楽部/編 青春出版社 2011年発行

アルカリ性食品の裏 食べ物をアルカリ性と酸性に分ける意味は? より

健康番組などで、「梅干しはアルカリ性食品だから体によい」と言っているのを耳にすることがある。
しかし、梅干しは酸っぱい食べもの。それが酸性食品でなく、アルカリ性食品とはこれいかに? と疑問に思ったことはないだろうか。
じつは、よく使われる「アルカリ性食品」「酸性食品」という言い方は、日本だけの表現。外国にはそのような分類法はなく、ほとんど意味をもたない言葉といえる。
この表現が広まったのは、大正時代、ある大学教授の発表がきっかけだった。うさぎに大根おろしを食べさせたところ、血液が酸性に傾いて病気になったという。
当時は、PH(ペーハー)を厳密に測定する機器もなく、その数値はあやしいものだった。しかし、それが学界に発表されてから、「酸性の食品は体によくない」「アルカリ性食品は体によい」という説が定説化し、そのまま根づいてしまったというわけだ。
その後、研究が進むと、酸性とアルカリ性は、食品を燃やした後に残る「灰」を用いて判断されることになった。100グラムの食品を焼いて、その後に残った灰を水に溶かして、酸性・アルカリ性を測ったのだ。
梅干しの場合は、燃やした後の灰には、アルカリ性のミネラルが多く含まれているのでアルカリ性食品というわけである。
ただし、体に入った食べ物が、燃やしたときと同じ変化をするわけではない。よく「肉ばかり食べていると、体が酸性に傾く」などといわれるが、これは肉ばかり食べている=偏食していると、体だがサビつくので注意せよ、というもののたとえ。肉を食べたからといって、体液のPHが傾くわけではない。

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どうでもいい、じじぃの日記。
先日、図書館から食品に関する本を借りてきた。
人体の臓器ごとに分類されていて、腎臓とか、肝臓にはこの食品がお勧めと言う形で書かれていた。
必ず、出てくるのが「緑黄色野菜」。
肉は控えめに、と書かれていた。
肉は腸内で臭いガスを発生させ、あまり体にはよくないのだとか。
大豆を原料にした「大豆ハンバーグ」なんかは高齢者によさそうだ。

じじぃの「歴史・思想_22_監視社会・フーコー(哲学者)」

Life Inside China's Total Surveillance State

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=OQ5LnY21Hgc

天安門広場に設置された監視カメラ


ニューズウィーク日本版』2019年5・28号

ニュースを読み解く哲学超入門

哲学は必ずしも現実と無縁な象牙の塔で生まれたのではない。ナポレオン皇帝のドイツ侵略がフリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831)の歴史観を、大英帝国の繁栄と矛盾がJ・S・ミル(1806-73)の経済哲学を、ナチスの蛮行がハンナ・アーレント(1906-75)の政治分析を、息苦しい管理社会がミシェル・フーコー(1926-84)の社会観察を生んだ。
危機が生んだ人類の英知こそが新たな危機に対する一番の処方箋となるだろう。
いま渦中にある米中対立を見て、ヘーゲルなら、そこに古代中国から欧米近代社会へと西進した、世界史における覇権のダイナミズムを読み取るかもしれない。
また中国における人権抑圧や、米大手IT企業GAFAなどのビッグデータ活用による監視社会はどうだろうか。そうした「のぞき見」横行に対して、フーコーなら個人のプライバシー侵害だけでなく、人間の「動物化」を指摘するだろう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/05/post-12161.php

ニューズウィーク日本版』2019年5・28号

ニュースを読み解く哲学超入門 安全のためなら監視は許される? 執筆者 清水真木明治大学教授)

ミシェル・フーコー(1926-84) より

フランス生まれの哲学者。独特の手法とスタイルによって、哲学の新しい領域を開いた。政治学法律学、経済学、文学、言語学、医学、生物学、教育学などの膨大な文献を縦横無尽に解読。
これらの学問が生まれた過去の時代特有の、現代とは断絶した「知の構造(エピステーメー)」を探求した。そうして現代と異なる歴史の非連続性を明るみに出すことで、現代の知を相対化する。初期の代表作『言葉と物』では「知」の解体、ひいては知的存在である人間自体の最期を告知した。
HIVにより死亡。セクシュアリティーを歴史的に考察した『性の歴史』が遺書となった。この半世紀の人文科学と社会科学の動向に最も大きな影響を与えた1人である。

安全のためなら監視は許される? より

現代の情報技術は、膨大な数の人間の情報を、当人には必ずしも知られることなく一度に収集することを容易にした。情報収集のこの形態は、一般に「大量監視」と呼ばれている。人工知能(AI)を活用することで可能になった未来の予測や問題の解決の多くは、大量監視で得られたビッグデータ」を基礎とする。大量監視にそれなりの効用があることは事実だ。
ただ、それとともに国家と民間企業による監視が生活の隅々まで浸透した。ユビキタス(偏在的)で無遠慮な「のぞき見」が可能になったせいで、民主主義社会の基礎が腐食し始めていることもまた確かだ。
フランスの思想家ミシェル・フーコーは『監獄の誕生――監視と処罰』(邦訳・新潮社)で、刑務所改革案「パナプティコン」に言及した。見えざる他者によって一方的に、一挙手一投足がことごとく監視のまなざしにさらされることで、人間の内面に惹き起こされる変化を主題として取り上げる。
フーコーによれば、見えざる他者のまなざしから逃れられないことを自覚すると、人間はこのまなざしを進んで引き受け、これに従って自己規制を始める。他者のまなざしを内面化することで、人間は責任ある「sujet(シュジェ)」――フランス語で「主体」「臣下」の両方の意味を持つ――となる。
大量監視とは目には見えない何者かが、私たちにとって好ましいとは限らない目標の実現を目指すものだ。たいていは秘密裏に、現実と仮想の両空間で、一方的まなざしをたえず私たちに向け、私たちの情報を集める。フーコーの指摘が妥当なら、大量監視は自由の腐食を促し、民主主義を空洞化させる有害なプロセスだ。
     ・
既に16世紀、フランスの法律家エティエンヌ・ド・ラ・ボエシは『自発的隷従論』(邦訳・筑摩書房)で独裁のもとでの支配者と被支配者の共犯関係を指摘した。大量監視はこの共犯関係を、形を変えて現代に再現している。
のぞき見を擁護する意見がないわけではない。安全とプライバシーは両立が難しく、監視は必要悪。やましいことがなければ、のぞき見を恐れる必要はない、という主張だ。
だが私たちがのぞき見から守ろうとするものは、やましいことではない。自分の生活の細部をあけすけに語ることには抵抗を覚えない人も、自宅のすべての部屋に監視カメラが無断で設置され、行動が逐一記録され公表されることは望まないはずだ。「丸見え」となることで、自分の人生を織りなす自由が奪われるからだ。
「自分を編集する自由」は、人間を他の生物から区別する標識となる。大量監視という名の無遠慮なのぞき見がこの自由を奪うとき、社会は動物園となる。ことによると、既に私たちは飼育され、生かされているにすぎないのかもしれないが。

じじぃの「地下街で地震にあったとき・どう身を守る?雑学王」

地下街で地震にあったとき

『プレミアム雑学王』

博学こだわり倶楽部/編 KAWADE夢文庫 2017年発行

地震が起きたとき、地下街はやっぱり危険なのか? より

地下街や地下鉄駅など、地下にいるときに地震が起きると怖いと思っている人は少なくないだろう。だが、日本の地下街や地下鉄の駅は、いずれも大地震を想定した構造になっていて、とくに土と接する外壁は、分厚い鉄筋コンクリート製である。
そのため、建物がどの方向に揺れても、壁が崩れて生き埋めになる確率は極めて低いと考えられる。
むしろ、地下街や地下鉄駅の駅にいるときに大地震がくれば、ガラスや商品など飛散物に注意して、壁際に夜ほうが安全だとされるほどだ。
地震の際、地下街で危険なのは、人々がパニックになって、地上への出口に殺到したときである。たとえ火災が起きても、燃え広がるまでには時間がかかるので、押し合うことがないように、たがいに声をかけ合い、落ち着いて脱出することが大切である。
万が一、煙が充満すれば、ハンカチやタオルで鼻と口を押え、姿勢を低くして地上へ脱出することだ。
また、大津波が押し寄せてくると、地下へ水が侵入し、水没する危険がある。大津波警報がでた段階で係員の指示があるはずなので、その指示に従って、落ちついて地下街から脱出、高台などの避難場所に移動しよう。

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どうでもいい、じじぃの日記。
5月25日午後3時ごろ、千葉県東金市辺りを震源とする震度5の地震があった。
地震のあった1時間後、結構揺れたなあ。
感覚が鈍くなっているじじぃでした。
運転免許自主返納?  (^^;;

じじぃの「歴史・思想_21_米中対立・ヘーゲル(哲学者)」

アメリカと中国、激突の覇者は

ニューズウィーク日本版』2019年5・28号

ニュースを読み解く哲学超入門 米中対立を哲学者ヘーゲルならこう見る、歴史の方向性は「自由の実現」だが...

<18~19世紀の哲学者ヘーゲルによれば、世界史の覇権は古代中国から欧米近代社会へと西進した。米中対立など現代社会の難問も、哲学で読み解けば解決策が見えてくるかもしれない>
危機が生んだ人類の英知こそが新たな危機に対する一番の処方箋となるだろう。

いま渦中にある米中対立を見て、ヘーゲルなら、そこに古代中国から欧米近代社会へと西進した、世界史における覇権のダイナミズムを読み取るかもしれない。

ヘーゲルが論じたのは、歴史は単なる出来事の羅列ではなく、明確な方向性を持っているということ」そしてその「方向性とは『自由の実現』」だ(萱野稔人津田塾大学教授による特集の論考「アメリカと中国、激突の勝者は」より)。覇権は地球を一周して、再びアジアへ回帰するのだろうか。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/05/post-12161.php

ニューズウィーク日本版』2019年5・28号

ニュースを読み解く哲学超入門 執筆者 萱野稔人津田塾大学教授)

フリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831) より

ドイツ(プロイセン)の哲学者。18世紀ドイツの哲学者イマヌエル・カントの影響下で生まれた「ドイツ観念論」と呼ばれる思想運動の完成者。コレラに罹患し急逝した。
フリードリヒ・ヘーゲルの哲学は「弁証法運動」をめぐる体系と言える。種子が殻を破ることで芽を伸ばせるように、全てのものは自己矛盾が原因で自壊するが、その中から新たなものを生み出す(アウフヘーベン)。この繰り返しの中で全ては矛盾をはらみながら真理へと少しずつ近づき、やがて絶対者として完成する。
あらゆるものが絶対的真理に向かうという、究極の合理主義であるヘーゲル哲学の反論は、現代哲学の一大テーマとなっている。

アメリカと中国、激突の覇者は より

中国の国力がアメリカに迫るにつれ、米中対立が激しさを増している。
この対立は貿易戦争どころか、もはや地球規模での覇権争奪戦といってよい。長らくマルクス主義者が「アメリカの覇権を許すな」と叫んだように、第二次世界大戦後、アメリカは政治と経済の両面で世界の中心に位置し、るーるを定める側に回ってきた。世界最強の軍事力で自由貿易体制を守り、基軸通貨ドルの供給者として金融システムを維持してきた。アメリカに物を買ってもらって成長を遂げた日本もまた、アメリカの覇権下にあった。
だが近年、中国が猛追する。「一帯一路」もまた、アメリカの手が届きづらいユーラシア大陸で、中華経済圏をつくるための構想だ。
     ・
米中どちらが覇権戦争を制するかによって、世界秩序を在り方が決まる。日本も今までどおり対米同盟をしっかり組んでおけばいいのか、勝機高まる中国と距離を縮めたほうがいいのか、の選択に迫られている。
その意味で、19世紀ドイツの哲学者フリードリヒ・ヘーゲルは、米中戦争をどう読み解いただろうか。ヘーゲルは当時、イギリスとフランスの覇権争奪戦となったナポレオン戦争を目撃していた。ナポレオンの死の翌年、ヘーゲルベルリン大学で「世界史の哲学」講義を開講。晩年まで続けられた講義はその後、弟子によって『哲学歴史講義』(邦訳・岩波書店)として刊行された。
ヘーゲルが論じたのは、歴史は単なる出来事の羅列ではなく、明確な方向性を持っているということだ。当時、ナポレオンによってフランス革命の理念が広がり、ヨーロッパ各地で近代国家が生まれた。その過程を目の当たりにしたドイツ人としての衝撃が『哲学歴史講義』に表れている。
ヘーゲルが明らかにした方向性とは「自由の実現」。今の言い方なら、民主主義が実現する過程だ。政治制度が民主主義の発展を目指すにつれ、自由を手にした市民による資本主義経済が発展し、国家の在り方も変わっていく。
その流れをヘーゲルは「世界史は野放図な自然のままの意思を訓練して、普遍的で主体的な自由へと至らしめる過程」と説いた。
     ・
この図式でいけば、今の米中対立の行方はどうなるのだろうか。一党独裁で政治的自由が存在しない中国が勝てば、自由の拡大という点でヘーゲルの予想は外れる。さらに厄介なのは、国際的に中国が国家の模範像となることだ。19世紀にはナポレオンがヨーロッパ各地を侵略することで、国民皆兵制と見返りとしての選挙権拡大をセットにしたフランス式民主主義の強さが証明され、各国はそれに追随した。20世紀には豊かなアメリカを日本など各国が見習った。
21世紀の経済を見ると、独裁国家のほうが経済発展するのではないかとの不安もよぎる。全てが監視システムとデータで管理された社会のほうがコンピューターや宇宙開発競争で勝利するとなると、ヘーゲル歴史観は破綻する。ただ、アメリカから太平洋を越えて中国に覇権が移行するのは、「東から西へ」というヘーゲルの法則にかなっているかもしれない。

じじぃの「戦闘機・F35の燃料は機体のどこに積まれている?雑学王」

米ステルス戦闘機F35B、沖縄沖で強襲揚陸艦「ワスプ」に発着訓練

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2OfZdATf4_8

F35B戦闘機

サウスカロライナ州のF35墜落、燃料管の欠陥が原因=報告書

2019年5月13日 ロイター
サウスカロライナ州で昨年9月に起きた最新鋭ステルス戦闘機「F35」の初の墜落事故について、米政府の調査担当は報告書を発表し、燃料管の不具合が墜落の原因だったと明らかにした。
報告書は、「製造上の欠陥により飛行中に燃料管が破裂し、エンジンの動力が失われた」と説明した。
https://jp.reuters.com/article/usa-defense-f35-idJPKCN1SJ06C

『プレミアム雑学王』

博学こだわり倶楽部/編 KAWADE夢文庫 2017年発行

飛行機の燃料は機体のどこに積まれている? より

飛行機の燃料タンクは、じつは翼のなかにある。旅客器の場合、主翼に加え、水平尾翼にも燃料タンクが積み込まれている。
翼は燃料の重みに耐えられるのだろうか? と心配になる人もいるだろう。だが、じつはその重みを利用して、飛行機は機体の強度を保っているのである。
飛行中、主翼と胴体には正反対の力が働いている。主翼が上向きの揚力をつくりだすいっぽう、胴体は重力によって下方に引っ張られている。その結果、主翼は大きく上方に反り返ることになる。
この状態が強くつづくと、翼の付け根部分に相反する強い力が働き、そこから分解する恐れもある。そこで、翼のなかに燃料タンクを入れて「重し」にしているのだ。
このように、燃料タンクには、翼の反り返りを抑えるという目的もあるため、主翼内の燃料タンクはその使用順が決められている。
まず、胴体下の中央翼に内蔵されたセンタータンクから消費し、つぎに主翼の付け根に近い位置の燃料タンクから順に使っていく。この順番で使えば翼の反り返りを遅らせることができるのである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ネットで「戦闘機 F35 航続距離」をキーにして検索してみた。
航空自衛隊の現用主力機であるF15Jは最大速度マッハ2.5、航続距離約4600キロ、既に退役を始めているF4EJ改戦闘機でも最大速度マッハ2.2、航続距離約2900キロと、いずれの数値もF35Aを上回っている」
「F-15Jイーグルの機内燃料は、概ね7800L前後と言われます」
「北海道・稚内から沖縄まで直線距離で2500km程度なので、イーグルで北海道から沖縄まで飛ぶと燃料代だけで40万円掛かるという計算になりますね」
F35戦闘機の場合、巨大な燃料タンクの上にちょこっとコックピットが付いているような感じですかね。

じじぃの「歴史・思想_20_世界史大図鑑・ガンディー」

Story of Indian Independence

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=SXmoiznfakk

India, Gandhi

『世界史大図鑑』

レグ・グラント/著、小島 毅、越前敏弥/訳 三省堂 2019年発行

世界が眠っていて、時計が午前零時を告げるとき、インドは生と自由に目覚める インドの独立と分割(1947年)

100年以上にわたって、インドはイギリス帝国の最重要地だったが、1947年8月14日から15日へと日付が変わった瞬間に独立国家となった。しかしこの独立は、いまだ癒えていない社会的、地理的な古傷を開くことになった。
新たなインド国家は、ふたつの独立国家に分裂した。イスラム教徒が多数を占めるパキスタンと、ヒンドゥー教徒が多数派のインドである。北西地域と北東地域でイスラム教徒が多数を占めていたので、パキスタン自体もまたふたつに分裂した。

マハトマ・ガンディー より

インド国民の指導者で、「偉大なる魂」を意味するマハトマという名で知られるマハトマ・ガンディー(1869年~1948年)は、インドをイギリスからの独立へ導いた。ヒンドゥー教徒の家に生まれ、イギリスで法律を学んだあと、南アフリカで20年間を過ごし、現地のインド人の権利擁護のための活動をおこなった。
インドの政治には1919年からかかわり、すぐにだれもが認める独立運動の指導者となった。ガンディーはサティヤーグラハ(魂の力あるいは消極的抵抗)の原則を説き、それをイギリスに対して用いて大きな効果を得た。小さな共同体のよさを信じて質素な生活をし、インドの工業化に反対を唱えた。
ガンディーの生涯の仕事は、1947年にインドがようやく独立を勝ちとることで全うされたが、イスラム教徒へ譲歩したことから、翌年、ガンディーのせいでインドが分裂したと非難するヒンドゥー教の信者に暗殺された。ただし、ガンディー自身はインド亜大陸の分割には強く反対していた。

自由を得る植民地

第2次世界大戦後、ヨーロッパの宗主国、おもにイギリス、フランス、オランダ、ポルトガルが、変化は不可避だと認識するようになった。ビルマやセイロン(1948年)のように平和的手段で独立を勝ちとった植民地もあったが、列強が植民地を手放そうとしないことも多かった。
第2次世界大戦中、自身もおもな帝国主義国家だった日本が、ヨーロッパ列強をアジアから駆逐した。1845年の日本降伏後のアジア各国では、ヨーロッパ諸国の植民地に逆もどりをするのではなく、独立を求める民族主義の機運が高まった。
インドネシアでは、ナショナリズム運動の指導者スカルノが1945年にインドネシア共和国の独立を宣言した。オランダが支配を回復しようと兵を送り、それにつづく2度の軍事行動によって、推定15万人のインドネシア人と5,000人のオランダ兵が死亡した。国際社会からの圧力に屈して、1949年にようやくオランダはインドネシアの独立を認める。
第2次世界大戦中に日本人が占領していたマラヤでは、人々が一体となって、ナショナリズム感情が大いに高まった。1948年にイギリスがこの動きを弾圧すると、マラヤ共産党が先鋭化して激しく抵抗した。これを受けてイギリスは非常事態を宣言し、中国系住民の「共産主義テロリスト」に対してきびしい軍事行動を展開した。マラヤの独立がようやく認められたのは1957年のことだった。