じじぃの「歴史・思想_23_SNS革命・ハンナ・アーレント(哲学者)」

ニューズウィーク日本版』2019年5・28号

ニュースを読み解く哲学超入門

哲学は必ずしも現実と無縁な象牙の塔で生まれたのではない。ナポレオン皇帝のドイツ侵略がフリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831)の歴史観を、大英帝国の繁栄と矛盾がJ・S・ミル(1806-73)の経済哲学を、ナチスの蛮行がハンナ・アーレント(1906-75)の政治分析を、息苦しい管理社会がミシェル・フーコー(1926-84)の社会観察を生んだ。
危機が生んだ人類の英知こそが新たな危機に対する一番の処方箋となるだろう。
いま渦中にある米中対立を見て、ヘーゲルなら、そこに古代中国から欧米近代社会へと西進した、世界史における覇権のダイナミズムを読み取るかもしれない。
また中国における人権抑圧や、米大手IT企業GAFAなどのビッグデータ活用による監視社会はどうだろうか。そうした「のぞき見」横行に対して、フーコーなら個人のプライバシー侵害だけでなく、人間の「動物化」を指摘するだろう。
セクハラ告発にも使われ、社会変革の利器となったツイッターなどのSNSアーレントならそこに輝かしい未来よりも、全体主義をもたらす危険を見るのではないか。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/05/post-12161.php

ニューズウィーク日本版』2019年5・28号

ニュースを読み解く哲学超入門 SNS革命は吉か凶か 執筆者 仲正昌樹(金沢大学教授)

ハンナ・アーレント(1906-75) より

ドイツ生まれのユダヤ人政治哲学者。
ナチスの政権奪取とともにパリ、続いてアメリカへ亡命する。第2次大戦後もニューヨークを拠点に活発な著作活動を展開。『エルサレムアイヒマン』『人間の条件』など、その著作群は人間の本質問い直しを読者に迫る。大著『精神の生活』を未完のまま遺して急逝した。
ハンナ・アーレントは没後40年を経た現在でも、政治哲学に刺激を与え続けている。同時にリベラリズムリバタリアニズム自由至上主義)など、現代政治哲学の潮流のいずれにも分類できないその独自性のため、評価の難しい存在。「アーレント産業」と言われるほど膨大な研究や伝記が発表されている。

SNS革命は吉か凶か より

17年10月にハリウッドの大物プロデューサーのセクハラがSNSで一気に世界に拡散されて以降、#MeToo運動が注目されるようになった。日本でも同じ頃から、セクハラ・パワハラや大企業の不祥事がSNSでの告発によって注目を集め、マスコミにも取り上げられて社会問題化する事態が相次いだ。
現代ではインターネット上でごく普通の人が声を上げたことがきっかけで、それまで表に出にくかった、いびつな権力関係や暴力が公衆の目にさらされ、公共の場での論議につながる可能性が飛躍的に拡大した。SNSに社会変革への期待を寄せる人は少なくない。
     ・
伝統的な政治構造が解体されていく大衆社会における、全体主義発生のメカニズムを分析したハンナ・アーレントなら、こうしたSNSの両面性についてどうコメントするだろうか。
主著『人間の条件』(邦訳・筑摩書房)でアーレントは、古代ギリシャ都市国家(ポリス)をモデルに、政治哲学的な議論を展開。政治が正常に機能し、ヒトが人間らしい振る舞いを身に付けるには、「公的領域」が確立していることが必要と主張した。
公的領域とは、市民として同島の立場にある人々が暴力や脅迫ではなく、言論によって説得し合う場だ。物事を自分だけの単一的な利害や憶測ではなく、他人の視点から見て公平に評価できる能力(「複数性」)こそが人間らしさを構成する最も重要な条件という。そのためには自分たちが持っている情報や意見を包み隠すことなく、公衆の面前で吟味を上kル姿勢(「公開性」)が各人に求められる。
ただ、似た境遇の市民少数から成る古代ポリスと違って、現代国家はさまざまな階層やアイデンティティーを持つ数千万から数億の人々が関わっている。そうした複雑な社会・経済問題を処理するため、巨大な官僚機構が国家を運営する現代政治では、「複数性」と「公開性」を維持するのは難しい。
     ・
伝統的な社会構造が急速に解体し、人々が不安に襲われる危機の時代にはむき出しのエゴや情念が「公的領域」にあふれ出し、大衆は暴走する群れに変貌する。ナチスはラジオや映画など、当時の最新メディアを利用してあおった。活字文化によって培われた公共性に一定の信頼を寄せる20世紀ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバマスと違って、アーレントはメディアを介してのマスコミュニケーションには懐疑的だった。
もしアーレントがいま生きていればSNSで可視化される大衆の欲望と同調して「共感」の政治を何のてらいもなく実行する政治家を、「人間の条件」の究極の破壊者とみるだろう。
ではどうすれば、SNSを通して増殖する無軌道な欲望を抑制し、本来の「公共性」に近づけることができるのか。無論、アーレントにも明確な処方箋はないが、18世紀のフランス革命アメリカの独立革命を対比する『革命について』(邦訳・筑摩書房)で基本的な考え方が示されている。
     ・
批判的な相互吟味を経ることなく脊髄反射的にネットに噴出する、素朴な民衆の「心の叫び」は、アーレントの言う「複数性」を満たすものではない。むしろ、不特定多数の「いいね!」を得たことをもって、公的に承認されたかのごとき幻想が拡散されれば、全体主義への道が開かれる。