2013/08/15 「6万年前に同じ能力を持った人々がアフリカを出て、世界に広がった」――日本人はどこから来たか。DNAが語る系譜 ~岩上安身による篠田謙一氏インタビー
動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MDh6TPucpI4
ホモ・サピエンスの出アフリカ
ネアンデルタール人女性の顔を復元
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7万5000年前のネアンデルタール人女性の顔の復元に成功
カラパイア
つぶれた頭蓋骨からネアンデルタール人女性の顔を復元
2018年に頭蓋骨や上体の一部の骨が発掘され、のちにシャニダールZと名づけられたネアンデルタール人女性も、この大きなの岩の後ろに埋葬されていたひとりで、頭蓋骨は岩につぶされて粉々になっていた。
その骨は今から約7万5000年前のものと推測されており、残っていた歯の分析から、40代半ばだったこともわかった。寿命が短い当時にしては高齢なため、尊敬され敬われていた人物だったことがうかがえる。
https://karapaia.com/archives/52331791.html
人類学者たちの出アフリカ強迫神経症
人類の共通祖先はアフリカに存在したとする仮説は19世紀では進化論で有名なチャールズ・ダーウィンが主張していたことで知られていた。
アフリカ単一起源説と対立する説に、ジャワ原人・北京原人・ネアンデルタール人などがおよそ150万年前には各地域で現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)に進化していったとする多地域進化説がある。
ただし、多地域進化説も時間を十分さかのぼってヒト科の祖を200万年前のホモ・ハビリスに代表される種が東アフリカで誕生した、という点で意見は一致し ており、この二説の相違点は「現生人類の祖先はいつアフリカから出発したか」でもある。そのため両者を「新しい出アフリカ説」「古い出アフリカ説」 と呼ぶ。
https://navymule9.sakura.ne.jp/obssesion_exodus_from_africa.html
『哺乳類の興隆史――恐竜の陰を出て、新たな覇者になるまで』
スティーブ・ブルサッテ/著、黒川耕大/訳、土屋健/監修 みすず書房 2024年発行
約3億年前に爬虫類の祖先と分かれたグループが、幾多の絶滅事件を乗り越えて私たちに至るまでの、途方もない歴史を描く書。
第2章 哺乳類が出来上がるまで より
ペルム紀末、現在のロシアに当たる地域には多くの獣弓類が生息し、火山地帯からそう遠くない場所で暮らしていた。ゴルゴノプス類がディキノドン類に犬歯を突き立て、キノドン類がシダ種子植物の森に身を潜めていた。それらの動物が噴火の直接の被害者となったにちがいなく。多くは低俗な災害映画よろしく文字どおり溶岩に飲み込まれただろう。
しかし被害はこれに留まらず、溶岩よりずっと恐ろしい火山の潜在的な脅威が露わになった。「サイレントキラー」と呼ばれる二酸化炭素やメタンなどの有害なガスが溶岩とともに湧き上がり、大気に放出され世界に拡散したのだ。これらは温室効果ガスであり、赤外線を吸収して地表に送り出すことで熱を大気に留める。おかげで急激な温暖化が起き、気温が数万年で5~8度ほど上昇した。
いま起きていることに似ているが、実は現在の温暖化よりはペースが遅かった(現代人に現状の再考を迫る事実だ)。それでも海洋を酸性化・貧酸素化させるには十分で。殻を持つ無脊椎動物やその他の海棲生物が広範囲で死滅した。
第10章 ヒトという哺乳類 より
サピエンスの移住の波がアフリカを離れ、最初にヨーロッパやアジアに到達したとき、そこはすでに人跡未踏の地ではなく、もう他の人類が住んでいた。先客は少なくとも2種いたはずで、どちらもサピエンスと類縁が近く、ホモ属に分類される。
ヨーロッパのネアンデルタール人とアジア人のデニソワ人だ。両種とも、ホモ属の過去の移住の波(ホモ・サピエンスが典型的な身体のつくりとともに種として安定する前に各地を放浪していた集団)から枝分かれした集団だ。
マンモスの毛皮で出来た靴を履き、太古のサピエンスに成り切ってみよう。
あなたは温暖なアフリカを飛び出し。ヨーロッパのステップに住み着いた。ケナガンモスが闊歩し、北方から厚さ1.5キロの氷床が迫るその地で、凍える風から逃れようと洞窟に非難する。洞窟の壁に明かりが揺らめき、赤い顔料で描かれたシカやウマの絵が照らし出された。明かりが近づいてきたと思ったら、ある動物の影が壁画の前を横切って、怯えてあとずさったあなたの眼前には、あなたに似た動物が立っていた。でも、もう少しがしっりしていて、四肢は短く、鼻は膨らみ、髪の毛はボサボサしている。
サピエンスが、ネアンデルタール人に出会った。私たちの祖先が接触したこのヨーロッパ在来の人類は、「よだれを垂らしながら口で息をしる愚かな野蛮人」と勘違いされがちだが、決してそうではなかった。ネアンデルタール人は多くの点で私たちに似ていた。脳の大きさが私たちと同じくらいあった。教養があり、社会性もあった。おそらく、絵を描い、死者を埋葬し、植物で薬を作って病人を手当てしていただろう。装身具を身に着けていたし、化粧もしていたかもしれない。火を掲げ、儀式を執り行い、鍾乳石や石筍を用いて構造物(たぶん宗教施設)を建てていた。おそらく言葉も話せたはずだ。
東方のアジアにいたデニソワ人については、分かっていることがはるかに少ない。そもそも、2008年にシベリアの洞窟で若い女性の骨が発見されるまで、その存在すら知られていなかった。2010年にこの指の骨のゲノムが解読されると、世界中の古人類学者が驚愕した。ゲノムの配列が極めて異様で、サピエンスともネアンデルタール人とも異なり、新種であることが示唆されたのだ。いまだ少数の化石しか見つかっていない幽霊のような種で、DNAの知見に比べると外見や行動は不明な点だらけだ。
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我らサピエンスの祖先がアフリカを出て、ヨーロッパでネアンデルタール人と、アジアでデニソワ人と出会ったあと、何が起きたか? 3種のあいだの交雑で、あたかも大陸をまたいだ乱痴気騒ぎが数万年続いたかのようだ。
種が異なるとはいえ、3種は遺伝子の交流が起きるほどに近縁で、実際それが起きた。ネアンデルタール人とデニソワ人が交雑し生存可能な子孫を残していたことが、また別の驚くべき発見により証明されている。その発見とは、先述のシナリオの洞窟から算出し2018年に公表された1本の骨だ。化石の愛称はたいてい骨格に付くもので、腕の骨の破片に付くことなど通常はありえないが、「デニー」は有名になって当然だった。この骨の破片を残した13歳の女性は、ネアンデルタール人の母とデニソワ人の父を持つ交雑第一世代だったのだ。私たちサピエンスの祖先もネアンデルタール人やデニソワ人と交雑し、その太古の奔放な性関係の名残りを私たちのゲノムに残した。現代の東アジア人やオセアニア人が持つ遺伝子の0.3~5.6パーセントがデニソワ人に由来し、(私を含む)すべての非アフリカ人が持つ遺伝子の1.5~2.8パーセントがネアンデルタール人に由来している(現代のアフリカ人の大多数はアフリカに残ったサピエンスの集団を祖先に持つ。その祖先はヨーロッパのネアンデルタール人とは接触していないはずだ)。
ヒトの系統樹は、はしご状でも、実のところ低木のようでもなかった。その形状は多くの低木から成る生け垣に近く、枝が絡み合ったり折れたり、ともに生長したりしていた。
サピエンスがアフリカを出て世界に拡散すると、何もかもが一変した。旅路の途上で、私たちは獲物を狩った。一帯を燃やした。他の動物を引き連れ、侵略種の身に生態系を伴い、自らが最強の侵略種になった。征服し、そこに住み着き、殺した。多くのネアンデルタール人とデニソワ人がサピエンスの槍の穂先で一生を終えたことだろう。それ以外はおおむねサピエンスに吸収され、私たちのゲノムの中で生き続けることになった。あるいは、彼らが私たちに教えた洗練された振る舞いや儀式に名残を留めているのかもしれない。こうして約4万年前にネアンデルタール人とデニソワ人は絶滅し、島嶼域にいたホモ・エレクトスの最後の生き残り(フローレス島のホビットなど)も姿を消した。