じじぃの「スポーツ国家アメリカ・第9章・先住インディアン!アメリカの雑学」
Oklahoma Olympian: Jim Thorpe
動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=ZoIwFnrzRM4
Jim Thorpe (World Famous Indians)

The Amazing Life and Bizarre After-Life of Jim Thorpe, Olympian and Greatest Athlete of the Twentieth Century
The Olympians
Jim Thorpe won gold in both the decathlon and the pentathlon at the 1912 Olympics in Stockholm, which means he could run, jump and throw better than almost anyone else in the world.
https://theolympians.co/2015/06/07/the-amazing-life-and-bizarre-after-life-of-jim-thorpe-olympian-and-greatest-athlete-of-the-twentieth-century-2/
『スポーツ国家アメリカ』
鈴木透/著 中央公論新社 2018年発行
自由と平等の理念を持つ、移民の国アメリカ。全米がスーパーボウルに熱狂するなど、スポーツが大きな存在感を持つ。野球をはじめとするアメリカ発祥の競技は、社会や文化とどう関係しているか。人種や性、地域社会の問題にアスリートたちはどう向き合ってきたか。大リーグの選手獲得方法やトランプ大統領とプロレスの関係は、現代アメリカの何を象徴しているのか。スポーツから見えてくる、超大国の成り立ちと現在。
第3部 スポーツビジネスの功罪 第9章 アメリカの夢を支える搾取の構造 より
先住インディアンにちなんだチーム名とトマホープ・チョップ
アメリカのスポーツチームの名前には、先住インディアンにちなんだものが散見される。酋長(しゅうちょう)を意味するチーフス(プロフットボール)やインディアンス(大リーグ)といった名称は、先住インディアンの勇猛さにあやかろうとするものだし、セミノールズ(フロリダ州立大学)のように部族名を冠したものもある。とりわけ議論を呼んできたのは、レッドスキンズという名称やそれにちなんだマスコットだ。
これは先住インディアンの蔑称なのだが、プロフットボールのワシントン・レッドスキンズをはじめ、大学や高校のチーム名にも使われてきた。この名称の撤回を求める先住民側の抗議は1970年代から続いており、実際、1997年にはオハイオ州のマイアミ大学がこの名称の使用を取りやめた。ワシントン・レッドスキンズに対しても、チーム名の商標登録の無効を求める裁判を起こされ、連邦議会をも巻き込んだ議論になっている。
先住インディアンにちなんだ名称のチームの応援では、先住民の戦いの歌をイメージしたと思われる曲に合わせて、まさかりのような先住民の武器(トマホーク)を象(かたど)った応援グッズを(ないし片手チョップのように)観客が前後に振る光景(トマホーク・チョップという)がよく見られる。トマホークは大リーグのアトランタ・ブレーズスのユニホームにも描かれている。
ジム・ソープの軌跡
多数の先住インディアンのアスリートが活躍していれば、チームも観客も敬意を払わなければならないはずだ。逆に言えば、先住民の蔑称がチーム名に使用され、先住民文化に配慮を欠く応援スタイルがまかり通ってきたのは、プロ、アマを問わず、先祖インディアンのアスリートの存在感が希薄だからである。この背景には、先住民が十分な教育環境・競技環境を得られず、仮に運動の素質があってもそれを開花させる機会させる機会に恵まれていないという事情がある。現に、数少ない先住民の著名なスポーツ選手の軌跡には、先住インディアンとアメリカスポーツの不平等な関係が凝縮されている。
先住民のスポーツ選手として最も著名な人物は、ジム・ソープ(1887~1953)である。ペンシルベニア州のカーライル・インディアン・スクールに進んだ彼は、黎明期の大学アメリカンフットボールの著名な監督、ポップ・ウォーナーとそこで出会う。ウォーナーは、ソープの卓越した運動能力を見抜き、彼に陸上競技を勧める傍ら、チームの中心選手としても起用した。1911年、ソープの活躍でカーライル校が当時の強豪ハーバード大学に勝利すると、彼は一躍世間の注目を浴びる。
天賦の運動神経を買われたソープは、1912年のストックホルムオリンピックのアメリカ代表に選抜され十種競技と近代五種に出場し、いずれも金メダルを獲得する。彼自身はこれらの競技に親しんでいたわけではなかったが、他の選手を圧倒してしまったのである。
その後、彼は大リーグやプロフットボールでもプレーし、プロスポーツの集客にも貢献したが、それは彼自身の私生活の幸福や先住民の地位向上にはつながらなかった。
それどころか、彼の名声は死後も利用される。ペンシルベニア州のある自治体が、金に困っていたソープの未亡人(3人目の妻)と組んで、彼の名を冠した「ジム・ソープ」という名称に町の名前を変更し、彼の墓を誘致してメモリアルを建設したのだ。実際には彼はこの地には何ら縁もゆかりもなかったので、これは自治体側のいわば町おこしと話題づくりの色彩があった。彼の名を冠した地名の存在は、彼の名声の大きさと同時に先住民アスリートの尊厳がいかに軽視されてきたかをも暗示している。
能力主義が選手の使い捨てを正当化する一方、社会全体に組み込まれた差別構造は置き去りにされていくという構図は、ジェシー・オーエンズの事例と重なる。ソープがプロ、アマ両方の競技に加えて町おこしに利用された経緯、いまだに彼に匹敵するネームバリューを持つ先住民アスリートが登場していないという事実、そして先住民の立場や文化を冒涜する無神経さがスポーツ界に残存していることの3点から考えると、プロスポーツの恩恵は今もって先住民には十分届いていないといわざるを得ない。スポーツビジネスが自らこの流れを断ち切る兆候は、いまだにはっきりとは見えてはいないのである。