オリンピックシューズ ナイキ・アシックス・アディダス
ナイキ・アシックス・アディダス……東京2020オリンピックで選手が履いた厚底カーボンシューズは?
Aug 31, 2021 RuntripMagazine
熱い戦いに幕を閉じた東京2020オリンピック。
今回はオリンピックのロードレースでメダリストたちが履いていたレースシューズについて、ラントリップ お馴染みのシューズフィッティングアドバイザーの藤原岳久さんと解説します。藤原さんはブランドを渡り歩き、シューズ販売に携わって20年以上。47歳でマラソン自己ベスト2時間34分28秒を出した、走るシューズアドバイザーです。
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『スポーツ国家アメリカ』
鈴木透/著 中央公論新社 2018年発行
自由と平等の理念を持つ、移民の国アメリカ。全米がスーパーボウルに熱狂するなど、スポーツが大きな存在感を持つ。野球をはじめとするアメリカ発祥の競技は、社会や文化とどう関係しているか。人種や性、地域社会の問題にアスリートたちはどう向き合ってきたか。大リーグの選手獲得方法やトランプ大統領とプロレスの関係は、現代アメリカの何を象徴しているのか。スポーツから見えてくる、超大国の成り立ちと現在。
第3部 スポーツビジネスの功罪 第9章 アメリカの夢を支える搾取の構造 より
マイケル・ジョーダンとナイキ社
アメリカでアスリートに高い社会的地位が与えられてきたのは、選手として地域の公共財に関わり、民主主義と共同体の絆を強化する立場にあることが深く関係していた。だがスポーツビジネスの発展は、アスリートの広告塔としてのポテンシャルを浮上させた。それは、長らくアメリカのスポーツ界で冷遇されてきた黒人アスリートの立場をも大きく変える可能性があった。NBA(プロバスケットボール)の花形選手マイケル・ジョーダン(1963~)とスポーツ用品メーカーのナイキ社をめぐる事例は、それを如実に物語っていた。
ナイキ社はオレゴン州に本社を構えているものの、国内の生産拠点作りよりも海外に目を向けてきた。1960年代後半には、神戸のオニツカタイガーという靴メーカーの製品をアメリカで販売して会社の土台を築いたほどだ。その後も東南アジアなど労働力の安い地域の工場で生産した製品を欧米で売りさばいて利益を上げるという経営スタイルを取ってきた。そのナイキ社にさらなる飛躍をもたらしたのが、ジョーダンだった。
ジョーダンは、ノースカロライナ大学1年生の時に、全米一を決める試合の土壇場で逆転シュートを決めたことから一躍注目される存在となった。中退し1984年にNBA入りした彼は、低迷していたシカゴ・ブルズに加入した。当時はNBA自体も人気が下降気味だった。彼は決して背の高い選手ではなかったが、身のこなしとシュート力は抜群で、たった1人の選手の加入でこれほどチームは変わるのかと人々を驚かせるほど、チームに活気を与えた。バスケットボールを一時期離れたこともあったが、13年間の在籍で、リーグの得点王10回、リーグのMVP5回を獲得し、チームの二度の3連覇に貢献する。1000試合以上に出場して、1試合平均30得点以上という驚異的な数字を残した。
ナイキは1980年代半ば以降、ジョーダンの才能と人気に目をつけた。そして、自社製品を使ってもらう専属契約を結び、年俸を上回る多額の契約金を払う一方、ジョーダンの名を冠したブランドを開発し、エアー・ジョーダンというスポーツ・シューズを売り出した。この靴は実際には東南アジアの工場で安い労働力を利用して生産され、工場の時給は数十セント、一足当たりのコストも50ドルをはるかに下回っていたが、アメリカでは原価の約3倍で販売されていたこともあったとされる。販売価格は決して安くはなかったが、ある程度の経済力のある家庭では子供にせがまれて親が買い与えられるぎりぎりの許容範囲だったこともあって、ジョーダンの人気とともに爆発的に流行した。
とはいえこの価格は、ジョーダンのようなスター選手に憧れながらも貧しいスラム街に閉じ込められていた黒人たちには、とても手の届かないものだった。だが一方でナイキ社は徹底的な広告戦略を打ち出し、ジョーダンを使ったコマーシャルを大量に放送したため、この靴への子供たちの欲望は高まるばかりだった。実際、アメリカ各地でこの靴を履いていた人が襲われ、靴が奪われる事件が頻発し、殺人事件さえ発生した。
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経済的恩恵が及ぶことで、黒人アスリートの立場は改善されたかもしれないが、それはさらに立場の弱い海外の労働者や国内の貧困層を搾取して成り立っているともいえる。プロスポーツが巨大な産業と化し、周辺企業もそれにあやかって甘い汁を吸う中、今度は選手に代わって次々に別の人が犠牲者にされていくようなメカニズム。スポーツ界で翻弄(ほんろう)されてきた黒人アスリートたちまでもが、スポーツビジネスの商業主義に加担させられる時代が訪れたのだ。