じじぃの「スポーツ国家アメリカ・第6章・ボウリング!アメリカの雑学」

曲がるボウリングの投げ方”ローダウン”に転向して1年半経ちました リリース・スロー動画

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=K6M9TlwpJA4

ボウリング


【ボウリング】初心者がハイスコアを狙うためのポイントをご紹介!

2022.03.29 スポスルマガジン
会社や学校、友人同士のイベントでボウリングに行ったとき、ハイスコアを出せたらちょっとしたヒーローになれるもの。とはいえ実際にはスコア100以下がほとんどという人も多いのではないでしょうか。

でも大丈夫。実は簡単にスコアを伸ばせるコツがあるのです。
https://sposuru.com/contents/sports-quest/bowling-beginner/

『スポーツ国家アメリカ』

鈴木透/著 中央公論新社 2018年発行

自由と平等の理念を持つ、移民の国アメリカ。全米がスーパーボウルに熱狂するなど、スポーツが大きな存在感を持つ。野球をはじめとするアメリカ発祥の競技は、社会や文化とどう関係しているか。人種や性、地域社会の問題にアスリートたちはどう向き合ってきたか。大リーグの選手獲得方法やトランプ大統領とプロレスの関係は、現代アメリカの何を象徴しているのか。スポーツから見えてくる、超大国の成り立ちと現在。

第2部 スポーツの民主化と社会改革 第6章 地域の公共財としてのスポーツ より

ボウリングリーグ

地元チームを地域住民がこぞって応援するという構図をもう一歩進めて、普通の市民同士が観客としてではなく選手としてスポーツに参加し、共同体内部の人間関係を強化しようとするユニークな試みも行われた。誰でも参加しやすいようにするためには、当然競技の難度を下げる必要がある。これに最も向いていた競技の1つはボウリングだった。

ボウリングは長らくイギリスで屋外の競技として行われていたが、19世紀のアメリカにはすでに屋内ボウリング場が登場していた。ピンをリセットする機械が戦後完全自動化されると、ボウリング人気は一気に高まり、1950年代から70年代にかけて、アメリカ各地でボーリングリーグが組織された。市民が地元のボーリングリーグに登録すると、試合の場所と日時が通知される。当日そこには見ず知らずの会員が集められ、団体リーグ戦を行う。試合が終われば初対面で一緒に戦った人たちと打ち上げをする。という具合だ。特定のチーム同士の勝敗を競うのもさることながら、ボウリングを楽しみながら友達を増やす場を提供していたのがボウリングリーグだった。最盛期には、アメリカの男性の8%、女性の5%がボウリングリーグに入っていた(1970年代に日本でも放送されたアメリカの人気ドラマ『刑事コロンボ』でも、コロンボが「うちのカミさんは、今日はボウリングクラブの集まりがありまして」と言い訳する場面が出てくる)。

ロバート・パットナムの『孤独なボウリング』は、ソーシャルキャピタルという概念を用いて、現代アメリ市民社会の衰退を論じた著作として有名だ。パットナムは、かつてアメリカではボウリングリーグ市民社会の人間関係資本の増強に大きな役割を果たしていたのに、現在では1人でボウリングをして人たちが少なくないとして、これを現代アメリ市民社会における人間関係の希薄化の象徴的な現象と捉えている。

確かに現在では、ボウリングも、ボウリングリーグも以前ほどの勢いはない。だが、かつてのボウリングリーグは、より多くの人がアクセスしやすい敷居の低い競技を新たに普及させ、普段知り合う機会もなかった人たちの間に人間関係を築く装置といて機能していた。

新しい競技を生み出す創造力

ボーリングリーグは、スポーツの民主化と共同体内部の人為的集団統合の両方を同時に推し進めようとする時、そこに新たな競技を普及していく可能性が示している。アメリカではスポーツを地域の公共財と考える傾向が強いが、それはスポーツを共有財産貸し、アクセスを民主化するだけでなく、競技そのものを多様化する原動力にもなっているのだ。

競技の多様化が表れた1つは競技空間であった。スタジアムや体育館といった従来の競技場とは異なる場所を活用しようという発想が典型的に表れているのは、いわゆるエクストリーム・スポーツである。これらの中には路上や自然そのものを競技の舞台として新たな活用しようとする発想が顕著に見られる。だが、こうした競技の開催には、競技会場の設営や運営をめぐって、地元住民の協力も欠かせない。ここでもスポーツの民主化は、地域住民を巻き込みながら競技を多様化しているのだ。

競技の多様化が及んだもう1うの領域は、人と機会をめぐる関係だ。機械をスポーツに活用すれば、新たな競技を生み出せる可能性も、それまでスポーツを楽しめなかった人がスポーツを楽しめる可能性も広がる。アメリカにおける自動車競技や障害者スポーツの普及は、こうした文脈に位置しているといえるだろう。