魔法の弾丸 秦佐八郎博士
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秦佐八郎博士サルバルサン探索99年記念展「魔法の弾丸99年の歩み」
現在、岡山大学では がんを細胞レベルで見つけて優しく治す近未来のがん医療「ナノバイオ標的医療」の実現に向けて研究を進めています。この研究は、第3期 科学技術基本計画の最重点課題である「イノベーションの創出」を目的としたもので、国家的な事業として取り組んでいるものです。
一方、岡山第3高等学校医学部(岡山大学医学部の前身)の卒業生である秦佐八郎博士は、ドイツのエールリッヒ博士とともに、当時難病であった‘梅毒’の特効薬「サルバルサン(救うという意味)606号」の開発に成功して世界にその名を知られています。この梅毒の特効薬「サルバルサン606号」は、ヒトの細胞には影響を及ぼさずに、原因菌のみを特異的に殺して治療する世界初の化学療法剤で、いわゆる‘魔法の弾丸’として広く受け入れられ、人類に貢献してきました。この目的とする対象にのみ作用するというコンセプトは、今で言う標的医療そのものであり、秦佐八郎博士は、すでに100年前に、当時難病であった梅毒に対する革新的な「標的医療」の実現に成功したということができます。
http://www.okayama-u.ac.jp/user/icont/hata/greet/greet.html
死因の人類史
【目次】
序章 シエナの四騎士
第1部 さまざまな死因(死とは何か?;『死亡表に関する自然的および政治的諸観察』 ほか)
第2部 感染症(黒死病;ミルクメイドの手 ほか)
第3部 人は食べたものによって決まる(ヘンゼルとグレーテル;『壊血病に関する一考察』 ほか)
第4部 死にいたる遺伝(ウディ・ガスリーとベネズエラの金髪の天使;国王の娘たち ほか)
第5部 不品行な死(「汝殺すなかれ」;アルコールと薬物依存 ほか)
結び 明るい未来は待っているのか?
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『死因の人類史』
アンドリュー・ドイグ/著、秋山勝/訳 草思社 2024年発行
疫病、飢餓、暴力、そして心臓、脳血管、癌…人はどのように死んできたのか?
有史以来のさまざまな死因とその変化の実相を、科学的・歴史的・社会的視点から検証した初の試み、壮大な“死”の人類史。
第2部 感染症 第10章 魔法の弾丸 より
「細菌説」によって導入された基本的な衛生対策
ワクチンや予防接種の作用は「細菌説」で合理的に説明がつく。ヒトの体は一度ある微生物の感染にさらされると、ふたたびその微生物に感染しても撃退できるのは、免疫システムに危険な侵入者としてその微生物が刷り込まれているからだ。とすれば、死んだ微生物やその微生物の一部、あるいは類似の微生物でも、免疫反応が引き起こせるかもしれない。もしそうなら、それはワクチンを手に入れたことになる。複雑な道具も免疫系の働きに関する地域も必要はない。必要なのは、病気を引き起こす微生物を増殖させてから、それを無毒化したり、あるいは弱毒化したりするなど、致死作用がなくなるまで手を加え、それでもなお免疫反応を引き起こせるものを作れるかどうかだ。
細菌を殺し人間の細胞は殺さない薬
病気の原因となる微生物を特定して増殖できるなら、その微生物を殺す方法を探る実験も可能なはずだ。1907年、ロベルト・コッホの元同僚で、ドイツ系ユダヤ人のパウル・エールリヒは、細菌は殺せるが人間の細胞は殺さない化学物資の探索を始めた。エールリヒのこの夢は、「魔法の弾丸(マジックブレット)」という考えに基づいていた。それは標的とする微生物だけを狙って殺し、ほかの細胞には危害を与えない”特効薬”である。敵味方がたがいに入り乱れて戦う戦場に機関銃を撃ち込み、敵兵だけを百発百中で仕留める薬だ。しかし、容易な研究ではないのはエールリヒ自身にもわかっていた。細胞へ影響を与えるという点では、99%以上に化学物資にはほとんど差はないからである。たとえば、シアン化物は細胞を残らず殺してしまうので有用な薬にはならない。ある一群の細胞だけを選択的に殺すのが可能なのかどうかさえ、エールリヒにはわからなかった。
エールリヒが「魔法の弾丸」という構想を思いついたのは、以前行っていた染料による細胞染めの研究がきっかけだった。化学工業の急速な発展で、何百種もの染色溶液が新たに利用できるようになった。細胞標本にさまざまな染料を加えることで、顕微鏡で見たとき、異なるタイプの細胞がそれぞれはっきりとした色に光ることにエールリヒは気づいた。こうした染色法によって新しい種類の細胞を発見できるようになった。そして、細胞によって色素との結合が異なるなら、細胞を殺す分子との親和性も細胞によって違うのではないかと考えたのである。病気を引き起こす微生物を選択的に補足できる分子なら、その分子こそ魔法の弾丸になるだろう。
エールリヒが考えた「魔法の弾丸」は、まず、標的の微生物を殺す活性がある化学物資を選び出すことから始まり、その物質が最良かどうかはあまり気にしなかった。そのため、人間の細胞には好ましくない毒性を示すかもしれない。出発点となるこの物質は「リード化合物」と呼ばれた。リード化合物は、化学的に改良していくことで薬効を向上させ、標的とする細胞に対する攻撃能力を高めていくが、その一方で毒性のほうは弱めていく。エールリヒが行っていたのは、化学の世界と生物学の世界を結びつけることであり、化学物質の構造を変えることによって、生物に対する作用がどのように変わるかを見ていた。
アフリカ睡眠病という風土病は、トリパノソーマという原虫に感染して発症、ツェツェバエがこの原虫を媒介して感染が広がることが知られている。エールリヒはアフリカ睡眠病へのアプローチを試みた。創薬の出発点として使ったのが「アトキシル」という化合物だった。1905年、「アトキシル」はアフリカ睡眠病の治療薬として試用され、ある程度の成功を収めていたが、長期間使用すると視神経が損傷を受けて失明する場合があった。だが、エールリヒたちによって、アトキシルの正確な化学構造が初めて確立される。その構造式をもとに何百種類もの化合物が合成され、改良が加えられていった。もっとも優れていたのが418番目の実験で最適化された化合物で、トリパノソーマだけを殺しながら、マウスの実験では低毒性を示していた。1907年には人間にも投与、ある程度の副作用はあったものの、全体としては重度の睡眠病にも有効性を示していた。
勢いを得たエールリヒは次に梅毒に目を向けた。2年前の1905年、フリッツ・シャウディンとエールリヒ・ホフマンの2人は、梅毒がトレポネーマ・パリズムという細菌に感染することで引き起こされるのを発見していた。エールリヒに対してホフマンは、アフリカ睡眠病で開発した化合物のなかに梅毒に効くものが調べてみてはどうかともちかけた。エールリヒは、この研究を日本人の同僚研究者秦佐八郎(はたさはちろう)にあずけた。秦はトレポネーマをウサギに感染させることに成功していた。懸命な努力の結果、秦は製剤606号という試料がウサギを傷つけないまま、トレポネーマだけを殺すことを確認する。これが「アルスフェナミン」であり、これこそエールリヒが探し求めていた「魔法の弾丸」だった。
さらに動物実験が進められ、アルスフェナミンの薬効と安全性を確かめたのち、エールリヒは梅毒患者に対して臨床試験を行う。その成功でアルスフェナミンの需要は一気に高まり、ドイツの製薬会社ヘキスト[2005年の合併で現在では消滅]と提携して「サルバルサン」の名で製造販売することになる。さらに1914年には改良して副作用を抑えた「ネオ・サルバルサン」が発売された。
30年後にペニシリンが登場するまで、「サルバルサン」と「ネオ・サルバルサン」は梅毒の治療薬として使われ続けてきた。また、「アトキシル」をベースにして作られたエールリヒの一連の薬は、1930年代にサルファ薬系の新薬が開発されるまで唯一の合成抗生剤だった。エールリヒとは優秀ではあったが控えな人物で、サルバルサンの発見について、「7年間の不運に対して、あたしはつかの間の幸運を手にした」と語っている。
コッホ、秦、エールリヒらの先駆的な研究によって創薬の方法は確立された。
創薬の規模と精巧さはその後の100年で飛躍的に向上したが、全体的な手順はエールリヒがアフリカ睡眠病と梅毒治療で考え、実行してきた考えにいまも準じている。その結果、何千もの有効な医薬品が生まれ、それらによって何十億もの人間の命が救われ、平均寿命を過去1世紀のあいだで何十年も伸ばしてきた。感染症の予防と対策は進歩を続けているが、新しい病気はかならず発生する。私たちはつねに「魔法の弾丸」を必要としている。