じじぃの「カオス・地球_378_街場の米中論・第1章・米中どちらが主導権を握るか」

USA vs China 1980-2030 : Nominal GDP, GDP PPP, Growth Rate & Population

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=VvvhvEz5nUE

図表2 世界のGDPに占める中国と米国の構成比


世界経済の中期見通し①:中国経済が世界経済の重石に

2024/04/25 NRI
世界の名目GDPに占める中国の比率は2021年に18.4%と米国の24.2%に5.8%ポイントまで接近した(図表2)。
しかし、ゼロコロナ政策、不動産不況の影響で、中国の成長率が下振れる一方、米国経済は、大幅金融引き締めの下でも予想外に安定を維持していることから、名目GDPで米国が中国に追い抜かれるとの見通しが大きく後退したのである。IMFの2028年見通しでも、世界の名目GDPに占める米国の比率が24.4%であるのに対して、中国は17.6%とその差は7%ポイント近くある。
https://www.nri.com/jp/knowledge/blog/lst/2024/fis/kiuchi/0425

街場の米中論

【目次】

第1章 帰ってきた「国民国家」時代の主導権争い

第2章 自由のリアリティ
第3章 宗教国家アメリカの「大覚醒」
第4章 解決不能な「自由」と「平等」
第5章 ポストモダン後にやって来た「陰謀論」時代
第6章 「リンカーンマルクス」という仮説
第7章 国民的和解に向かうための「葛藤」
第8章 農民の飢餓
第9章 米中対立の狭間で生きるということ

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『街場の米中論』

内田樹/著 東洋経済新報社 2023年発行

疫病と戦争で再強化される「国民国家」はどこへ向かうのか。
拮抗する「民主主義と権威主義」のゆくえは。
希代の思想家が覇権国「アメリカ」と「中国」の比較統治論から読み解く。

第1章 帰ってきた「国民国家」時代の主導権争い より

ロシアの「勢力圏」が消滅する

コロナ後、ウクライナ戦争後の世界は果たしてどうなるのか。まだコロナもウクライナも終息していませんから、これはだいぶ先走った問いになります。ロシアがついに核兵器を使ってNATOとの第三次世界大戦が起きるとか、ロシア国内で政変が起きて、プーチンの世界戦略が放棄されるとかいう「非常事態」が起きない限り、ウクライナ戦争は一時的な停戦をはさみつつ長期化すると僕は予測しています。それでも、いずれどこかで(1953年から南北朝鮮の間で続いているような)「長い休戦状態」に入るのではないかと思います。
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かつてスターリンの時代にはリアルな国力とは別のところに「国際共産主義運動の指導国」という幻想的な威信がありました。世界中に何百万という「スターリン主義者」が存在して、彼らがソ連の国際政治における優位性を支えていました。でも、いまの国際社会に「プーチン主義者」はいません。自国益よりロシアの国益を優先的に配慮することが世界のためだ」と考えている人間は多分どこにもいない。スターリンプーチンは似たタイプの独裁者ですが、国際社会における両者の威信と影響力には天と地ほどの差があります。ですから、ウクライナの戦争がどういう結果になっても、ロシアが没落することは確実です。もうロシアの「衛星国」と言われるような国はなくなり、ロシアの「勢力圏」というものが地上から消える。これは断言してもよいと思います。

米中どちらが主導権を握るか

となると、アメリカと中国が国際社会でのリーダーシップを競うことになる。米中どちらが主導権を握るかによって、世界は大きく変わります。

「民主主義指数」でアメリカは世界26位、中国は148位(「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット」2021年)。アメリカもたいしたことはありませんが、中国が主導権をとるということは、その勢力圏が「非民主化する」ということです。

別に中国が「世界を非民主化して、中国みたいな体制にしよう」という世界戦略を持っているからではありません。自分の勢力圏に含まれる国の体制が民主的であろうとなかろうと、そんなことに中国は興味がない。その点がスターリンソ連とは違います。ただ、中国政府が指示したことがただちに遅滞なく現地政府によって実現されることを望んでいるだけです。

ですから中国にしてみたら、勢力圏の国が極右の独裁国でも構わないし、国民的人気を得たポピュリスト政治家が好き勝手を衆愚政でも構わないし、新自由主義国家でも構わない。属国の政体なんかどうでもいい。中国のいうことを聞くなら、なんでもいい、その点については、いまも中国は伝統的な中華思想の枠組みの中にあると思います。

中華思想というのは、宇宙の中心に中華皇帝がいて、「王化の光」がそこからあまねく四囲に広がってゆくという宇宙観です。王化の光を豊かに浴びていることろは開明的な人間の暮らす文明圏であり、中心から遠ざかって王化の光が及ばなくなるとそこは住む人間もだんだん禽獣(きんじゅう)の類に近づいてくる。辺境は名目上中華皇帝の支配地なのですけれども、別に皇帝が実効支配はしない。皇帝に朝貢して、官命を受ける限りは辺境の王に「高度な自治」を認める。ただし、中華帝国から離脱して、独立しようとすると軍を送って、これを懲戒する。中国は「中華皇帝に朝貢して、臣下の礼をとる国」であれば、それがどんな国であるかを気にしない。その点がアメリカと少し違います。

アメリカもこれまで自国益になるのであれば、どんな非民主帝な政権とでも同盟してきました。朴正煕(パク・チョンヒ)の韓国、ゴ・デlン・ジエムのベトナム、、マルコスのフィリピン、スハルトインドネシア……、でも、心のどこかでは、アメリカの統治形態が「ベスト」のものだという信念を持っている。だから、イラクでもアフガニスタンでも非民主帝な政権を倒せば、歴史的必然として民主主義的な政権が自生してくると思っていた節があります。

1991年のソ連崩壊のあと、フランシス・フクヤマが民主主義と自由経済が最終的に勝利し、平和と自由と安定がエンドレスに続くという「歴史の終わり」仮説を提示したことがありました。もちろんまったくの絵空事に終わったわけですけれど、それを知って青ざめるまでの間アメリカがこれを信じて国際政治にコミットしたことは揺るぎない事実です。このある種の「イノセンス(罪や悪意がないこと、純粋さ、無邪気さを意味する語)」がアメリカの弱さであり、強さでもあると僕は思います。

中国は「中国みたいな国」で世界を覆い尽くす気はない。でもアメリカは多少その気がある。そして、どちらの国も人類の運命が(すべてではないにしても、かなりの部分までが)自分の手に委ねられていると思っている。そのような歴史的使命を託されている「特別な国」だと思っている。その自負心はどちらも甲乙つけがたく持っている。