【毛沢東】史上最恐の独裁者の生き様とは?名言&迷言の数々!生い立ちから政策まで分かりやすく解説!
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F.ディケーター著『毛沢東の大飢饉』の衝撃
2011年09月11日 野口和彦(県女)のブログへようこそ
『毛沢東の大飢饉―史上最も悲惨で破壊的な人災1958-1962』草思社、2011年)は、衝撃的な内容の書物です。
何が衝撃的かと言えば、中国の「大躍進」で犠牲になった、おびただしい死者数とむごい死因が、手堅い実証研究により明らかにされているからです。ユートピアを建設するはずの「大躍進」は、この世の「地獄」を創りだしたといっても過言ではありません。
https://blog.goo.ne.jp/kazzubc/e/0edde0a6c277b975b66d96d0ebc74791
『悪の遺伝子―ヒトはいつ天使から悪魔に変わるのか』
バーバラ・オークレイ/著、酒井武志/訳 イースト・プレス 2009年発行
7章 悪魔に魅入られた男 より
主治医の証言
毛沢東の力を弱めようとする彼らの試みは失敗した。最後には毛沢東によって拷問の末に殺された。
のちに中国の「偉大なる指導者」になると、毛沢東の部下に対する朝の挨拶はいつも「何かニュースはあるか?」であった。主治医の李志綏の意見では、それは毛沢東が情報を集め、つねに各人の重要度をチェックするための手段であった。「われわれをコントロールする手段でもあった」と李は洞察に富む彼の回顧録に書いている。「彼はすべての会話と行動をそっくり報告することを求め、互いに批判し合うように促した。部下を操って互いに争わせることを好んだ」
毛沢東はまた、つねに側近、随行員、ボディガードを入れ替え、李医師も主治医としての最初の22年間はそうだったように、全員が彼を崇拝していた。李は毛沢東のもとにいた数少ない古参のスタッフらが一様に苦痛を味わぅていることに気づいた。「毛沢東を知れば知るほど、彼を尊敬できなくなる。内輪のサークルを入れ逢え、新たな崇拝者の一群を入れることで、こびへつらう人間を確保していたのだ」。こうした状況での情事は、親密な仲間として選ばれ、どうしようもなく傲慢になった多くの女性たちにはとくに悲劇的な結果をもたらした。
共感の恐るべき不在
毛沢東はそのような人間であるにもかかわらず、あるいはそれだからこそ、しばしば孤独を感じもしたのである。絶対的な権力を握った後は孤独な人生であった。友人はおらず、妻と過ごす時間はほとんどなく、子供たちと過ごす時間はさらに少なかった。主に李医師を話し相手とし、眠れないときには彼を呼んだ。どのように遅い時間であろうと、何をしていようとおかまいなしにである。しかし、李医師はこう書いている。「わたしが知る限り、最初に会ったころの親しげな態度とはうらはらに、毛沢東は人間的な感情を持っておらず、愛することができず、友情、温かみといったものを持っていなかったのだ」
李医師は次のようなエピソードを伝えている。「かつて上海で観劇中、わたしは主席の隣に座っていた。アクロバットの若者、というより子供が、突然足を滑らせて大けがをした。観客は仰天し、惨事に凍りつき、その子供の母親の嘆きは慰めようもないほどだった。しかし毛沢東は気にも留めず、何事もなかったかのように談笑を続けた。わたしの知る限り、その子がどうなったかを尋ねもしなかったはずだ」
李医師はこうも書いている。
1957年、モスクワでのスピーチで、毛沢東は、自分には3億人を犠牲にする用意があると述べた。中国の人口の半分である。中国は半数を失ってもたいした損失ではない、さらに人口を増やせるというのだ。
「大躍進」が始まり、数百万人の中国人が飢餓で死ぬと、毛沢東が、彼があれほど尊敬していた無慈悲な皇帝にいかに似ているか、わたしはようやく気づいた。毛沢東は人民が何百万人も死んでいることを知っていた。気にしていなかった。
認知と知覚の欠陥
境界性パーソナリティー障害の多元的な診断における3つの特徴の1つは、認知と知覚の欠陥である。毛沢東の症状はこの点で際だっている。1958年から1960年の大躍進で、毛沢東はすべての労働者を農業から工業へ振り向けさせた。工業化された西側諸国に追いつこうという、見当違いで破滅的な試みであった。大躍進政策において、数千万人の労働者の労働者にただ1つの製品、つまり鉄を、民家の裏庭に作った非効率的な生産施設で作らせようとしたのだ。その後の飢饉によっておよそ3000万人が死んだと推定されている。
一部の農民は追いつめられ、わが子を食べるに忍びず、他人と子どもを交換して食べた。この政策の悲惨な結果に対する毛沢東の反応は、概して、「そのようなことは起きていないかのようにふるまう」ことだった。部下たちは、真実を明らかにすればどうなるかはわかりきっていたため、彼を社会から隔離することにつとめた。しかし状況は急激に悪化し、真実を隠しきれなくなった。李医師は毛沢東の反応について語っている。
毛沢東は……飢饉のもたらした結果を直視する勇気がないようだった。水腫と肝炎がいたるところに拡がっていると言うわたしを、それはでっちあげだと非難した。「きみたち医者は、人を怖がらせるしか能がないのだ」。彼ははねつけるように言った。「きみたちは病気を探しているだけだ。誰も病気でなければ、きみたちはみな職を失うからだ」……わたしは、毛沢東は周囲のいたるところに広まっている疫病に非常にも目をつぶっているのだと思った。しかし、幻想を見る彼をそのままにし、この話題には二度と触れず、彼の前では飢えと疫病が奇跡的に消え失せたかのようにふるまっていた。
毛沢東は誤りを認めることを拒んだ。彼の人生は後悔のない人生でなければならなかったのだ……わたしは、毛沢東は自分が何か誤りを犯したなどとはけっして信じないのだと確信した。
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じじぃの日記。
少し古い本だが、バーバラ・オークレイ著『悪の遺伝子』の7章「悪魔に魅入られた男」に、「共感の恐るべき不在」があった。
悪魔に魅入られた男とは、毛沢東のことである。
「境界性パーソナリティー障害の多元的な診断における3つの特徴の1つは、認知と知覚の欠陥である。毛沢東の症状はこの点で際だっている」
毛沢東は、サイコパスと境界性パーソナリティ障害を同時に持つ人物だったようだ。
「1957年、モスクワでのスピーチで、毛沢東は、自分には3億人を犠牲にする用意があると述べた。中国の人口の半分である。中国は半数を失ってもたいした損失ではない、さらに人口を増やせるというのだ」
黒井文太郎著『プーチンの正体』という本にこんなことが書かれていた。
「プーチンは1999年以来、殺戮を続けている。ウクライナ侵攻以前に、すでにヒトラーやスターリン、毛沢東、ポル・ポトといったカテゴリーの人間だったのである」
プーチンに関してはこんなことも書かれていた。
「ところが、プーチンは最初から『羊の皮を被った狼』だった。プーチンが首相に就任するとすぐに、モスクワのショッピングモールや高層アパートなどで連続爆破テロが発生する。それをチェチェン独立派のテロだとして、プーチンはチェチェンへの攻撃を命令し、第2次チェチェン紛争を開始した。なお、これらのテロについては、前述したようにFSBの自作自演、いわゆる偽旗作戦だったことがほぼ明らかにされている。さすがにそこまでのことをFSBが勝手にやることは考えられない。その後のプーチンの素早い対応からしても、この謀略はプーチンの承認の下で実行されたとみていいだろう」