じじぃの「科学・芸術_1014_日本の企業・JSR(半導体)」

【衝撃】日本が開発する「半導体材料」に世界が震えた!【フォトレジスト】【3400億円】

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8paYExxjkgM


JSR、革新機構買収受け入れ 「国策半導体」強化加速

2023/6/27 毎日新聞
半導体素材大手のJSRが26日、政府系ファンドの産業革新投資機構(JIC)による株式の公開買い付け(TOB)を受け入れることを決めた。
非上場化で経営の自由度を高めて世界市場での競争力を強化するとともに、半導体素材業界の再編の呼び水とするのが狙い。
https://mainichi.jp/articles/20230627/ddm/002/020/043000c

ワールドビジネスサテライトWBS

2024年4月1日 テレビ東京
【キャスター】相内優香、豊島晋作氏

WBS X 日本の生きる道「半導体
三重県四日市市に工場を構えるのがJSR
ある半導体関連製品で世界トップクラスのシェアをもつ。工場では瓶詰めされた液体が製造ラインを流れていた。フォトレジストを生産しているラインでここで作られた製品が世界の半導体工場に出荷されるという。フォトレジストは半導体の土台となるシリコンウエハーに塗って使うもの。JSRはフォトレジストの世界シェアがトップクラスだ。
その理由として、紫外線などをカットした厳しい環境で実施されている性能検査がある。品質へのこだわりが評価され、シェアを拡大した。半導体そのものの製造で日本メーカーは1988年には世界の半分のシェアを握っていたが、失われた30年とともに衰退した。それでも回路形成などの前工程からICチップ切り出しといった後工程まで幅広い半導体産業で技術のある日本企業は今も重要な役割を担っている。
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半導体で縁の下の力持ちになっていた日本勢。2022年転機となるかもしれない出来事が。
本丸の半導体製造であるラピダスが設立された。トヨタやNTTなどが出資し、経済産業省も設立を後押しした。ラピダスは北海道に工場を建設中。総投資額は5兆円規模にのぼる。回路の幅2ナノメートルという世界最先端の半導体を量産計画。この動きに注目している日本の半導体関連の最重要企業が東京エレクトロン。売り上げ高2兆円超えの巨大企業。半導体の様々な製造装置を作っていて、累積販売台数は世界最多。東京エレクトロンの河合社長はラピダスが工場を建設中の北海道に新拠点を設ける考えを明かした。
https://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/

『ケミストリー世界史 その時、化学が時代を変えた!』

大宮理/著 PHP文庫 2022年発行

第12章 資本主義から帝国主義へ より

1827年 写真の発明――半導体の製造にも活かされている写真技術

フェルメールも利用していたカメラオブスキュラ
いまや、デジタルカメラを搭載したスマートフォン全盛の時代で、誰もがカメラマンになれるすごい時代になりました。人類の歴史のなかで特筆すべき発明としてあげられる1つが、写真の発明だといえるでしょう。
フランス人発明家のジョゼフ・ニセフォール・ニエプスが、カメラオブスキュラ(小さい穴の開いた暗箱)でつくった像を記録する技術に挑みました。カメラオブスキュラは貴族のあいだなどではやっていた遊びの装置で、小さい穴を通った像が反対側に映るものでした。

半導体生産の化学技術
現在のシリコン(ケイ素)半導体集積回路やメモリー製造のテクノロジーは、これと同じような原理を利用します。
たとえば、ケイ素の基盤の上に微細なケイ素(半導体)の部分と二酸化ケイ素(絶縁層)の部分をつくる場合は、ケイ素の基盤上に光と反応して硬化する感光性樹脂(フォトレジストといいます)を塗り、髪の毛の断面を20等分できるような細さのレーザー光線を当てて、ケイ素として残したい部分の樹脂を硬化させて保護した状態にします。
その後、硬化していない樹脂を薬品で溶かして流し、むき出しのケイ素の部分を酸化して二酸化ケイ素にします。保護していた樹脂を溶かして洗い流せば、ケイ素の露出した部分がつくれます。ちょうど窓ガラスに文字のシールを貼って、泡の窓ガラスクリーナー洗剤をスプレーで吹き付け、あとからシールを剥がすと文字が浮かぶ上がるという感じです。

こういった手法をくりかえして、切手より小さいシリコンに100万個のダイオード(微細な電気のスイッチになります)などのデバイスを刻んで半導体などをつくることができるのです。このような手法を、フォトリソグラフィといいます。ギリシャ語の「リソス」(「石」という意味)+「グラフィア」(「書く」という意味)=石版印刷に由来します。

1829年からルイ・ジャック・マンデ・ダゲールと共同で研究を始め、ニエプスの死後、残されたダゲールは1837年、ダゲレオタイプ銀板写真)という本格的な写真技術を誕生させました。