じじぃの「カオス・地球_261_人類の終着点・ガブリエル・リベラル・矛盾」

【哲学】中島隆博中国哲学を世界哲学から再構築する」by LIBERARY (旧名称: リベラルアーツプログラム for Business)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1yN12ROIWEg

普遍化する普遍


人権はなぜ普遍化したかーフランソワ・ジュリアンの視点

2016/08/24 テンミニッツTV
宇宙隆博 東京大学東洋文化研究所長・教授
東京大学東洋文化研究所中島隆博教授は、現在「普遍」を問うとは「普遍化」への努力を意味すると言う。
かつての「人権」がそうだったように、最初から普遍的だった価値などない。「中国発の普遍」が問われる中、日本はこの「普遍化」の努力に、中国や他のアジア諸国とどう関われるか。真に問われているのは、この問題である。
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=1386

朝日新書 人類の終着点―戦争、AI、ヒューマニティの未来

【目次】
はじめに
1 戦争、ニヒリズム、耐えがたい不平等を超えて
 エマニュエル・トッド 現代世界は「ローマ帝国」の崩壊後に似ている
 フランシス・フクヤマ 「歴史の終わり」から35年後 デモクラシーの現在地
2 「テクノロジー」は、世界をいかに変革するか?
 スティーブ・ロー 技術という「暴走列車」の終着駅はどこか?
 メレディス・ウィテカー×安宅和人×手塚眞 鼎談 進化し続けるAIは、人類の「福音」か「黙示録」か

3 支配者はだれか?私たちはどう生きるか?

 マルクス・ガブリエル 戦争とテクノロジーの彼岸 「人間性」の哲学
 岩間陽子×中島隆博 対談

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『人類の終着点―戦争、AI、ヒューマニティの未来』

トッド、フクヤマ、ロー、ウィテカー、ガブリエル/著 朝日新書 2024年発行

3 支配者はだれか?私たちはどう生きるか? より

マルクス・ガブリエル 戦争とテクノロジーの彼岸 「人間性」の哲学

【コロナ禍が明らかにした「日本の特異性」】
――マルクス・ガブリエルさんは、2023年春、4年ぶりに来日されました。久しぶりの東京訪問についてまずはお聞きしましょう。何か変化や新しいことはありましたか。
   
私が滞在していた時期は、パンデミックの収束が、正式に宣言された時期でした。法的な意味では「パンデミック収束」のまさにそのときでした。国境が開かれたばかりの時期だったので、私が知っている東京の国際的でグローバルな感じはまだありませんでした。

ロシアのウクライナ侵攻の影響で、東京へのフライトや私の旅行ルートは以前とはまったく違っており、日本は依然よりも遠く感じられました。

そして、私が感じたことは、国境が閉鎖され、厳しい政策が取られる中で、日本は1990年代から続いて、とても興味深い国へと変貌を遂げていた、ということです。

ポストモダニズムの絶頂期である1990年代、日本はいろいろな意味で世界をリードしていました。ビジネス界などのソフトパワーとして、日本は多くの面で文明の象徴でした。

そしてある意味では、パンデミックの最中に――ニンテンドウスイッチの素晴らしい発明を私はいつも例にするのですが――日本は、その成功の一部を取り戻しました。別の面では、日本は1990年代の考えを変えずに、それを別次元に押し上げたのです。パンデミックの期間に、日本は非常に知的な形で改革に取り組み、いくつかの欠陥や修復したと思うのです。
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【「矛盾」というリベラルの弱点とどう向き合うべきか?】
――コロナ禍を改めて振り返ると、中国の台頭、ウクライナ戦争、西アフリカなででの中ロへの接近の動きなどが浮かびます。これらを見ていると、戦後、私たちは信じてきた西欧の自由や民主主義が、必ずしも世界の進路ではないのではないかと考えさせられます。リベラルな民主主義は、相対的な意味で、世界的に力を失いつつあるのでしょうか。
   
その通りです。これは非常に深刻な問題です。
私が考えるに、リベラルな民主主義は、それ自体の矛盾のために魅力を失いつつあります。そして、それ以上に、私たちは自らの矛盾に向き合っていないのです。

たとえば、資本主義の矛盾です。
多くの人々の認識では、資本主義は自由をもたらし、近代性(モダニティ)の条件のもとで、何十億人もの人々を貧困から救ってきました。

中国やロシアと比べてはるかに優れたワクチンを生産したのは、資本主義社会でした。民主的資本主義は、多きのことを成し遂げてきました。

しかし民主的資本主義は、常により多くの成果を約束するものです。そして今、私たちは気候危機に直面し、権威主義的な体制に直面し、民主的資本主義に代わる、権威主義的資本主義に直面しています。

ここに、問題があるのです。
権威主義とリベラルの競争で勝ちたければ、われわれは「真のリベラル」にならなければなりません。私の解釈では、これは資本主義の内部にある矛盾を角福しなければならないということです。

その矛盾は、たとえば企業における資本主義的な剰余価値生産にあります。ホワイトカラーを含む、労働者の日常的な現実の中にあるのです。これは、社会主義的な意味ではありません。人々が仕事をするうえで、ヒエラルキーが多すぎます。つまり、権威主義的な要素が多すぎるのです。

私が言いたいのは、すべての人の自由を増やすために、ボトムアップ・モデルで経済を再構築する必要があるということです。そうでなければ、完全な権威主義体制と比較することはできませんよね。

権威主義に勝つためには、民主的資本主義の中にある権威主義的要素を取り除く必要があるということです。さもなければ、権威主義が、私たちを打ち負かすでしょう。

これはロシアでも見られる現象です。制裁は必要でしたが、目指していた成果を達成できませんでした。ロシアは戦争経済に基づいて運営されていて、BRICSの枠組みの中で機能できるからです。このため、経済的にロシアを打ち負かすことはできなかったし、今後もロシアを計座的に打ち負かすことはできないでしょう。

しかし、「私たちがより自由であること」によって、ロシアを打ち負かす必要があるのです。自由は人間にとって魅力的なものです。われわれの社会を、現在よりも自由にする必要があるということです。
   
【「個別性」や「ローカル」という未来を創造するキーワード】
――最後に、今後、多極化した世界はどこに向かうと思いますか。
また、冷戦期のような単純な価値観のぶつかり合いではない、世界で必要な、新たな思想とはどのようなものだと考えていますか。そして、新しい価値を見出すために、日本に役割があるとすれば、それはどのようなものだと思いますか。
   
日本は近代性において、非常に重要な役割を担っています。たとえば、「植民地化をまぬがれた」というのも大きいでしょう。

日本の独自の近代性に、1つの大きな利点があります。日本では、一定のコストがかかったとしても、驚くほど高い水準の平等を実現しようとします。そして、経済成長までしています。とくに、資源の分配に関しては、常に良い状態です。

人口問題のような、どの現代社会も抱えているような問題もいくつか抱えていますが、日本は特有の成果をあげています。ある意味では、ヨーロッパで言うところの社会民主主義の成果です。

しかし、それでは日本を内部から説明したことにはなりません。日本は政治的に言えば、社会民主主義と言うよりもリベラルだからです。

より経済的に動き、その意味でより資本主義的です。それが強みでもあります。そして、これが高い水準に洗練された文化と結びついています。

また、言語も日本のアドバンテージになるでしょう。子どもの頃に日本語を学んで、日本語を母国語として読み書きするので、何百年もの歴史と文化が、日常会話の中にコードかされています。
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ヨーロッパの啓蒙主義の誤った普遍性は、「他者に対する、自らの価値観の押しつけ」にありました。こうした偽りの普遍は、東京大学の哲学者である中島隆博さんが言うところの「普遍化する普遍」に取って代わられるでしょう。それはローカル(地域)から生まれた普遍なのです。

日本は、そうした普遍的なものを、自分たちの場所で数多く見出してきました。ここでも、私の大好きな任天堂の例を取り上げましょう。

マリオのゲームは、普遍的に優れています。でもそれは、信じられないほど日本的なんです。つまり日本に根差したものから、全人類にとって良いものを発見したのです。

同様に、日本が平等に関して自国の成果を、もっと世界に向けて主張し始めたら面白いと思います。世界にとって興味深いのは、日本が不平等問題にどのように対処してきたか、です。つまり、どのようにトリクルダウンの構造を――たとえばアメリカよりも――保っているかということでしょう。日本では、億万長者がいるにもかかわらず、寡頭政治が起きていないのですから。

また、その場所固有の価値観に立ち戻ることは、右翼のポピュリズムの問題に対する解決策でもあります。右翼のポピュリズムは、国家のアイデンティティを主張しようとします。私は、国家のアイデンティティの代わりに、その場所に固有の知識を提供すべきだ、と考えます。ローカルな場こそが、普遍的なものへの道となっているのです。