じじぃの「未解決ファイル_328_消えた宇宙飛行士」

Lost Cosmonaut

動画 YouTube
録音された、助けを求める女性宇宙飛行士の声
https://www.youtube.com/watch?v=E2EtIKnxB2o&t=14s

コロンビア号空中分解事故 - 2003年


宇宙開発における悲惨な死亡事故とその概要

2014-05-21 DAMONGE
●コロンビア号空中分解事故 - 2003年
2003年2月1日、スケジュールではまもなく28回目のミッションが終了するころ、スペースシャトルコロンビア号はテキサス州ルイジアナ州の上空で大気圏に再突入している間に崩壊し、7名の乗組員全員が死亡する結果となった。
チャレンジャー号爆発事故 - 1986年
1986年1月28日、アメリカ国内の多数の子供たちが、彼らの学校内でスペースシャトル・チャレンジャー号の10回目のフライトを伝えるCNNのライブ中継を見守っていた。その理由は今回の乗組員の中に初めて宇宙に向かう教師、クリスタ・マコーリフがいたからだった。
ソユーズ1号の帰還失敗 - 1967年
ソユーズ1号は1967年4月23日に打ち上げられたソビエト連邦の有人宇宙船である。宇宙飛行士としてウラジーミル・コマロフが搭乗していたが、地球帰還時に死亡した。彼は有人宇宙飛行の歴史における、最初の飛行中の事故による死者である。
https://damonge.com/post/5009

『絶対に明かされない世界の未解決ファイル99』

ダニエル・スミス/著、小野智子+片山美佳子/訳 日経ナショナルジオグラフィック社 2022年発行

消えた宇宙飛行士 より

【未解決ファイル 開発競争の陰で隠蔽された宇宙実験の犠牲者】
冷戦時代の米国とソ連イデオロギーの衝突によって、ありとあらゆる機会に激しい競争を繰り広げた。もちろん人間を宇宙に送り込む計画も例外ではない。だがソ連は、宇宙計画に貢献した多くの人々の死を隠蔽してまで、一番乗りの栄光をつかみ取らなければならなかったのだろうか

米国の誇りは1969年にニール・アームストロング船長が「人間にとって大きな飛躍」と宣言した人類初の月面着陸だ。ソ連はそれより先、1957年に史上初の人工衛星を打ち上げ、1961年にはユーリイ・ガガーリンによる地球周回飛行に成功して、宇宙開発競争を大きくリードしていた。しかし、ガガーリン以前に少なくとも2回、ソ連は有人飛行の試みに失敗し、その悲惨な結果を隠蔽している、という噂が囁かれてきた。

闇に葬られた犠牲者の存在を最初に暴露したのは、西側と繋がりのあるチェコ政府の関係者だったとされている。だが、ガガーリン以前にも有人宇宙飛行が試みられていたという噂は、ガガーリン自身が否定した。それらは人体のダミーと人の声を録音したテープを搭載した、無人のテスト飛行だったと切り捨てたのだ。他にも、ガガーリンより数日ほど前にウラジーミル・イリューシンが宇宙へと打ち上げられたが失敗、中国に不時着して1年余りにわたって捕らわれていたという噂もあった。ソ連政府は外交上のトラブルを避けるために、この事件をもみ消したのだという。

「消された宇宙飛行士たち」の最も有力な証拠には、イタリア人アマチュア無線家の兄弟が提供したものがある。ユデイカ・コルディーヤ兄弟はトリノ近郊に無線局を設置していた。そこで1960年代前半にソビエトが行った宇宙飛行時の無線通信を傍受したのだ。2人は数年間に多くの驚くべき出来事を耳にした。そのうち少なくとも3回は、宇宙飛行士が軌道上のどこかで、刻々と死んでいく様子を傍受したという。彼らの話を信じない者もあったが、ソビエトとイタリア両国の情報部が兄弟の活動を注目した。

もちろん、宇宙で死んだロシア人の噂は、反ソ感情をあおるために計略的に、あるいは世間に注目されたい妄想家たちによって、広められた可能性は十分にある。ソビエト崩壊後、公文書が公開されたにもかかわらず、決定的な証拠は何も見つかっていない。一方で、共産体制が崩壊していく過程で、機密性の高い文書が失われ、あるいは意図的に破棄されたことは明らかだ。冷戦時代の疑心暗鬼の中で米ソ両政府が機密の保持に躍起になっていたことを考えれば、たとえ立証されていなくても、闇に葬られた宇宙飛行士の話は十分な信ぴょう性をもって迫ってくる。

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じじぃの日記。

ダニエル・スミス著『絶対に明かされない世界の未解決ファイル99』という本に、「消えた宇宙飛行士」というのがあった。

未解決ファイル 開発競争の陰で隠蔽された宇宙実験の犠牲者

人類初の有人宇宙飛行を成功させ、宇宙開発史にその名を残したソ連のユーリー・ガガーリン

1961年にこの偉業を成し遂げたガガーリンだが、彼の成功直後に宇宙を目指し、闇に葬られたソ連の女性宇宙飛行士がいたという噂が囁かれている。

「消された宇宙飛行士たち」の最も有力な証拠には、イタリア人アマチュア無線家の兄弟が提供したものがある。

残された音声は生々しいトーンで、徐々に悪化する船内の状況を訴えている。

帰還に成功していれば、ソ連で2番目の宇宙飛行士、かつ世界初の女性宇宙飛行士として知られることになっていたのかもしれない。

ソ連の有人月旅行計画はあったのか

ソ連は、アメリカのアポロ計画と並行して、1960年代から70年代のソ連において試みられながら、ついに実現しなかった有人宇宙船による有人月旅行計画である。

1969年7月にアポロ11号の月面着陸が成功するや否や、ソ連政府は「有人月着陸の無謀さと無意味さ」を強調するコメントを発表し、有人月旅行計画の存在を公式に否定した。

まあ、アポロ11号の月面着陸成功で、宇宙開発でアメリカがリードしているわけだが、ソ連が成し遂げてきた宇宙開発にも敬意を表したい。