じじぃの「人の生きざま_588_アレクセイ・レオーノフ(人類初の宇宙遊泳)」

エンデバー乗組員、最後の宇宙遊泳 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CNECFSUA0as
世界初の宇宙遊泳

初の宇宙遊泳から50年 200人以上の宇宙飛行士が宇宙遊泳を経験 週刊アスキー
1965年3月18日、ロシアのアレクセイ・レオーノフは世界で初めて宇宙空間での船外活動を行なった。その偉業から50年、現在10ヵ国200人以上の宇宙飛行士が船外活動を経験している。初の宇宙遊泳には宇宙服の膨張というトラブルがあったものの、ボスホート2号からのわずか約12分間の船外活動で、宇宙飛行士が宇宙空間でミッションを遂行できることを証明した。
http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/318/318756/
アレクセイ・レオーノフ ウィキペディアWikipedia) より
アレクセイ・アルキポフヴィチ・レオーノフ(Alexey Arkhipovich Leonov、1934年5月30日 - )はソビエト連邦の軍人、宇宙飛行士。
アレクセイ・レオノフは、1965年のボスホート2号で、史上初の船外活動(宇宙遊泳)を行なった人物である。

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『宇宙飛行士という仕事 - 選抜試験からミッションの全容まで』 柳川孝二/著 中公新書 2015年発行
宇宙飛行士の歩み (一部抜粋しています)
1961年4月、ソ連は初の有人ロケット、ボストーク(東方)1号を打ち上げた。ソ連=ロシアでは打ち上げの際、アメリカ式のカウントダウンはない。予定時間になると、「発射キーを”発進”ポジションへ」「アイドリング」「点火」。これでロケットが飛び出す。
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アメリカ、ソ連とも有人月探査に向けては、これまでにない大型ロケットを開発した。アメリカはサターンVロケット、ソ連はN-1ロケットである。しかし大型ロケットを使っても、飛行機のように1つめロケットで地球重力圏を脱出して月に着陸し地球に帰還する、というのは不可能であった。そのため、使い終わった推進ロケットを、順次、切り離していく多段ロケットと、月を回る周回軌道で複数の宇宙船による会合(ランデブー)と結合(ドッキング)を行う技術が必須であった。さらに万一の際には、船外活動も必要となる。これらの技術開発はアメリカが先行していたが、船外活動、つまり「宇宙遊泳」の実施はロシアが先んじた。
1965年3月、ソ連は新たに開発した3人乗り宇宙船「ボスホート」の2回目のフライトで宇宙遊泳を実施した。実は、3週間前に同型のロケットが爆発して無人飛行テストが失敗に終わっていたが、「追加の無人テストを行うのには1年の時間が必要で、その間アメリカが宇宙遊泳を先に行ってしまう」と責任者のコロリョフは予測し、宇宙飛行士レオーノフ<の同意を得て、フライトを行ったのである。
レオーノフは10分間の遊泳後に宇宙船に戻ろうとしたところ、圧力差で宇宙服が膨らんでしまってエアロックに入れないことに気づいた。40分後には酸素の供給が途絶える状況で、レオーノフは宇宙服の圧力弁を緩めて酸素を抜き、「汗びっしょりになって、心臓が飛び出しそうになりながら」、なんとか船内に戻っている。
このフライトではその後も、宇宙船内の酸素濃度が高くなったり、宇宙船が過回転したりと不具合が続いている。地球への帰還の際も自動帰還システムが故障し、手動で周回軌道を離れ、地球に帰還している。さらに着陸船と機械船の分離機構にも不具合が発生し、分離が遅れた結果、予定していたウラル山脈近傍から数千キロメートルも離れた、シベリアの森林地帯に着陸してしまった。そんな時でもレオーノフは、「まあ3ヵ月以内に、犬ぞり隊が助けてくれる」と軽口をたたいている。