First Man - Official Trailer #2 [HD]
First Man | Moon Landing
FIRST MAN: NEIL ARMSTRONG & THE MOON, ROCKETING INTO HISTORY
OCTOBER 12, 2018 The Culture Concept Circle
NASA astronaut Neil Armstrong (1930 - 2012) rockets into history in a new movie, which tells the deeply personal story of the aeronautical engineer, naval aviator, test pilot and university professor.
who became the First Man to take ‘one giant step for man and one great leap for mankind’, stepping onto the Moon for the very first time in human history.
https://www.thecultureconcept.com/first-man-neil-armstrong-the-moon-rocketing-into-history
『映画になった奇跡の実話 これが美談の真相だ』
鉄人ノンフィクション編集部 鉄人文庫 2021年発行
ファースト・マン より
人類で初めて月面に立った男、ニール・アームストロングのクールすぎる実像
2016年公開のミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」でアカデミー最優秀賞に輝いたデイミアン・チャゼルと主演のライアン・ゴズリングが2年後の2018年、再びタッグを組んだのが、本稿で取り上げる「ファースト・マン」だ。
人類で初めて月面に降り立ったアポロ11号の船長ニール・アームストロングを主人公とする本作は、「ライトスタッフ」や「ドリーム」のようなアメリカの宇宙開発における英雄譚ではなく、国家から過酷なミッションを課せられたアームストロング個人にスポットを当て、常に死と隣り合わせにいた人間の、実に暗く重いドラマに仕上がっている。
「1960年代のうちに、月にアメリカ人を送り込む」
1961年5月25日、ジョン・F・ケネディ大統領は高らかに宣言した。ソ連のユーリ・ガガーリンが史上初の有人宇宙飛行に成功した1ヵ月後のことだ。この時期、アメリカの宇宙開発計画を担うNASAは「マーキュリー計画」を実行中だったが、宇宙開発競争においてソ連に大きく差をつけられていた。
1930年、米オハイオ州で生まれたアームストロングは、インディアナ州のパデュー大学卒業後、海軍に入隊し戦闘機の飛行士として朝鮮戦争(1950年~1953年)に従軍。ケネディが宣言した1961年当時は、NASAのエドワーズ空軍基地でテストパイロットの職務に就いていた。
私生活では、海軍除隊後に復学したパデュー大学で、家庭経済学を学んでいた女性ジャネット・エリザベス(1934年生)と知り合い、1956年に結婚。翌1957年に長男エリック、1959年に長女カレン、1963年に次男マークを授かる。
映画でも主軸のひとつとして描かれるのが、愛娘カレンの存在だ。劇中では詳しく説明されないが、彼女は2歳になってまもない1961年6月、近所の公園で誤って転んだことが原因で失明。その後、病院の検査で脳幹に悪性腫瘍が見つかり、当時最先端だったコバルト線治療の甲斐なく、転倒から6ヵ月後の1962年1月、肺炎で息を引き取ってしまう。
わずか2歳で愛娘を失ったアームストロングのショックは計り知れないものだったろう。が、劇中で描かれるとおり、彼は葬儀で悲しみを表に出すことはなかった。どころか激しく取り乱す妻ジャネットとは対照的に、参列者の食事や飲み物を気にするなど、極めて冷静な態度を取っていたそうだ。
アームストロングはNASAの歴代の宇宙飛行士の中でも最も寡黙、冷静で感情が見えない人物と言われる。しかし、その心の内はどうだったのだろう。彼が任に就いていたNASAのテストパイロットは1回の飛行で4人に1人が事故死する危険な仕事だった。数多くの仲間が命を落とす姿を目の当たりにし、彼の中で自ずと死生観が築かれていく。
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1967年、NASAはジェミニ計画に続く「アポロ計画」を開始。有人飛行の訓練として同年1月27日、ケープ・カナベラル空軍基地で予行演習を行う。が、船長ガス・グリソム(当時40歳)、副操縦士エド・ホワイト(同36歳)、飛行士ロジャー・チャフィー(同31歳)を乗せた宇宙船「アポロ-サターン204」は発射台上で炎上し、3人全員が船内で焼死する(自己を風化させないため、後にNASAは同船を「アポロ1号」と命名)。
この事故によりアポロ計画は世間から大きな非難を受け、NASAも宇宙船のハッチなどの改良を図るとともに、アポロ6号まで無人飛行に切り替える。
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アームストロングが11号の船長に任命されたのも、アポロ計画の当初、人類初の月面着陸に最も近い飛行士として期待されていたグリソムと、ホワイトが1号で事故死し、順番が回ってきたからに過ぎない。アームストロングはまたも、人の犠牲と引き換えに自分が一歩先に進む状況を受け入れたのだ。
1068年5月6日、アームストロングは地球の6分の1の突きの重力を再現した月着陸練習機で予行演習に挑み、例によってトラブルに巻き込まれる。地上30メートルから降下を試みたとき、突然機体が傾き始めたのだ。アームストロングはとっさに射出に成功したが、もし脱出するタイミングがあと0.5秒遅れていたらパラシュートが開くのが間に合わなかった可能性の高い、極めて危険な事故だった。
NASAの飛行士やスタッフは11号が無事に月面に着陸する確率を50%と予測していたらしい。逆に言えば、ミッションの失敗、クルーの死の可能性も半分という分析だ。
しかし、1969年7月16日、船長アームストロング(当時38歳)、月着陸船操縦士のバズ・オルドリン(同39歳)は見事に月面に降り立ち、2時間半にわたり月面を探索する(マオケル・コリンズ(同38歳)も11号に同乗したが、司令船操縦士だったため、月面には立っていない。コリンズは2021年4月、90歳で死亡)。
劇中に、月面に降り立ったアームストロングが、宇宙服のポケットから愛娘カレンが身につけていたプレスレッドを取り出し、月の表面の穴に投げるシーンがある。映画のクライマックスと呼べるこの場面はフィクションとする意見が多い。が、真相はわからない。なぜなら、アームストロングは実際、ポケットに入っていたものが何だったのか、生涯、誰にも打ち明けなかったからだ。
映画は、地球に戻り検疫処理のため2週間の隔離生活を終えたアームストロングと、妻ジャネットがガラス越しに再会するシーンで終わる。何も語らない2人が、その将来を予想させるエンディングである。
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アームストロングは月面着陸成功後、宇宙飛行士を引退。1971年にはNASAからも退官し、その後、シンシナティ大学や母校のパデュー大学で航空宇宙工学の教鞭を執ったり、大手企業各社の経営に参加し、2002年、キャリアを終了させる。妻ジャネットは遙か昔から心が離れており、1990年に別居、1994年に離婚し、その2年前にゴルフコンペで知り合った女性と再婚した。心臓血管の手術後の合併症が原因で死亡したのは2012年8月25日。享年82だった。
一方、ジャネットは離婚後もシンクロ(アーティスティックスイミング)のコーチを続け、映画「ファースト・マン」の制作にも協力したが、アメリカで作品が公開される4ヵ月前の2018年6月21日、84歳でこの世を去った。
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