じじぃの「カオス・地球_184_小川和也・人類滅亡2つのシナリオ・第4章・人は自然物である」

Demon Slayer: How to Cope with Tragedy the Japanese Way - Compassion and Heroism | Anime Philosophy

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=rqukhSAVACo

COMPASSION


COMPASSION FOR OUR HUMANITY-SLOWING DOWN TO SEE EACH OTHER

2022/03 Lynn Rossy
Mindful self-awareness can be humbling and is best undertaken with a large dose of forgiveness and compassion.
The more I peel the layers of the onion off my conditioning and behavior patterns that seem to be woven into the DNA of my being, the more I need to practice from the heart. Without this warm holding of myself, I would possibly dive into despair about the harm I have caused myself and others throughout my life.
https://lynnrossy.com/compassion-for-our-humanity-slowing-down-to-see-each-other/

朝日新書 人類滅亡2つのシナリオ―AIと遺伝子操作が悪用された未来

【目次】
はじめに
第1章 AIによる滅亡シナリオ
第2章 ゲノム編集による滅亡シナリオ
第3章 科学と影のメカニズム

第4章 “終末”を避けるために何ができるか

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『人類滅亡2つのシナリオ―AIと遺伝子操作が悪用された未来』

小川和也/著 朝日新書 2023年発行

画期的なテクノロジーほど、暗転したときのリスクは大きい。特にAIとゲノム編集技術は強力で、取扱いを誤れば、人類に破滅をもたらす因子となりうる。「制度設計の不備」と「科学への欲望」がもたらす、人類最悪のシナリオとは。

はじめに より

本書における「人類滅亡」は、特に最後の3つに焦点を当てている。

近年、「人間」「人類」の解釈は各分野の専門家の間でも揺れており、「ポストヒューマン」を人間とみなすか否かについての議論も分かれる。それこそが、AIやゲノムテクノロジーが人類の概念にまで影響を与え始めた証でもある。

まだ多くの議論の余地は残されているが、本書では、あえて「現生人類としてのホモ・サピエンスが甚だしく遺伝子改変された状態」を種の延長線上に置かず、「現生人類の終焉」を人類滅亡と解釈することをシナリオの前提とした。それくらいシビアに受け止めるべき分岐点に人類が立たされていると認識し、戒めとするためだ。

こうした定義と前提をもとに、本書では、歴史上の出来事や状況を踏まえ、未来の事象がどう変わっていくかを調査・推論する学問分野である未来学の視点で、最悪な未来=人類滅亡までのプロセスを示していく。その上で、最悪な未来を回避するためのアプローチを提案したい。それが本書執筆の動機となっている。

AIは「人工」であり、ゲノムテクノロジーは「操作」である。結局は、いずれも人間が主語だ。未来に人類の運命を委ねるのではなく、人類がより良い未来を作らなければならない。

本書で提示するシナリオを、未来で実現させてはならない。
たとえ、一部の人間の悪意、悪意なき悪意であっても、それが束になり始めると、制御する難度が上がってしまう。その束を作らず、人類滅亡のシナリオを絵空事で終わらせるためにも、どうか多くの人に読んでいただきたい。

第4章 “終末”を避けるために何ができるか より

利用価値が大きい先端科学技術をめぐっては、それを利用する様々な動機と目的がある。その中には、規制の穴を探したり、強制力を伴う禁止を踏み越えていく悪用も含まれる。環境や立場が変われば、法律、倫理、価値観、善悪、正論も変わる。それが前提である以上、滑り坂理論などに基づく最悪の未来を理論的に完全払拭することはできない。

最悪な未来を回避するためには、法律や倫理といった要素が一体となって回避の要件を満たさなければならないが、全人類が足並みを揃えて回避の各要件を満たす方法は確立しておらず、万全なシステムもない。

残念ながら、いまもどこかの個人、組織、国による方向性の差異が軋轢(あつれき)を生み、最悪の事態に至るリスクを抱えている。ゲノム編集や人工知能の技術的性質を鑑みると、一体感のない世界の中で、誰かが利用の仕方を誤ったときは、人類滅亡の滑り坂を滑り始める。

人類の”終末”を避けるために、回避のアプローチを考えたい。

②ゲノム編集技術を正しく扱うために

世界規模のガバナンスの実現

中国では、2003年以来、生殖医療者向けの衛生部指針で遺伝子改変した配偶子や胚の生殖利用が禁止されているが、違反した場合の罰則はなく、基礎研究は可能である。その環境下において、2018年の「第2回ヒトゲノム編集国際サミット」で世界初のゲノム編集技術を施した双子が生まれたことが発表された。誕生させた賀建奎は、ヒト胚ゲノム編集を規制する法律ではなく違法医療行為の罪で2019年12月に罰せられた。

この裁判後、2020年5月に民法典が制定され、1009条で「人間の遺伝子、胚などに関連する医学的および科学的研究活動に従事する上では、国内規制を順守し、人の健康を危険にさらさず、倫理および道徳に違反し、公益に害を及ぼしてはならない」と規定している。これは医療者向け指針ではなく民法の条項であり、医療者だけではなく研究者や市民にも、遺伝子改変を伴う生殖の禁止を承知することを求めている。

中国と共にゲノム編集研究が盛んな米国では、2015年に予算条項の制限で遺伝子改変を伴う生殖研究を禁止しているか、現状ではヒト胚を対象とする連邦レベルの法律はない。ヒト胚を作ること、ヒト胚が滅失したり傷つけられることを含む研究に対して連邦政府の資金投入は禁止されているが、研究が許可されている州の政府資金などでは可能となっている。
FDA(米国食品医薬品局)が遺伝性の遺伝子組み換えを含むヒトの胚の意図的な作成や改変をする臨床試験の審査をすることを議会が禁止しており、臨床応用についても、ゲノム編集のような新しい技術を臨床研究を経ずに医療提供することにはFDC法(Federal Food, Drug, and Cosmetic Act)によって禁止されている。

日本では、「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」が施行されてきたが、厚生労働省の「遺伝子治療等臨床研究に関する指針(第1章第7)で生殖細胞系列の遺伝子改変の生殖利用を禁止しているものの、法規制はない。
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ゲノム編集技術に対する規制を世界規模のものとして実行することは、容易なことではない。この課題解決において、人類全体の賢慮が試されているとも言える。ゲノム編集技術を使う生殖や臨床応用を目指す基礎研究の法的禁止をいかに実施するべきか、ヒト胚ゲノム編集の臨床応用を将来にわたって禁止しておくべきなのか、技術面や安全面の課題が解決されることを条件に許容すべきケースがあるのかどうかなど、議論すべき課題は多い。各国があらゆる課題をあぶり出し、一般市民を巻き込んで社会全体で議論を重ね、それを国内にとどめずに国際的協調にまでつなげていく必要がある。

「人は自然物である」という原則から逸脱しない

世界規模のガバナンスを実現するためには、ゲノム編集が及ぼし得る悪影響について、各国民に周知させる必要がある。特に民主主義国家においては、規制は個々人の理解を得ることによって、初めて成り立つことも多いためだ。

遺伝子操作の過剰な欲望に掻き立てられず、きちんのブレーキをかけるためにも、市民の一人一人が「人間の尊厳」や「もたらされるリスク」について知っておくべくである。

およそ80億人もの人間が存在しても、全員が唯一無二のゲノム配列を持っていることがヒトの多様性であり、親を同じくする兄弟姉妹や一卵性双生児ですら、全く同じ遺伝子セットは伝わらないとされている。全く同じゲノム配列を持つ人間がいないという多様性の意味や価値の奥行きは深いが、少なくとも、誰にも支配されずに自由に生きる基本的人権や尊厳の根源は、生まれ持ったゲノム編集研究のゲノム配列にある。
また、欧州でペストが流行した際に、生き残った人々の一部は流行以前にペスト耐性変異を持っていたと考えられており、人類が存在し続けられた一因をヒトの多様性に求めることもできる。

治療を超えて、生物医学的技術を健常人に対して用いることで能力を向上させようとするエンハンスメントを際限なく追及していくことは、この遺伝的多様性の消失をもたらし、個体と社会と生命の連関を切断することになり、人類滅亡の一因になりかねない。さらに、ゲノム編集に影響を与える優生学においては、その実践によって遺伝的多用性の幅を切り詰めることにつながるという問題がある。

宇宙創造以来、手を加えない限り、あらゆるものや秩序は時間の経過とともに自然に散らかっていくエントロピー増大、無秩序化の法則の中にある。その法則に抗して自己組織化、秩序化してきた結果としての自然物の生成は、偶然の奇跡の産物だと言える。設計図は存在せず、自然物は本来、人工物で作り換えることはできない。とりわけ人間は、一人一人の多様性があり、他者との違いの中で成長を重ねていく。

人間は人は自然物であるという大原則を軽んじてはならない。人間が自らの胚を技術によって操作する、自然物としての人間を人工物化しようという行為は、自ら取り返しのつかない状況へと追い込むことになるかもしれない。先端科学技術が踏み込むべきテーマか否か、その境界を見誤ると最悪の未来を招くことになる。

人間の人工物化はその1つとなるかもしれないということを人類の共通認識とし、その事実認識から逸脱しない構造つくりをしなければならない。そのためには、国際機関と各国が一体となり、共通認識を普及させるための教育システムや、原則を守るためのルールづくりの連携を強化する必要がある。