Edge2高柳克弘篇 ことごとく未踏なりけり
104歳でスカイダイビング
104歳の世界記録更新後1週間で他界 最高齢の女性スカイダイバーが死去
2023/10/11 Yahoo!ニュース
AP通信によりますと、アメリカ・シカゴに住む世界最高齢のスカイダイバーとして記録を更新していたドロシー・ホフナーさん104歳が9日朝、入所していた高齢者施設で亡くなりました。
ホフナーさんは1日、インストラクターとともに地上およそ4000メートルからスカイダイビングに挑戦し成功していました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4778bea3018cbedb257e0a5841fce6d69b5850be
第6章 死と恐怖 より
永遠について(1)
死はなぜ恐ろしいのか。そこを考察するために、死には3つの要素が備わっていて、それらがわたしたちを脅かすのではないかと想像してみる。すなわち、
①永遠。
②未知。
③不可避。
――この3要素である。順次検討してみよう。
まず<永遠>について。死後の世界は(おそらく)永遠と同義である。死んだ者は二度と戻ってこない。わたしたち生者は有限の世界に住み、死者は永遠の世界に住む。もしも死後が悲しみや孤独や苦痛に支配されていたら、それは終わることなく永久に続くわけである。想像しただけでぞっとする。
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永遠について(3)
今度は俳句を紹介しよう。俳人の高柳克弘が20歳に詠んだ1句である(『未踏』所収、ふらんす堂)。
ことごとく未踏なりけり冬の星
これに出会ったときは、息を呑んだ。すごい句だ。しかも20歳前後の若者がこれを作ったのかと驚嘆した。いや、同時に恐怖のイメージそのものすら感じたのだった。
冬の夜に視線を頭上に向ければ、満点の星が冷たく輝いている。数知れない恒星と惑星たち。わたしたちが生きているあいだには、太陽系の外にある惑星に人類に人類が辿り着くことは不可能に違いない。いや、人類が滅びないうちに到達すること困難だろう。地球上ならば、手段さえ選ばなければ未踏の地はもはやあり得ないかもしれない。だが頭上の星々はことごとく降り立つことが不可能なのだ。永遠に未踏のままなのだ。
そうしたあからさまな事実を反芻しても、そこでむしろ反発心や英気を張らせるのが若さというものだろう。イメージの飛躍とともに、ある種の力強い気負いがその1句からは明確に伝わってくる。だがわたしがこの句を知ったのは既に60代に入っていた時期であった。
老いや死がリアルなものとして感じられてくる人生の季節において、高柳の句はどのように響いたか。あまりにも遠い(そして美しい)星たち、広大で虚無そのものの宇宙空間、到達することの不可能性、未踏という単語がもたらす妙な具体性と絶対的な無力感――それらが強烈な自己否定として自覚されたのだった。それはむしろ恐怖に近く、永遠がもたらす畏怖の感情へとダイレクトにつながっていた。
わずか17音でこれだけ精神を揺り動かしてくるところに、わたしはうろたえざるを得なかったのである。
それにしても永遠というものは、実は日常にいくらでも転がっている。たとえば循環小数や円周率。それらは分数やπといった形で簡易かつコンパクトに表現されてしまうところにうっすらと虚脱感が生じる。壁氏やタイルの模様は、決して終わることのない反復を繰り返す。マトリョーシカ的なもの、フラクタルなものだって珍しくない。オルゴールの奏でるメロディーも、円環構造という点では永遠性を孕んでいる。だが通常において、わたしたちは日常に潜む永遠性に打ちのめされることはない。些細なきっかけ、奇襲のような契機によってそれらが活性化されない限りは。
うかうかと永遠性に精神が反応してしまったら、そこで死と直面したときに類似した戦慄が生じる可能性は大いにあるだろう。日々の生活は油断がならない。
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どうでもいい、じじぃの日記。
「ことごとく未踏なりけり冬の星」
松尾芭蕉の句。
「だが通常において、わたしたちは日常に潜む永遠性に打ちのめされることはない。些細なきっかけ、奇襲のような契機によってそれらが活性化されない限りは」
10月1日、世界最高齢104歳でスカイダイビングに挑戦した女性がいた。
元気なおばあさんだことと感心していたら、9日朝、入所していた高齢者施設で亡くなったとのこと。
きっと、些細なことで亡くなったのだろうなあ。
人ごととは思えないなあ。