じじぃの「歴史・思想_690_いま世界の哲学者・創造的破壊・シュムペーター」

What is creative destruction- Definition and examples

●Joseph Schumpeter - creative destruction
Joseph Alois Schumpeter (1883-1950), an Austrian political economist, coined the term ‘creative destruction.’
Schumpeter was Finance Minister of Austria in 1919. In 1932, he became a Harvard University professor. He was one of the most influential economists of the last century.
https://marketbusinessnews.com/financial-glossary/creative-destruction/

いま世界の哲学者が考えていること

岡本裕一朗(著)
【目次】
序章 現代の哲学は何を問題にしているのか
第1章 世界の哲学者は今、何を考えているのか
第2章 IT革命は人類に何をもたらすのか
第3章 バイオテクノロジーは「人間」をどこに導くのか

第4章 資本主義は21世紀でも通用するのか

第5章 人類が宗教を捨てることはありえないのか
第6章 人類は地球を守らなくてはいけないのか
第7章 リベラル・デモクラシーは終わるのか

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『いま世界の哲学者が考えていること』

岡本裕一朗/著 朝日新聞出版 2023年発行

第4章 資本主義は21世紀でも通用するのか――第4節 資本主義は乗り越えられるか より

仮想化する通貨

資本主義にとってテクノロジーが決定的に重要であることは、あらためて言うまでもありません。18世紀の後半にイギリスで産業革命が起こったのは、テクノロジーにおいて新たな発明が生み出されたからです。ところが、現代のテクノロジーの変化は、18世紀の産業革命以上と言えます。とすれば、現代テクノロジーの「革命」は、資本主義に決定的な転換を促すのではないでしょうか。

かつて「情報革命」が始まった1970年代頃、アメリカのダニエル・ベルやフランスのアラン・トゥレーヌといった社会学者たちが「ポスト産業社会論」を提唱し、注目を集めました。また、この社会論にもとづいて、フランスの哲学者ジャン・フランソワ・リオタールが「ポストモダン」論を提唱したのです。しかし、当時の「情報革命」では、パソコンもインターネットも一般に普及していませんでした。

ところが、今日の情報通信テクノロジーの進展は、当時とは比べものになりません。そうであれば、現代の情報通信テクノロジーは、資本主義を根底から変えていくのではないでしょうか。まさに、そうした可能性を示しているのが、「ビットコイン」と呼ばれる「仮想通貨」です。

2014年に、アメリカのソフトウェア開発者マーク・リーセンは、「ニューヨークタイムズ」紙に、「ビットコインはなぜ重要か」という記事を発表していますが、そのなかで彼は、「ビットコイン」の出現は、パソコンやインターネットの登場にも匹敵する、と述べています。

ITによって変容する資本主義

現代のように情報通信テクノロジーが発展していけば、資本主義はどうなるのでしょうか。今まで通りの形態を維持していくのでしょうか。それとも、ポスト資本主義へと変わるのでしょうか。そうだとしたら、どのような社会が到来するのでしょうか。

こうした問題を提起しているのが、アメリカの文明批評家ジェレミー・リフキンの『限界費用ゼロ社会』(2014年)です。リフキンは、現在進行中の情報通信テクノロジー革命(IoT、3Dプリンタークラウドファンディングなど)が、どのように社会と経済を変えていくかを描き出しています。
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18世紀の後半に、重要なテクノロジー的発明が行なわれ、産業資本主義が成立しました。20世紀の後半に、情報通信テクノロジーの革命が引き起こされたとすれば、資本主義が21世紀に大きく転換するのは間違いないと思われます

しかしながら、「資本主義が終焉しシェアリング・エコノミー(共有型経済)に代わる」といったリフキンの予言には、賛成できません。というのも、デジタル・テクノロジーの革新によって、「限界費用」が低下していくとしても、利益がまったく生み出されなくなるわけではないからです。現在でも、LINEをはじめ、表面的には無料のサービスは棲む鳴くありませんが、ビジネスとして成立するには、全体として利益を生み出すシステムができあがっています。

この点は、リフキンも持ち出しているオンラインの大学講座MOOCsを見れば、了解できます。講座を視聴するだけであれば無料ですが、教師とのコミュニケーションや、講座の修了証などには課金されます。そのため、講座の実際の実際の修了者はほんの数%に過ぎず、これが今後も存続できるか危惧されています。このシステムを維持するのは、すべて無料というわけにはいきませんし、別の形で利益を生み出すことが必要でしょう。
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このように見ると、リフキンが言う「シェアリング・エコノミー」は、資本主義に取って」変わるのではなく、むしろ資本主義の一部として組み込まれる、といった方が現実的であると思います。

資本主義は生きのびることができるか

それでも、リフキンの議論が、ある重要な問題を提起していることは間違いありません。というのは、オーストリア出身の経済学者ヨーゼフ・シュムペーターが、20世紀の中頃に提起した根本的な問いを、あらためて取り上げたからです。

もともと、リフキンの本は、議論の進め方がシュムペーターの資本主義論と似ていますから、根本的な発想においてシュムペーターと共通なのは当然かもしれません。では、シュムペーターが提起した根本的な問いとは何だったのでしょうか。

『資本主義・社会主義・民主主義』(1942年)のなかで、シュムペーターは「資本主義は生きのびることができるか?」という問いを、第2部のタイトルにしました。この問いがきわめて重要であったのは、彼の死の前夜まで書かれていた論者でも、確認できます。この問題を、シュムペーターは繰り返し問い直しているからです。

シュムペーターはその問いに、どう答えたのでしょうか。第2部の冒頭で、「資本主義は生きのびることができるか。否、できるとは思わない」と端的に答えて、シュムペーターは次のようなテーゼを提出しています。

  私の確立せんとつとめる論旨はこうである。すなわち、資本主義体制の現実的かつ展望的な成果は、資本主義が経済上の失敗の圧力に耐えかねて崩壊するとの考え方を否定するほどのものであり、むしろ資本主義の非常な成功こそがそれを擁護している社会制度をくつがえし、かつ、「不可避的に」その存続を不可能ならしめ、その後継者として社会主義を強く志向するような事態をつくり出すということである。

このテーゼの前半部分は「資本主義は失敗する、崩壊する」といったマルクスの予言に反対して、むしろ資本主義の成功を主張しています。それにもかかわらず、シュムペーターは、「資本主義は生きのびることができない」と主張するのです。

マルクスの予言が「資本主義は失敗することによって生きのびることができない」だったのに対して、シュムペーターは「資本主義は成功することによって生きのびることができない」と予言したわけです。

シュムペーターによれば、資本主義のエンジンともいうべきものは、「起業家」が不断に行なう「革新(イノベーション)」です。これを彼が「創造的破壊」と呼んだことは、今ではよく知られています。彼はその重要性を、次のように述べています。

  資本主義のエンジンを起動せしめ、その運動を継続せしめる基本的衝動は、資本主義的企業の創造にかかる新消費財、新生産方式ないし新輸送方法、新市場、新産表組織形態からもたらされるものである。(中略)この「創造的破壊」の過程こそが資本主義についての本質的事実である。それはまさに資本主義を形づくるものであり、すべての資本主義敵企業がこの中に生きねばならぬものである。

ところが、資本主義のエンジンであるイノベーションも、やがて日常業務化され、次第に自動化されていく、とシュムペーターは考えています。こうして、イノベーションを推進していた企業も、成功することによって官僚化していく、というわけです。
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20世紀の歴史を見れば、資本主義は崩壊することなく、むしろその後継者と見なされた社会主義の方が崩壊し、資本杉は存続・拡大しています。とすれば、シュムペーターの予言は外れたというべきでしょうか。

しかし、どのようなタイム・スパンをとるかで、その答えも変わってくるかもしれません。というのは、イタリア出身でジョンズ・ポプキンス大学の社会学教授だったジョヴァンニ・アリギが『長い20世紀』(1994年)を出版していますが、アリギはこの書の最終章でシュムペーターの問いをあらためて取り上げ、次のように述べているからです。

  本書(『長い20世紀』)の基本命題は、歴史はシュムペーターが一度ならず二度も正しいことを証明したということにある。成功がもう1回、歴史的資本主義の手の届くところにあるというシュムペーターの議論は、もちろん正しいことが証明された。しかし、これから半世紀はどの歴史が、資本主義の成功が毎回その存続をますます難しくする状況を作り出すというシュムペーターの議論の正しさを説明することも、大いにありうることである。

このように見れば、シュムペーターの予言に結論を出してしまうのは、今のところ時期尚早というべきでしょう。資本主義は今後どうなるのか、最重要な問題であり続けています。