じじぃの「歴史・思想_667_ゼレンスキーの真実・演じたことのない場面」

Watch when Ukraine's Volodymyr Zelensky was a comic: Old videos go viral as he battles Russia

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ゼレンスキーの真実

レジス・ジャンテ、ステファヌ・シオアン(著)
【目次】

第1章 演じたことのない場面

第2章 ドラマの大統領から現実の大統領へ
第3章 95地区の芸人
第4章 オリガルヒとの緊張関係
第5章 プーチンとの交渉
第6章 複雑な欧米諸国
第7章 歴史に出会う場所で

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『ゼレンスキーの真実』

レジス・ジャンテ、ステファヌ・シオアン/著、岩澤雅利/訳 河出書房 2022年発行

第1章 演じたことのない場面 より

「必要なのは弾薬だ。タクシーじゃない」

眠れない夜が明けてみると、ウクライナ国民は戦争のなかにいた。2022年2月23日の晩、多くのウクライナ国民がなかなか眠りにつけなかったのは、2日前に聞いたロシアのプーチン大統領の演説が耳に残っていたからだ。プーチン大統領は、ロシアとウクライナの歴史とそれぞれの地理的条件について長々と自説を展開したあと、ウクライナの存在を一方的に否定するような発言をしたのである。その発言の目的は、自分が始めようとしている戦争の根拠を示すことだった。演説が放送された晩、ウクライナ国民はテレビやスマートフォンタブレットの画面に見入っていた。ウクライナ南部、東部、北部の国境地帯にロシア軍が集結する動きが、すでに数ヵ月前から報じられていた。

ロシアが遅かれ早かれウクライナに侵攻するということをアメリカの情報機関が報道紙を通じて伝えはじめたのは、2021年10年だった。冬が近づくにつれて、情報機関の予測が現実となる。戦争開始はおそらく2月の末で、これまでにない規模の全面戦争になると思われた。CNNは数週間前、バイデン大統領の発言として、首都キーウが爆撃される可能性を伝えた。こうした悲観的な予測を前にして国際社会の不安は高まったが、ウクライナの国民と専門家の多くは半信半疑で、プーチンが取り返しのつかない行動に踏みきるとは想像していなかった。

夜ふけになって緊張が高まる。2月24日午前2時ごろ、ゼレンスキー大統領がワイシャツに黒ネクタイという姿でロシア国民にロシア語で語りかけると、メールとSNSのやりとりが一気に増えた。ゼレンスキー大統領は次のように語った。
「理性に耳を傾けてください。ウクライナ国民が望んでいるのは平和です」。そして、プーチン大統領と電話で直接話そうとした、と打ち明けた。「しかし電話に出てはもらえなかった」。彼はおごそかにふたつの国の今後に言及した。
ウクライナは戦争を求めてはいない。ウクライナは攻撃はしないが、防衛はする。そして立ち向かう。背中を向けることなく、正面から立ち向かう」

その後しばらくして、プーチン大統領の夜の演説が放送される。プーチンは熱っぽい口調で、「ウクライナの非ナチ化」を目的とする「特別軍事作戦」を開始すると告げた。それが宣戦布告を意味することを、誰もがすぐに理解した。演説が終わってから数時間後、クラマトルシク、キーウ、ハルキウ弾道ミサイルが撃ち込まれた。パニックが起こった。2月24日、朝6時を迎えるころ、ロシアがウクライナに仕掛けた戦争が始まったのだった。

やがてロシアの戦車が列をなして国境を越え、戦術部隊が展開しはじめた。黒海ベラルーシから発射された長距離ミサイルが、空港や軍事施設に着弾した。ヴォロディミル・ゼレンシキーは夜明けごろ、かつて大統領選をスタートさせたときやっていたように、自撮りモードにしたスマートフォンをつかんだ。襟元(えりもと)をゆるめたネクタイをしたは、怒りの表情で国民に直接語りかけた。
プーチンウクライナに、そして民主主義の立場に立つ世界全体に宣戦布告した。この男の私の国家、私たちの国家、私たちが築き上げたものすべて、私たちが生きる目的すべてを破壊しようとしている。ウクライナ国民、とくに兵士のみなさんに言いたい。あなたがたは勇敢でタフだ。あなたがたはウクライナ人なのだ」
彼は変わりつつあった。ヴォロディミル・ゼレンシキーは、大統領として平和をもたらすと約束することによって、戦時下の国のリーダーになろうとしていた。

芸術家やクリエーター、あるいは何にでも手を出す人間はひとりで何人分もの人生を経験するものだが、44歳になるヴォロディミル・ゼレンスキーはまさにそんな人間である。コント作家、俳優、シナリオライター、プロデューサー、実業家である彼は、二度にわたってウクライナ大統領に地位についたことで有名になった。最初は2015年、『国民のしもべ(僕)』というテレビ番組で元教師の大統領を演じ、二度目は2019年、現実の選挙で勝利して大統領になった。この成り行きはあまりに斬新で珍しかったので、投票したウクライナ国民自身、夢なのか現実なのかわからなくなるほどだった。テレビ番組のほうのゼレンスキーはヴァシル・ゴロボロジコという人物に扮(ふん)し、ウクライナ大統領の身に起こるあらゆる出来事を想像力を駆使して描いていた。だが、戦時の大統領の役までは演じなかった。

他のヨーロッパ諸国では、存命の戦争経験者がいなくなるにつれて、第二次世界大戦の記憶が薄れつつある。そんなとき、20世紀にもっとも痛ましく悲劇的な出来事に見舞われたウクライナで、またしても重大な戦争が始まってしまった。しかもそれは、1945年以来、ユーラシア大陸でふたつの国家、ふたつの軍隊が通常兵器でぶつりかりあう、最大規模の戦争になるおそれがある。2月24日の夜には、最初に確認された情報として、ウクライナ側に死者137人、負傷者316人が生じたと報じられた。ゼレンスキーは新たな公式表明で、それ以後のメッセージに見られるようになる、簡潔でストレートで一歩も譲らない態度、欧米の良識ある人々の耳に痛い発言もためらわない態度をみせる。
「きょう私は、ヨーロッパ27ヵ国の首脳に、ウクライナNATOに加盟できるかどうか聞いた。しかし、みな返答の影響を恐れて、答えてくれなかった。だが私たちは恐れない。何物をも押されない。国を守ることを恐れはしない。ロシアを恐れはしない」
その日、この演説を少し前、ゼレンスキーはヨーロッパ各国首脳に厳しく深刻な現実を突きつけて、彼らの心に訴えていた。
「私が生きている姿を見てもらえるのは、これが最後かもしれない」

このとき彼は、首都キーウの北西にあるホストーメリ空港に、ロシア軍が特殊部隊を投入していることを知っていた。部隊のなかには、プレコフ警備隊第76空挺攻撃師団の恐るべきパラシュート隊員が含まれている。敵が空港を掌握すれば、大型輸送機を持ち込んで、数時間のうちに特別攻撃部隊をキーウに展開させることができる。ゼレンスキーはきっぱりと言う。
「私は首都に残る。家族もウクライナにいる。子どもたちもだ。私の家族は裏切者ではなく、ウクライナ国民だ。聞くところによると、敵は私を第1の標的に、私の家族を第2の標的にしているという。敵は国のリーダーを抹殺して、ウクライナの政治を麻痺させるつもりなのだ」

脅威は確かに現実のものだった。戦争が始まって数時間のうちに、首都キーウは最大の警戒態勢に入った。爆撃に加えて、ロシアぐんの装甲車の車列が北からキーウへと進んでくる。ウクライナ軍はイルピン、ホストーメリ、ブチャで敵の装甲車の存在を確認した。やがて市民の避難が始まった。女性や子どもを中心とする首都圏400万の市民の半分が、自動車と鉄道で逃げはじめた。戒厳令が敷かれ、ボクシング元世界チャンピオンのビタリ・クリチコ市長は夜間の外出を禁止した。市の関係者は、キーウがすでにロシア特殊部隊の複数の破壊グループに侵入され、破壊と偵察を行なうものと思っていた。

市民は2日にわたって外出を禁止された。領土防衛隊と警察は、不審な者を見つけたら誰何(すいか)なしに射殺するよう指示を受けた。オボローニ地区とポジール地区では、軍用車両に乗ったロシア軍人のグループが射殺された。国家安全保障・防衛会議によると、彼らの目的は砲兵隊の今後の標的に目印をつけると同時に、ウクライナの指導者たちを殺すことだったという。イギリス大使から電話を受けた副首相イリーナ・ベレシチュクは「倒すべき人物のリスト」に自分が入っていることを知らされた。

やがて、ウクライナ国家安全保障・防衛会議長官のオレクシー・ダニーロフは、ゼレンスキーを暗殺しようとする計画が少なくとも3回あったと明かした。もっとも重要なものは、プーチンの庇護を受けたチェチェン共和国の首長、ラムザン・カディロフの手下たちで構成されるチェチェンの軍事組織カディロフツイの特殊部隊によるものだった。ダニーロフの説明によると、ウクライナの警護担当部署にロシア連邦保安庁FSB)から漏洩(ろうえい)した詳しい情報が寄せられたという。本書の著者はこのことをアメリカの情報源によって確認した。

ゼレンスキーに脅威が迫っていることを受けて、米国は彼にウクライナからの出国を提案する。だが、ジョー・バイデンの命を受けて、説得にきた者たちに、ゼレンスキーはそっけなく答えた。

「必要なのは弾薬だ。タクシーじゃない」

歴史に残る名台詞(めいせりふ)である。時間がたつにつれてゼレンスキーは大胆になってきた。ロシア側の不穏な計画とフェイクニュースに対して、インスタグラムとSNSという、手になじんだ武器を使って即座に切り返す。こうしてウクライナ人だけでなく世界中のインターネット利用者が、この戦争を間近に見ることになった。