じじぃの「科学・地球_488_温度から見た宇宙・生命・深海・熱水噴出口」

【ゆっくり解説】深海の謎の生物?「チューブワーム」とは何者なのか?を解説/熱水噴出孔周辺に生息する、和名ハオリムシの不思議な生態とは

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Ffrx3uStqZw

生命誕生の場は深海か?


生命誕生の場は深海か? 熱水噴出孔周囲で電流発生を確認、複雑な有機物やDNAも合成?

2017年05月08日 サイエンスジャーナル
地球上の最初の生命はどこで誕生したのだろうか?
それは難しいテーマだ。約40億年前の「地球生命の起源」では以下のようなプロセスが大筋で受け入れられている。原始地球ではメタン、硫化水素アンモニア、水素などの還元的物質が豊富に存在し、それらが高温・高圧下で反応して生体分子がつくられ、鉱物表面で重合して高分子化し、紫外線が遮断された環境で細胞化したと考えられている。
http://sciencejournal.livedoor.biz/archives/5381949.html

『温度から見た宇宙・物質・生命――ビッグバンから絶対零度の世界まで』

ジノ・セグレ/著、桜井邦朋/訳 ブルーバックス 2004年発行

第4章 極限状況下の生命 より

バートンとビーブの潜水球

1920年代後半に、ニューヨークに住むウィリアム・ビーブと、オーティス・バートンの2人が、深海探険用の装置を作り始めた。この装置を彼らは、「深い」を意味するギリシャ語bathyに因んで、バチスフィアと名づけた。「深く潜るための球」ということだ。直径が1.5メートル弱のバチスフィアは厚さ4センチメートルの鋼鉄から作られ、両側ののぞき穴には厚さ8センチメートルの融解石英ガラスが取りつけられた。内部は、ビーブとバートン、2本の酸素ボンベ、彼らが吐いた二酸化炭素吸収用のソーダ石灰のトレイ、それに湿気吸収用の塩化カルシウムのトレイを収めるのがやっとだった。
この球は同行する荷船、レディ号の船上から操作された。暗い海底を照らす光源のために、ビーブとバートンは、電線と電話線をホースに通し、球と荷物をつなぐケーブルに沿って這わせた。この比較的原始的な工夫でも、舷窓から外を見るための250ワットのスポットライトに電力を供給することができたのである。
1930年の6月、バチスフィアは約400メートルまで潜った。1934年には、ビーブとバートンは、ケーブルと巻き上げ機の限界である約900メートルの深さにまで到達した。
薄暗いスポットライトの下で、2人はたくさんの奇妙で不思議な生き物を見た。彼らは興奮し、報告書の際には、本当に見たものと見たと思い込んだ幻覚とが入り交じってしまった。演出上手のビーブは、海底から電話を使って、NBCラジオに生出演したことがあった。1934年出版の彼の著書『半マイルの深みにて』には、次のような記述がある。「深海の虹色に輝くダツ・サーベルのような歯をもつホウライエソ……輝く尾びれをもつ竜魚、激しく光り輝くエビ」。
こうした扇動的な報告は、海底についてさらに知りたいという欲求を刺激した。

クラムベイク1:熱水噴出口

1975年、ガラパゴス諸島近くのエクアドルの西、約600キロメートルにある谷をアルヴィン号によって探険する計画がスタートした。
この太平洋海嶺の東の支脈は、ココス、ナスカという2つの離れていくプレートの境界に位置している。大西洋中央海嶺と比較して、これら両プレートは非常に速く離れつつある。海底にある温泉の探査は成功間違いなかった。海水温の異常は1976年に測定された。水中カメラは、まるで盛大なディナーのあとで船から投げ棄てられたかのような、貝殻の山をとらえた。この調査予定海域は「クラムベイク(浜辺パーティー)1」と呼ばれるようになった。1977年の2月に、アルヴィン号は、中心谷を目がけて最初の潜水を行なった。
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1979年、ウッズホールの研究者たちは、メキシコ沖の海面下約2700メートルにある地溝をアルヴィン号で探検し、そこに遙かに熱い海水の存在を見出した。今度は生物学者が同行していた。そこの海底は、海嶺を中心に特に速く広がっていたので、ガラパゴス諸島近くの中心谷以上に熱水が噴き出る噴出口を探すのには適した場所であった。
その年の4月に最初の潜水が実地された。アルヴィン号は、未踏の海域で海洋底に沿って移動し、小さな黒煙の雲の中へと入っていった。この潜水艇は突然、上昇流に捕えられ、ひっくり返り、海洋底からのびる約9メートルもの煙突にぶつかった。この潜水におけるアルヴィン号の艇長、ダドリー・フォスターは、潜水艇を立て直し、この煙突に再び接近したが、今度は注意深くやってのけたのだった。
煙突は、何か柔らかな火山性の物質からできているように見えた。フォスターは、その表面にある割れ目を通して、煙突が中空であり、それが潜水艇のスポットライトに照らし出されてきらきら輝く結晶で覆われているのを見た。アルヴィン号の船体に取り付けられた温度計は、煙突に近づくにつれて上がり始めた。煙突にかなり近くなった時、フォスターは遠隔装置機器を用いて、煙突の中へ温度計をさし入れた。ガラパゴス諸島での潜水時に用意したこの装置は、上限が約30度Cであったが、温度計はすぐに振り切れてしまった。クルーは、温度計が誤作動したか、もしかしたらこわれたのではないかと考えた。
海面に戻ったあとで、彼らはこの温度計を調べてみた。プラスチックのホルダーが溶けており、他の部分は炭化していた。事典を調べてみると、このプラスチックの融点は180度Cであった。
その翌日、ますます高揚したこのチームは、次なる潜水準備をした。ボブ・バラードと、フェマス計画の副リーダーのジャン・フランシュトーが、再び同じ場所を調べるためにアルヴィン号で潜水した。彼らはたくさんの噴出口を見たが、あるものは黒煙を、ほかのあるものは白煙を噴きあげていた。
注意してこれらの噴出口の1つに向かって進みながら、彼らは特別な温度計を用いて温度の測定を初めた。噴出口の中にさし入れた時、前日と同様、目盛りがはね上がった。彼らは何回も測定しなおし、温度計が正常に働いていることを確認した。最高記録は350度Cであった。フランシュトーはこう語った。「そこはまさに地獄とつながっているようだ」。
今では「スモーカー」とも呼ばれているこれらの熱水噴出口の発見は、注目すべきものだった。この発見は、あるはずのない鉱物が海洋底に豊富にあることを見事に説明した。これらの鉱物は、噴出口からほとばしり出る高圧下の熱水によって、地下の鉱脈からもちだされたのであった。
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ガラパゴス海嶺への最初の潜水から20年の間に、500以上の動物の新種が噴出口で発見されている。あるものは既知の動物に似たものだが、あるものは驚くほど大きく違っている。ボブ・バラードは、海洋底の開口部周囲に集まる3メートルもある長いチューブワームについて、次のように記している。
  彼らは露出した赤い身体の先端によって、海水から酸素やほかの無機化合物を吸収する。この先端は管から突きでた頭のように見える。どちらかというと、それらはむしろエラに似ている。この赤い部分には、何百何千という小さな触手が並んでいる。

チューブワームは3年を待たずに最大の大きさに成長し、およそ2年後には生殖を始める。彼らはたちてい2、3年しか生き延びられない。ある時は、噴出口からの湧き出しが止まって死に、またある時は、海底の割れ目から噴出する溶岩に埋もれて死ぬ。地上の火山噴火と同じように、噴出口は、2、3年という比較的短命のものであることが多い。噴出口が支える生命は、噴出口がなくなると死に絶えてしまう。
チューブワームは1977年に「発見」されたのだが、実は新種ではなかった。この生物の学名はリフティア‐パキプティラで、リフティアは中心谷(リフト)にこれらの生物が棲んでいることを思い起こさせる。化石の多くは同定が難しい。地球化学者のレーチェル・ヘイマンっとランディ・コスキーがアラビアの古い銅山を調査していた1983年に、長さが約3メートルもある生物の化石を見つけたが、それが突然、意義深いものとなった。

銅の堆積物とチューブワームは、熱水噴出口に存在する。それは、銅山がかつて海底だったということを意味する。

プレートは、現存する大陸の下で離れて広がっていき、上層の大地を引き裂くこともある。紅海、アデン湾、東アフリカの地溝帯などはすべて、こうした大地の割れ目から生じたのである。鉱山のある場所は、地質学的に活動的であることが知られている。このようにして、大陸が海になり、海が陸になる。9500万年前、これらの化石は生きて活動しており、アルヴィン号のクルーが1977年に初めて見たものとよく似ていたのである。