自心を知り育む-心の礎の手引き-17
2022年7月21日 note
人間の備え持つ「五感」と個々の感性で「おもてなし」を体感した人々の心に、様々な感情が生まれることにより各々が独自に持っている「六感」に訴えかけ動かします。
https://note.com/project_ishizue/n/n3a1c695a81d6
PartⅢ 脳の可能性は無限大――脳科学で「心」を理解できるのか? より
たえず変化し続けるもの
心とは脳の働きであるという考え方は、現代ではすっかり市民権を得た考え方になりました。心のことを知るためには、まず脳のことを知りたい、そう思って本書を手に取ってくれた方も多いのではないでしょうか。
しかしこれまで見てきたとおり、脳だけを理解しても脳のことは理解できません。
体は、時々刻々と変化する脳を取り巻く環境のセンサーであり、五感や固有感覚、平衡感覚、内臓感覚は、最終的に一括して電気信号に変換されて脳へと送られます。脳はそれらを統合して、計算し、その結果を体にフィードバックします。脳の計算は、必ずしも完璧ではないので、現実との誤差の情報をさらに脳に返して、修正し学習していきます。このようにして、脳の中に外部世界のモデルを作り上げ、延々と試行錯誤しながら、アップデートを繰り返しているのです。
その過程で生じてくるのが心だと考えられますが、では、心とはいったいどういう脳の働きなのでしょうか。これは難しい問題です。
脳は心のありかとはいえ、脳の中を開けて見てみても、心を生み出す専門の領域や回路があるわけではなく、脳細胞や脳内物質、あるいはその周囲を取り巻く脳内環境があるのみです。それらは、時々刻々と互いに相互作用しながら関係性を変化させ続けています。心とは、いうなれば、この変化そのものであり、変化し続けることこそ心の働きに重要であるといえます。したがって、心というものの実体など存在しないといえるでしょう。
たとえば、時を刻む時計は、分解してしまえば、歯車やネジやバネのかたまりです。しかしこの歯車やネジやバネのかたまりは、もはや時計ではありません。脳も同様に、脳細胞をただ漫然と集めればそれが脳になるかというとそうではなく、それらが適切に相互作用し続けることが必要になります。
このような考え方は、仏教に見られる「色即是空(しきそくぜくう)、空即是色(くうそくぜしき)」に近いように思えます。一切のものには恒常的な実体などなく変化し続けるものである、しかしその変化そのものが存在である、というものです。
心には実体はないかもしれませんが、脳がどのように組み上がっているかのルールを知ることや、その結果それらがどのように相互に関係し合うかをさまざまな角度から測ることで、心を理解することができると考えています。脳科学は、そのためにある学問なのです。
「心の理論」とは
もう1つ重要な疑問があります。心とは人間の脳に固有のものなのでしょうか。それとも動物にも心はあるのでしょうか。
私たちはそのメカニズムは知らないにせよ、漠然と心というものがあるというのは理解しています。しかし、その我々が薄々理解している心というものすら、脳の錯覚なのかもしれないという考え方もあります。
たとえば、私たちは、生まれたばかりの赤ちゃんや動物にも心があると信じています。ヘタをすると、二次元の絵や、コンピュータスクリーン上で相互作用する2つの幾何学模様やドットにすら、何か意図や意識のようなものを感じてしまうという経験はあるのではないでしょうか。
じつは、これは正常な反応で、脳には、「心の理論」と呼ばれる、他者の心を推察し、理解する能力があります。「他者も自分と同じような心を持つだろう」と思ってしまうというものです。たとえば、「自分が楽しいから相手も楽しいはず」と考えるだけでなく、「自分は楽しくても、相手は楽しくないかもしれない」などと相手目線で考えることができます。このような能力は、人間でも5~6歳にならないとできないと考えられています。
これまでの研究では、動物にも多少の心の理論があることが示されていますが、必ずしも人間と同様の心を持っているとはかぎりません。
いずれにせよ、このような心の働きは、突き詰めると脳細胞や脳内物質で作られます。それゆえに、いかに脆くあいまいで壊れやすいものかはこれまでに見てきたとおりです。そう思うと、当たり前のように感じている心というものが、奇跡のように思えてきませんか。
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どうでもいい、じじぃの日記。