じじぃの「歴史・思想_597_プーチンの正体・ウクライナ侵攻・始まり」

Huge Russian convoy moving towards Kyiv as Russian invasion of Ukraine enters day 5 | English News

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=D4SQ_QW6Xu4

Ukraine invasion


How Russia's invasion of Ukraine could impact you

February 24, 2022 NPR
The long-feared invasion of Ukraine by Russia jolted markets, sent energy prices higher and prompted promises of a new round of consequences for Russia - signals that even people out of immediate harm's way will be affected by what threatens to become the biggest war in Europe since World War II.
https://www.npr.org/2022/02/16/1081185004/russia-ukraine-invasion-us-impact

プーチンの正体』

黒井文太郎/著 宝島社新書 2022年発行

まえがき より

2022年2月24日、プーチンがロシア軍にウクライナ侵攻を命じ、侵略戦争が始まった。しかし、このプーチンの「狂気」は、なにも急に生まれたわけではない。彼自身が書いたり語ったりしているが、もともと彼にはウクライナ征服の願望があった。その機会を虎視眈々(こしたんたん)と狙っていたのだ。
ただし、現代の世界では、あからさまな侵略は容易なことではない。国際社会の反発は当然予想されるし、戦争を勝ち抜く力も必要だ。プーチンはその機会をじっと待っていたのである。

第1章 ウクライナ侵攻の全内幕 より

ターニングポイントはバイデン政権の誕生

プーチンは根本的に「侵略者」である。そんな彼がウクライナ征服の野望に動き出したのは、2021年春のことだ。
その前兆は前年、2020年のある出来事だった。同年、民主化運動弾圧で孤立したベラルーシのルカシェンコ大統領が、国際社会で生き残るために強い後ろ盾としてプーチンを頼ったのだ。プーチンはそんなルカシェンコを望みどおりに擁護してやり、そのおかげでルカシェンコは国際社会で孤立せずに、国内の民主化運動弾圧に成功した。以降、独裁者ルカシェンコはプーチンに頭が上がらなくなった。
しかも、それは一時的なものではなかった。ルカシェンコにとっては西側世界の自由と民主主義そのものが敵だ。となれば、同じく西側のリベラルな思想を敵視するプーチンに今後も頼らざるを得ない。つまり、ベラルーシは実質的にプーチンの勢力圏に入ったのも同然だった。
ベラルーシを勢力圏に置いたプーチンにとって、次に大きな存在として目に入ってきたのがウクライナだ。しかし、そのタイミングで米国の政権が代わる。2021年1月、バイデンの政権が誕生したのだ。
バイデンはそれまでのトランプ政権との違いをさっそく打ち出した。トランプが「米国ファースト」を掲げてNATO北大西洋条約機構)同盟国との関係を軽視したのに対し、バイデンは同盟国との関係修復に乗り出した。そして、トランプ政権がした人権問題を外交の前面に押し出した。ロシアと中国を中心とする強権的な独裁国家陣営に対し、西側同盟国と協力して対抗していくとの方針を明確にしたのである。
これはプーチンにとっては警戒すべき動きだった。とくにプーチンが重視しているウクライナに関しては、バイデン政権の動き次第では、西側陣営にガッチリと組み込まれていくかもしれない。なぜなら、バイデンはオバマ政権時の副大統領だった時からウクライナ問題には深く関与しており、大統領となった今、再びウクライナ問題に乗り出す可能性があったからだ。
実際のところ、2014年にロシアがクリミア半島を侵略して併合し、ウクライナ東部のドンバス地方(ドネツク州とルハンスク州)のおよそ半分を地元の親ロシア派勢力を前面に立てて制圧(実際にはロシア軍が非公式に軍事活動)して以降、ウクライナとロシアは実質的には「戦争」のような状態にある。2021年末までの約8年間でおよそ1万4000人もの犠牲者も出ている。この状態は、ロシアが主権国家ウクライナを蹂躙(じゅうりん)し続けているということにほかならない。明らかな侵略行為であり、国際社会としても認められるものではない。
なお、ウクライナではもともと冷戦終結ソ連邦解体以後、親ロシア派と反ロシア派が国民世論を二分してきたが、クリミア侵略以降は反ロシア感情が一般化し、ますます西側への接近が顕著になった。2019年2月には、ウクライナ憲法に「NATOEUへの加盟に努力する義務がある」との条文が追加された。同年5月に就任したゼレンスキー大統領も親西欧路線で、ドンバス紛争では対ロシア強硬路線を強めた。

プーチンが発表した「論文」

そんなさなかでのバイデン政権発足である。ロシアは2021年3月から4月にかけて、突如、クリミア半島およびウクライナとの国境付近に10万人規模の兵力を展開した。もっとも、この時点でプーチンが翌年に実際にウクライナ侵攻することを決断していたかどうかは不明だ。
いずれにせよこうしたロシアの唐突な軍事展開に、バイデン政権は即座に反応した。米英軍を含むNATO軍が黒海に艦艇を派遣するなどして対抗したのだ。ロシア軍もその監視活動を強化し、両軍は対峙する形になった。その後、ロシア軍はいったんは撤収に動き、2021年6月16日には初の米露首脳会談も行われたが、緊張は完全に収まらず、6月23日にはロシア国防相が「クリミア半島のロシア領海にイギリス軍の駆逐艦ディフェンダーが侵入したため、複数回の警告射撃を行った」と発表する事態となった。
6月下旬には米軍・NATO軍とウクライナ海軍が主導する合同軍事演習が開始され、対するロシア軍の監視活動もさらに活発になった。米軍とロシア軍の戦闘機が異常に接近した動画も公開された。
他方、2021年7月にプーチン自身が発表した1本の論文が注目された。

「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」というその論文で、プーチンは事実上、ウクライナはロシアの縄張りであり、域外の国は口を出すなということを論じている。ウクライナ征服への野望が公言されたといってよかった。

同年8月、バイデンはアフガニスタン撤退をめぐって手際の悪さを露呈した。それは、撤退および撤退後の手順についてしっかりと計画を練らないまま、「とにかく早く撤退を」と急いだために起きた混乱だった。バイデンの弱気な対外政策に加え、危機管理能力の欠陥も示した。
同年10月、プーチンは再びウクライナ国境に10万人規模の部隊を出動させた。「演習」との名目だったが、兵站(へいたん)部隊も大量動員し、さながら実戦を想定したような前例のない規模の大展開だった。