じじぃの「歴史・思想_594_福島香織・台湾に何が・蒋介石・以徳報怨演説」

劇団四季 ミュージカル李香蘭】以徳報怨 / 大穴

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nYzSgjOaQ9c

中国で演説する中華民国(台湾)の蒋介石元総統


「以徳報怨」-蒋介石神話と保守派日本人-

2011-01-09 台湾建国応援団
昭和20(1945)年8月15日午前10時(日本時間11時)、日本降伏に応じて蒋介石自ら、重慶中国国民党中央執行委員会広播無線電台(中央広播電台)から「抗戦勝利告全国軍民及世界人士書」演説を放送した。
以下はその一部分で直接「以徳報怨」の言葉は使われていないことが判る。所謂「以徳報怨」放送は敗戦後の日本人に「旧敵国指導者蒋介石=有徳の偉人」像を印象付ける事に成功したといえる。
http://ilha-formosa.org/?p=5399

『台湾に何が起きているのか』

福島香織/著 PHP新書 2022年発行

第4章 台湾と中華民国の異なる歴史 より

「唯一合法の中国」を名乗る2つの政権

1947年、中国では国共内戦が激化していった。同年12月25日、中華民国憲法が施行され、中華民国は憲政を開始するが、この内戦を理由に蒋介石が第1代総統に就任した1948年5月20日と同時に、憲法の付帯条項として動員戡乱時期臨時条款が公布された。つまり国家総動員の戦時体制がしかれたのだった。
だが1949年1月、北京が共産党軍に落とされ、国民党軍は台湾撤退のために同年5月19日、台湾全土に再び戒厳令を発布した。
同年10月、北京に中華人民共和国が成立。国民党は同年12月までに広州、重慶成都と次々に拠点を奪われていき、12月7日、中央政府機構を台湾に移転して台北市を臨時首都とした。
翌年1950年3月14日、この戒厳令立法院の追認を受けて合法化され、38年間続くことになる。国民党政府の台北移転によって、台湾に中華民国の法体制がそのまま持ち込まれることになった。ここで、1950年3月1日に中華民国総統に返り咲いた蒋介石が台湾において独裁体制を築く法的根拠が、台湾人がまったく関与しない形で成立してしまうことになった。
そして「唯一合法の中国」を名乗る2つの政権が、北京と台北に存在する状況が誕生した。

日本人エリートによる蒋介石恩義論

主に米国の政策によって翻弄される戦後の中華民国と台湾の運命だが、ここで日本との関わりにも触れておきたい。
1つは根本博中将や白団(パイダン)のような蒋介石を支持する旧日本軍将校の存在だ。根本中将や白団についての理解には『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(門田隆将著、角川文庫)や『蒋介石を救った帝国軍人――台湾軍事顧問団・白団の真相』(野嶋剛著、ちくま文庫)などのノンフィクションがよい参考書になろう。
簡単に紹介すると、陸軍中将・根本博は駐蒙司令官時代の1945年、8月15日の日本降伏後も続くソビエト軍の侵攻のなかで、すさまじい白兵戦で抵抗して居留日本人4万人を守り抜いた英雄。北支那方面軍司令官を兼任し、在留邦人を内地帰還させた。多くの軍人が一般居留民より軍人、軍属家族の引き揚げを優先させるなか、最後まで残り、在留日本人の帰還と北支那方面軍将兵35万人の復員を終わらせ、最後の船で1949年に帰還した。そして日本に帰ってのち、国民党の敗北と蒋介石の総統辞任の報を知った。
当時の日本人エリートには蒋介石恩義論が広まっていた。終戦の前日の1945年8月14日、蒋介石重慶で行ったラジオ演説いわゆる「以徳報怨演説」で「暴を以って暴に報ゆる勿(なか)れ」と、終戦時に中華民国国民に日本に対する暴力行為を行うなと戒めたことは日本人を感激させていた。また、105万将兵の復員と100万の在留日本人の引き揚げを陸軍主導で認め、協力的であった蒋介石に軍部は恩義を感じていた。
あるいはカイロ会談でルーズベルトから天皇制度の廃止の是非を問われたときに、日本人が決定するべきだと答えたことなどから、蒋介石親日家であり、天皇を国体として維持できたのは蒋介石のおかげと信じられていた。今ではこれが国民党のプロパガンダであることが判明している。
だが、当時はこうした蒋介石への恩義に報いたいとする日本軍人は少なくなかった。根本もそういった蒋介石への恩義から、1949年6月単身、密航によって台湾にわたり、紆余屈折を経て蒋介石と面会を果たしたのだった。トルーマン米政権が国共内戦不干渉を表明し、米国から軍事支援を打ち切られて孤立無援になっていた蒋介石は、英雄と名高い根本を喜んで軍事顧問として受け入れたのだった。
そして根本は1949年10月、金門島を舞台とする古寧頭戦役(こねいとうせんえき)で指揮をとり、金門島を死守した。今、台湾が金門島馬祖島保有できているのは根本のおかげといって過言ではない。
恩義に報い終わった根本は、1952年に民間航空機で帰国した。日本ではスキャンダルにはなったが、蜜出国は不起訴となり比較的な穏やかな晩年を過ごし、1966年に死去している。帰国に先立ち、蒋介石は、イギリス王室と日本の皇室に贈ったものと同じ一対の花瓶の片方を根本に贈ったという。もう片方は今日も中正紀念堂に展示されている。