じじぃの「科学・地球_345_世界を変えた100のポスター・バンクシー」

Banksy 「Girl with Balloon」

注目を集めるアーティスト、バンクシーの作品がハウステンボスに!場内で海外のストリートアーティストが作品制作するオリジナル企画も開催 バンクシー&ストリートアーティスト展 7月9日(土)~9月5日(月)

2022年5月20日 PRTIMES
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000448.000023462.html

『世界を変えた100のポスター 下 1939-2019年』

コリン・ソルター/著、角敦子/訳 原書房 2021年発行

093 バンクシー より

『赤い風船に手をのばす少女』

Banksy:Girl with Balloon[2002年]

通常なら、政治的な抗議や色鮮やかな字が書きなぐられることの多いメディアに、穏やかな絵が描かれている。2002年にはじめて現れて以来、バンクシーの『赤い風船に手をのばす少女』は、多くの境界を飛びこえている。2017年にはイギリス人の好む芸術作品に選ばれた。

落書き(グラフィティ)は芸術、それとも破壊行為の一形式なのだろうか。その答えはおそらく年齢によって、あるいは落書きのメッセージに同意するかどうか、落書きされたのが自分の建物か他人の建物かで変わってくるだろう。だが国際的グラフィティ・アーティストのバンクシーのファンと批評家は、そうした分類には単純に当てはまらない。たとえばバンクシーのほとんどは公共の建物に描かれている。すぐ消された例もあったが、他のグラフィティ・アーティストに台無しにされないよう保護されているものもある。
バンクシーは本名ではない。正体を突きとめたと考える者もいるが、最終的に認められたわけではない。また覆面を剥ぎとらせないというのが彼の活動の真骨頂でもある。落書きは違法なので、グラフィティ・アーティストにとって、素早く作業をしてその最中に捕まらないというのが、名誉にかかわってくるのだ。こうした必要性から、バンクシーは彼の作品と認められる技法を使うようになった。それは警察をやり過ごすためにゴミ収集車の下に隠れているときだった。ステンシルの製造番号が目に留まって、ふと思いついたのだ。壊滅的な人物像をフリーハンドで書き入れるより、ステンシルの型にペイントを吹きつけたほうがはるかに短時間ですむのではないかと。それ以上に、ステンシルならある程度正確性と写実性を実現できる。さらには同じデザインを何度でも再現できるようになる。
『赤い風船に手をのばす少女』がはじめて出現したのは、2002年、ロンドンのサウスバンクにあるウォータールー橋の階段だった。どこの誰ともわからない等身大の少女の手から、ハート型の風船が風に乗って飛んでいく。この絵はロンドン周辺のあちこちに現れた。2007年までに、最初に絵があった場所はすべて塗りつぶされたが、ある店の壁にあった絵は慎重に撤去されて保存された。それが2015年に50万ポンドで売却された。
この絵は人々の心に入りこんでいた。一夜で出現するゲリラアーティストの作品という、ロマンチックなイメージがそれを手伝ったのはいうまでもない。批判者はその魅力を解さなかった。バンクシーの作品をアートと認めれば、大半のグラフィティ・アーティストの不快な破壊行為を正当化することになる。そう恐れるのももっともだった。左翼の人間は、バンクシー無政府主義ブランドはあまりにもふがいなく一貫性がないと考えている。また資本主義の純粋芸術として成功しすぎていると見ているふしがある。
『赤い風船に手をのばす少女』は、グリーティングカードからポスターにいたるまで、あらゆる形で幅広く複製されている。バンクシー自身も長年かけて、この画題に立ち戻ってはバリエーションを制作している。イスラエルパレスチナの境にあるヨルダン川西岸地区の防護壁に描いた例では、赤い風船の束をもった少女が壁を飛びこえている。シリア難民の少女を登場させたこともあった。
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額縁に入ったバージョンは、2018年にオークション業者のサザビーズで100万英ポンドを超える金額で落札された。ところがハンマーが下ろされたとたんに、バンクシーが額に秘かに仕掛けておいたシュレッダーがいきなり作動しはじめた。そうして半分細切れになり、バンクシーが『愛はゴミ箱の中に』と改題した作品は、完全版よりさらに高値を呼ぶのではないかといわれている(2021年10月に行われたサザビーズのオークションでは1,600万英ポンドで落札された)。