じじぃの「科学・地球_333_世界を変えた100のポスター・チェ・ゲバラ」

Che Guevara: Doctor, Revolutionary, Murderer

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=F6mrwD8J4vA

Assassination of Comandante Che Guevara

October 09, 2019 Peoples Dispatch
Che was part of Fidel Castro’s 26th July Movement that overthrow the US-backed brutal dictatorship regime of Fulgencio Batista in Cuba.
https://peoplesdispatch.org/2019/10/09/assassination-of-comandante-che-guevara/

『世界を変えた100のポスター 下 1939-2019年』

コリン・ソルター/著、角敦子/訳 原書房 2021年発行

070 チェ・ゲバラより

Che Guevara[1967年]

ここにその起源と背景、時代を超え、姿が捉えられている人物ですら超越してしまった1枚のポスターがある。制作から50年以上が過ぎた現代で、この写像ルーマニアでの汚職抗議デモやインドの学生会議でよく見かけられる。そしてハバナの土産店でも。

ポスターの正式なタイトルは『英雄的ゲリラ戦士Guerrillero Heroico』。この写真を最初に撮ったのはフィデル・カストロの公式カメラマンがだったアルベルト・コルダだ。1960年、CIAによるハバナ湾爆破事件が起こり、その犠牲者のための追悼集会でこの写真は撮影された。集会にはジャン=ポール・サルトルシモーヌ・ド・ボーボワールも出席していた。そしてカストロの新任の工業大臣で、ポスターになったチェ・ゲバラも。
コルダは現像液の中から画像が浮かびあがった瞬間に、このひとコマを肖像写真に使えると確信した。ゲバラのまなざしには何かがあった。決して鎮まることのない怒りと決意。それが共産主義革命に結実し、革命軍はそのために戦ったのだ。撮影した写真には別の人物とヤシの葉も写っていたので、コルダは写真をトリミングし、少しだけ右に傾けてゲバラの顔を正面に向けた。そして自室の壁にこの肖像写真を貼っておいた。
7年後、ボリビアで革命を起こそうとしたゲバラは、CIAに追いつめられた。その死が間近に迫った頃、イタリアの出版業者のジャンジャコモ・フェルトリネッリが、ゲバラボリビア日記[邦訳は『ゲバラ日記』(角川書店、高橋正訳)]の版権を習得した。表紙にするゲバラの図版を探していると、コルダが自分の肖像写真はどうかと差しだした。フェルトリネッリはイタリアに帰国するとすぐ、ゲバラの苦境に対する関心を高めるためにこの写真のポスターを刷り、日記の緊急出版を宣伝した。1967年10月、ゲバラが捕まり処刑されたというニュースが流れると、ミラノの街路でデモが自然発生し、「チェは生きている!」のシュプレヒコールとともにこの写真が掲げられた。
その瞬間、コルダの写真のゲバラは撮影当時の事情から切り離され、反体制抗議をする全ての者にとっての抽象的英雄になった。この写真は数えきれないほど使われて加工されている。多くの場合、共産主義の信奉者でもなければキューバの知識もない者によって。なかでも有名なのが、アイルランド人のグラフィックデザイナー、ジム・フィッツパトリックが1967年に図案化したシルクスクリーン・プリントだ。この絵の背景には赤が用いられている。フィッツパトリックは、1963年にアイルランドゲバラと会って感銘を受けていた。盗作ではないかという非難を受けて、フィッツパトリックは、原画はコルダからではなくオランダの無政府主義者グループからもらったと主張した。そのグループもジャン=ポール・サルトルからそれを譲り受けたという話だ。
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フィッツパトリックは2008年に、自分の作品の著作権ハバナの病院に寄付した。だが生涯にわたってキューバの献身的な共産主義者だったコルダは、自分の写真がチェ・ゲバラの姿と理念を広く伝えていることをただ喜んでいた。
ただし、その使用について1度だけ断固として反対したことがある。
ウォッカスミルノフの販売キャンペーンのために、広告代理店がこの写真を選んだときだ。それではゲバラの思い出が汚される、とコルダは感じた。資本主義者のドルのための使用は、ゲバラとコルダの意に反するのだ。