じじぃの「科学・地球_332_世界を変えた100のポスター・毛沢東礼賛」

Yanzhe Mao zhuxide geming wenyi luxian shengli qianjin (Advance victoriously while following Chairman Mao's revolutionary line in literature and the arts)

On 1 October 2014, the People’s Republic of China (PRC) will observe the 65th anniversary of its founding which ended a decades’ long period of oppression by imperialism, internal strife and (civil) war. Under the Chinese Communist Party (CCP), modernisation became the most important task.
https://www.researchgate.net/figure/Yanzhe-Mao-zhuxide-geming-wenyi-luxian-shengli-qianjin-Advance-victoriously-while_fig5_281478688

『世界を変えた100のポスター 下 1939-2019年』

コリン・ソルター/著、角敦子/訳 原書房 2021年発行

068 毛沢東礼賛 より

The cult of Mao[1966-1976年]

毛沢東国家主席は宣言している。芸術は第一に政治に従うべきで、次に従うものがあるとしたら芸術だと。中国の印刷業は1950年代の初めに国営化され、配置された軍の監督を受けながら、共産党イデオロギーを直ちに反映する美的原理と主調をつくり上げた。

中華人民共和国では、ポスターが革命の武器の中心的な役割を果たした。またその傾向がひときわ強かったのが、1966年からの文化革命の時期だった。文革毛沢東が没するまで10年間続いた。この悲惨な実験の初期段階では識字率の低さゆえに、視覚的プロパガンダを主要な手段として、国家から人民にイデオロギーが伝えられた。
ポスターは公共の場に貼られただけではない。家の中にも入りこんだので、いまやかつての私的な場で中国の指導者に見下ろされることになった。毛の熱狂的な紅衛兵が古くからある仏壇を破壊すると、それに代わって指導者の肖像画が貼られた。肖像画の下にはイデオロギーの宣伝文句が書かれている。家族が奨励されたのは、信心をやめて、朝には毛の肖像画に指導を仰ぎ、昼には感謝し、夜には革命への貢献を報告することだった。
中国の現在の工場力は、文革での地域をあげての熱心な活動のうえに築かれているという話をよく聞く。たしかにそうかもしれないが、文革は社会に悲劇をもたらしている。中国から教師や知識人、芸術家が失われたほかに、歴史がエアブラシで修正されたのだ。
1958年から1961年までの飢饉は、失策のなせる業で4000万人の死者が出ているが、決して言及されることはない。また反革命分子として元共産党員が非難され粛清されたあとは、古いポスターからその姿が文字通りエアブラシで消され、まったく痕跡を残さすに刷りなおされている。
革命の色である赤は、党のあらゆるプロパガンダに浸透していた。国の最高指導者である毛沢東は必ず中心に据えられ、普通の人間より大きく描かれている。また多くの場合、人々の集団の上に肩から上の巨大な姿をぬっと現している。まるで神聖な存在が、崇拝者にもたらした幸せを見渡しているかのようだ。脇役の人間は理想的な社会集団を表している。たとえば国防軍や農業労働者などだ。どのポスターにも眼鏡をかけたいかにも学者然した人物はいない。そうした者は知識もろとも、文革の早い段階で粛清された。
    ・
毛の共産主義天国で歓迎されたのは、頑強で老いることのないプロレタリアートの鏡のみだった。
毛自身は慈悲深い家父長的権威として描かれている。指図はするが日常の雑事とはかけ書慣れている存在だ。中国はソ連の同様のプロパガンダから発想を得ている。その中心に据えられたのはレーニンスターリンだった。文革で合言葉となったのは「ソヴィエト連邦の今日はわれらの明日」というスローガンだ。毛はどのような外見であっても、必ず「子紅光亮」(赤く、光り、輝く)の表現形式で描写されている。神々しい光が、毛の周囲を照らしているのだ。