じじぃの「歴史・思想_557_物語ウクライナの歴史・遊牧の民・スキタイ」

【予告編#1】ラスト・ウォリアー 最強騎馬民族スキタイを継ぐ者 (2018) - アレクシー・ファッジェーフ,ユーリー・ツリーロ,ビタリー・クラシェンコ 原題:THE SCYTHIAN

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=adjE4k9GdrA

謎に包まれた騎馬民族「古代シベリアのスキタイ人」展@大英博物館

ロンドンアートめぐり
スキタイ人とは何者なのか?
スキタイ人とは特定の民族を指すのではなく、イラン語を話し、同じような生活をしている複数の遊牧騎馬民族の総称である。紀元前800~200年に繁栄し、シベリアで、南中国から黒海まで領土を広げた。
シベリアは地球の地表の10%を占める広大な地域だ。そのほとんどは氷か森に覆われており、スキタイ人はステップと呼ばれる平原に暮らしていた。
定住することはなく、テントで暮らしながら馬に乗って移動を続ける生活だった。
https://art.japanesewriterinuk.com/article/scythians-in-bm.html

『物語 ウクライナの歴史――ヨーロッパ最後の大国』

黒川祐次/著 中公新書 2002年発行

第1章 スキタイ――騎馬と黄金の民族 より

遊牧の民

スキタイ人がどのような民族でどのような社会・習慣をもっていたかは、『歴史』をはじめとする文献の解読や多数残された古墳の発掘により、ある程度推量することができる。
その第1の特徴は、遊牧生活を営んでいたということである。おそらく古代で遊牧による生活形態を最初に確立した民族であろう。遊牧は牛、羊、馬を中心としていた。
ヘロドトスは以下のように述べている。彼らの町も城塞も築かず、移動する際には幌馬車のような車に家財道具を積んで牛や馬に引かせていた。彼らがこのような生活方式を編み出したのは、スキタイの土地が牧草に富み水も豊かな平原で多くの河川が流れているからである。とくにドニエブル川は、全世界でもエジプトのナイル川に次いで資源に富み、良質で豊かな牧場もあれば、多くの魚類を産し、その水は飲料にも適している。河岸一帯は穀物の栽培に適し、耕作の行なわれていないところでは草が見事に茂っている。河口のあたりでは多量の天然塩が結晶しており、また塩千魚に加工されるチョウザメを産するなど、驚くほどさまざまな産物がある。
このヘロドトスの話は、まるでエデンの園の描写のようであるが、現在もウクライナが、「ヨーロッパの穀倉」といわれていることと符号するものである。
ただし、スキタイの地に住むすべての住民が遊牧民であったわけではない。ヘロドトスも、農耕スキタイと呼ばれる集団が存在して、王族スキタイと呼ばれたスキタイの中枢集団の支配下にあったとしている。図式的にいえば、北から南へ、森林ステップ居住し農耕に従事していた農耕スキタイの集団、ステップに住み遊牧民の王族スキタイ、沿岸都市に住む商業や家内工業に従事していたギリシャの3層に分かれていたようである。そして農耕スキタイはスラヴ人の祖先ではないかという学説がある。その根拠は、スキタイが、スキタイとは総称されていても起源を異にするかなり雑多な集団から構成されていたらしいこと、遊牧民が定住して短期間に農民に変わるのは難しいため王族スキタイが農耕スキタイに変ったとは思えないこと、スラヴ人はもともと農耕民族であるが農耕民族というものは支配者が替わっても同じ土地に長く済みつづける性質をもっていることなどである。

動物意匠と黄金への偏愛

スキタイ人は単に勇猛なだけの民族ではなかった。ヘロドトスは、黒海沿岸の諸民族の中ではスキタイ人のみが知能に優れており、黒海沿岸の人々の中で知識人として知られているのはスキタイ人のアナカルシスのみであるとして、スキタイ人を特別に評価している。
アナカルシスとは、紀元前6世紀のスキタイ人の賢者のことであるが、その人格・才知はギリシャで広く知られ、鞴(ふいご)や轆轤(ろくろ)の発明者であるとされている。彼をアテナイのソロンら当時のギリシャの7賢人のなかへ加える説もあるほどだ。
現代の我々からみると、スキタイ人の特筆すべき資質は、その審美眼だろう。それはスキタイの古墳(クルガンと呼ばれる)から出土するきわめて芸術性の高い数々の埋葬品に表われている。スキタイは前4世紀頃その最盛期を迎えたが、当時の王族や貴族と思われる者の墳墓がドニエブル川の中・下流域やクリミア半島に多数残されている。これらの墳墓は、土を盛った円形の小高い丘状になっており、まるで我が国古墳時代の円墳の「先祖」かと思われるような形をしている。大きいものでは高さ20メートル、直経100メートルにもおよび、ユーラシアの草原に残る諸民族の墳墓としては最大規模である。多くの墳墓は荒らされたが、一部盗掘を免れたものもあり、そこから芸術的に素晴らしい副葬品の数々が発見された。
副葬品からわかるスキタイ芸術の特徴は、動物意匠と黄金への偏愛である。