CRISPR-Cas9 : Introduction and discovery
ゲノム編集の光と闇
中国で誕生が確認された「ゲノム編集ベビー」いったい何が問題なのか 『ゲノム編集の光と闇』より
2020.12.11 じんぶん堂
「中国の研究者がゲノム編集した受精卵から子どもを誕生させたと主張」──2018年11月26日、科学界を揺るがす衝撃のニュースが報道されました。その2日後、香港で開催中の国際会議に件の研究者・賀建奎が登壇しました。後日、生まれた双子の存在を中国当局が確認したことも報道されています
賀はヒト受精卵に「エンハンスメント」(強化)を施すことには反対だと言っているが、HIV耐性という医学的に不要な性質を子どもに付与することは「エンハンスメント」に当たるとも考えられる。「感染症にかかりにくい性質」を付け加えてもいいのなら、「がんにかかりにくい」も「高血圧になりにくい」もいいだろうし、「身長が高い」「運動能力が高い」といった遺伝子改変にもつながっていくだろう。
まさに、デザイナーベビーや優生学的利用、人類の遺伝子の改変に向けた「滑り坂」の第一歩という懸念がぬぐえない。
https://book.asahi.com/jinbun/article/13735994
『私たちが、地球に住めなくなる前に』
マーティン・リース/著、塩原通緒/訳 作品社 2019年発行
第2章 地球での人類の未来 より
バイオテクノロジー
クリスパー・キャス9(CRISPR/Cas9)という新しい遺伝子編集テクノロジーは、従来の技法よりも認められやすい方法で遺伝子配列を変更できた。クリスパー・キャス9はDNA配列に少々の変化をほどこして、有害な遺伝子を抑制する(もしくは、その発現を改変する)。しかし、これが「種の壁を越える」ことはない。人間においては、この最も安全で、最も穏当な遺伝子編集の利用によって、特定の病気を生じさせる1個の遺伝子が除去される。
体外受精は、すでにクリスパー・キャス9よりも侵襲性(外部からの刺激によって生体内の恒常性を乱す可能性があること)が低い方法で、有害遺伝子の除去を可能にしている。この処置では、排卵を誘発するホルモン療法をほどこしたあと、卵子をいくつか取り出して体外受精させ、初期段階まで発育させる。その後、それぞれの胚から取った細胞1個を検査して、望ましくない遺伝子が存在していないかどうかを確認し、問題がなければそのまま移植して、あとは通常の妊娠段階を踏ませる。
現在では、特定の種類の欠陥遺伝子を取り換えるための別の技法もある。細胞内の遺伝物質のいくつかは、ミトコンドリアという細胞小器官の中に存在しているが、このミトコンドリアは細胞核とは分かれている。欠陥遺伝子がミトコンドリアのものであれば、それを別の女性から採取したミトコンドリアと入れ替えることができる。そうして生まれるのが、いわゆる「3人の親を持つ赤ちゃん」だ。この技法は、イギリスでは2015年に合法化された。次なる段階は、細胞核内のDNAに遺伝子編集を使うことだろう。
一般市民の意識の中では、有害なものを除去する人為的な医療介入と、同様の技法を「強化(エンハンスメント)」目的で利用することとのあいだに明確な区別がある。個人の特徴(体格や知能など)の大半は、多数の遺伝子の総体によって決まる。何百万もの人間のDNAを入手できるようにでもなれば、そのとき初めて(AIに補助させたパターン認識システムを使って)関連する遺伝子の組み合わせを特定することが可能になるだろう。短期的には、それがわかれば対外受精に際して胚選別の情報提供に使うことができる。しかしゲノムの変更や再設計となると、実現する見込みははるかに薄い(そしてもちろん、危険も大きく、疑問視もされる)。これが実現されるまでは――そして必要な処方のもとでDNAの人為的配列ができるようになるまでは――「デザインナーベビー」は頭の中にも腹の中にも入る余地がない。興味深いのは、この方法で子供を「強化」すること(つまり、もっと実行しやすい単一遺伝子編集を使って特定の疾患や障害につながる傾向を除去しようというのではないこと)に、どれだけ親の希望があるかはわからないということだ。1980年代、カリフォルニア州に「レポジトリー・フォー・ジャーナル・チョイス」という精子バンクが設立された。これはまさに「デザインナーベビー」の概念を可能にすることをめざしたもので、俗に「ノーベル賞受賞者精子バンク」とも呼ばれ、トランジスタの共同発明者でノーベル賞受賞者のウィリアム・ショックレーなど、限られた「エリート」だけがドナーとして選定された。ちなみにショックレーは晩年、優生学の熱心な支持者であることで悪名を馳(は)せた人物である。彼にとっては意外だったことに――しかしおそらく大半の人にとっては喜ばしかったことに――この精子バンクにたいした需要はなかった。
・
前述したように、クリスパー・キャス9技法を人間の胚に対して用いるような実験は、倫理的な懸念を誘発する。バイオテクノロジーの急速な進歩は、今後もさまざまな懸念を呼び起こす事例をさらにたくさん生んでいくだろう。
その実験は安全なのか、「危険な知識」が広まったらどうするのか、その知識はどう応用すれば倫理にかなうのか。ひとつの個体だけでなく子孫にも影響を及ぼすような――つまり生殖細胞系を改変するような――処置は、どうしたって不安を呼ぶ。たとえばデング熱やジカ熱のウィルス株をばらまく蚊の生殖能力を損なわせ、それによってその蚊の種の一掃をはかるという試みが、90パーセントの成功率で実施されたことがある。イギリスでは、ハイイロリスの駆除のために「遺伝子ドライブ」(特定の遺伝子が隔って遺伝する現象)が利用された。ハイイロリスは言うなれば、もっと可愛らしいキタリスの生存を脅かす「害獣」だったのだ(もっと情け深い作戦をとるならば、ハイイロリスが媒介するパラボックスウィルスへの耐性を備えられるようにキタリスを遺伝子操作するのがいいだろう)。同じような技法が、ガラパゴス諸島に侵入した外来種――とくにクマネズミ――を絶滅させて、この地の独特な生態系を保存するのに使えるとして提案されている。しかし一方、有名な生態学者のクリス・トマスが近年の著作『なぜわれわれは外来生物を受け入れる必要があるのか』で主張していることも一考に値する。彼によれば、生態系をより多種に、より強靭にするという点で、種の拡散はプラスの影響をもたらすことも多いそうだ。