日本の雇用は変わるのか?激化する人材獲得競争…雇用流動化の着火点は 【2月21日(月) #報道1930】
世界で最も生産的な国
日米比較を通して日本の労働生産性向上の方策を考える
総務省
一国の人口が減少する中で経済的な豊かさを実現するには、一人当たりが生み出す経済的な成果を増やすことが必要となります。
これを定量的に表す指標の1つとして「労働生産性」が用いられます。労働生産性とは、一般に、付加価値を労働投入量で割ることで算出され、就業者1人あたり又は就業1時間あたりの経済的な成果とされます。
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/02tsushin02_04000050.html
ちくま新書 SDGsがひらくビジネス新時代
竹下隆一郎(著)
SDGsの時代を迎えて、企業も消費者も大きく変わろうとしている。ビジネスの世界は一体どこへ向かっているのか? 複眼的な視点で最新動向をビビッドに描く!
序章 SNS社会が、SDGsの「きれいごと」を広めた
第1章 SDGs時代の「市民」たち
第2章 優等生化する企業
第3章 「正しさ」を求める消費者たち
第4章 衝突するアイデンティティ経済
第5章 職場が「安全地帯」になる日
最終章 SDGsが「腹落ち」するまでに
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第5章 職場が「安全地帯」になる日 より
職場で形作られる「アイデンティティ」
これまで本書では、企業が自らのアイデンティティにもとづく価値観を発信し、消費者やマーケットとコミュニケーションを重ねていく様子を見てきた。「ジャングルジム」を行ったり来たりしながら、「個人的なこと」が「経済的なこと」になっていくダイナミズムを見てきた。
ところで、企業のトップが「ビジョン」を発信することは大事だ、という話はよく聞く。しかし、それでは不十分だと私は思う。これからの企業は、社長だけでなく、一人ひとりの社員が「個人的なこと」を言葉にして話せる職場でなくてはいけない。社長はむしろ黙っていてもいい。社員が自分の考えや悩みを発信すれば、さまざまな価値観との衝突も起きるだろう。そのことを通じて、そのアイデンティティもまた変化していく。そのような新しい企業社会が今後生まれるはずだ。
職場には、正社員、非正社員やフリーランスの人も多くの働き手たちが集まってくる。一般的に言って、1日8時間、1週間に40時間という長い時間だ。今はリアルなオフィスだけでなくオフラインで働く人も増えているが、1日のうちかなりの時間を何らかの「仕事の空間」で過ごしているはずだ。1日8時間の「仕事の時間」が積み重なっていけば、何十時間にも、何千時間にもなっていく。
見えてきた日本の社員像
私の手元に興味深い資料がある。一橋大学名誉教授の伊藤邦雄氏が中心となってまとめた「人材版 伊藤レポート」の参考資料として、経済産業省が2020年7月に作成したものだ。この資料によると、現在の勤務先で引き続き働きたいと考える人は、日本では52.4%。アジア太平洋地域の14ヵ国・地域の中で最下位で、1位のインドの86%から大きく引き離されている。天職したい思い人の割合も最下位で、25.1%だった。こちらも1位はインドで52.4%った。
さらに興味深いのは、資料の中で紹介されているアメリカのギャラップ社の調査だ。日本では会社に「熱意」のある社員はわずか6%で、調査対象139ヵ国のうち132位だった。世界の平均は15%でアメリカやカナダは31%だった。世界の平均は15%で、アメリカやカナダは31%だった。
こうしたデータから浮かび上がってくるのは、会社で長く働きたいと思っていないにもかかわらず、転職や企業も望んでおらす、仕事にも熱意を持っていないという、日本の社員像だ。
それぞれ異なる調査手法を用いてとられたデータなので一概には言えないが、私は日本の「家族」型企業は仮面家族というか、本当の意味で深いつながりはないのではないかと考えている。
そもそも、リアルな「家族」ですら、現代では選択可能だ。一例を挙げよう。東京・渋谷の中心部の16階建てのビルで暮らしている「拡張家族」がいる。他の拠点と合わせるとメンバーは約100人いる。
「Cift」(シフト)というコミュニティーだ。小さい子どもからシニアまでいる。血縁で結びついているわけではない。弁護士、料理人、クリエイターなどさまざまな職種の人が集まって、ともに暮らしている。一緒にご飯も食べるし、子どもの面倒も見る。家族旅行のように旅に出かけることもあるという。
職場という「結社」
リーマンショックを機に、多数の派遣社員が契約を打ち切られ、人件費が削られた。ただ、世界的に見ればリーマンショックは、資本主義に変化をよび込んだ。
人を雇っていることを「コスト」と考えるのか、あるいは今後も利益を生む「資本」と考えるのか。これだけでも十分変わってくるが、従業員の心理的安全性の高い職場のほうが、多くの人材が集まってくるだろう。
とはいえ、こうしたことも「グローバルエリートの理想主義だ」と考える人は当然いるだろう。「心地良い職場」という、グローバル化の恩恵を受けられる特権的なエリート層たちと、グローバル化に苦しめられて、仕事そのものを失ってしまう非エリート層との分断が生まれる現実を無視してはならない。
職場の安全性どころではなく、職場そのものがない人たちがいる。このような分断は、世界各国で問題になっていることだ。そうした非エリート層の支持を集めているのが権威主義的な政治家で、グローバル企業が豊かになっていくからこそ、そうした層との格差が広がり、不満が高じていく。ヒラリー・クリントン氏が非エリート層を「嘆かわしい人々」と呼んだように、グローバルエリートたちは「自分は正しい」と言わんばかりに自らの価値観を押しつけてくるわりに、中間層から滑り落ちそうになっている人々や貧困層のことを考えていない、という批判も各国で起こっている。いけすかない企業よりも、力強いリーダーが率いる「国家」のほうが、頼りがいがあるようにも見える。
ただ、国家というのは、私たちそれぞれの「個人的な事情」を汲み取って救ってくれるような存在ではない。そうした国家が巨大な権力でもって国民を蹂躙しないよう、日本国憲法は人権を保障しているし、大学などの学校や政治団体、NGO、宗教団体といった中間団体は、国家に対抗する力となり得る。そして憲法では「結社の自由」が認められている。このことも重要だ。
ところで現代社会では、この「結社」も多様化している。地域共同体が崩壊するなか、代わりとなる「受け皿」も多種多様だ。
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これまで多くの日本企業は、理念やビジョンをあまり大事にせず、長時間労働や転勤によって社員をしばりつけてきた。その見返りは、年功序列に見られるように、長く働けば働くほど給与が上がっていくシステムと、終身雇用による長期雇用の保障である。しかし、経済が激変する時代において、企業がそうした見返りを必ず提供するということは、もはやあり得ない。中には、短期間であれ高所得が得られるなら、いくら職場が理不尽でも我慢するという人もいるだろうが、それは幸せなのだろうか。それに、長時間労働によってお金を得たとしても、家族と過ごしたり友人と旅行に行ったりする時間を捻出できず、体を壊してしまったとしたら、本末転倒である。
もちろん、お金を稼ぎたいというのも立派な価値観だし、それがSDGsより劣っているとは思わない。ただ、SDGsに取り込むからこそ、ビジネス的にも成功するのが新しい資本主義社会でもある。しかもこれほど価値観が多様化して、地球環境が悪化する時代において、そして消費者や若者からSNSを通じて声が上がる時代において、人はお金だけで生きていけるほど強くはない。私たちの「個人的なこと」は、それぐらい強烈なパワーを宿している。
「個人的なこと」が発信できる職場を!
本章の冒頭で述べたように、生理痛のつらさを打ち明けた井上さんに限らず、私は職場の上司として部下たちのさまざまな悩みと向き合った。パートナーとの関係の悩み、メンタルヘルス、親との性格の不一致など、いろいろだった。専門家ではない私のアドバイスが悪影響を与えたりしないよう、医療機関の受診を勧めたこともある。
こうしたプライベートな問題を私に語ることで、私が「悩みを聞いてあげた人」となってしまい、上司としての私の権力性が増してしまうことにも注意した。もちろん、聞いたことは誰にも言わないし、取っていたメモも一定期間を過ぎたら破棄した。
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職場でもアイデンティティの発露が必要だと私が言うとき、それは経営者や管理職による発信を指しているわけではない。もちろん、経営トップがビジョンを発信することは必要だ。だが、より肝要なのは、弱い立場にある普通の社員が、自分の感情や価値観などの「個人的なこと」を発信できる職場こそが求められているということだ。
常に作り物の笑顔を求められる職場はいやだが、まったく笑い声がない職場も息苦しい。
その笑いは上司ではなく、部下から発せられるものでなくてはならない。さもなければ笑いの強要が起こる。本書で見てきたように、アイデンティティ経済の時代において価値観の発信は極めて大事だ。そしてそのためにも、上司や管理職など「上」からではなく、一般社員ら「下」からの「個人的なこと」の発信こそが求められているのだ。