じじぃの「イオンを創った女・巨大企業の裏側・知られざるコラボ大作戦!ガイアの夜明け」

ガイアの夜明け【イオン 巨大企業の裏側 ~知られざるコラボ大作戦~】

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8y7TTATKC7w

【紹介】イオンを創った女 評伝 小嶋千鶴子 (東海友和)

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https://www.youtube.com/watch?v=BdpYai4AlOQ

巨大グループ 「イオン」

イオン創業者 小嶋千鶴子

「あんた、世の中をもっと勉強せなあかん」イオンを創った女・小嶋千鶴子の経営哲学

2019/1/31 ダ・ヴィンチニュース
実業家・小嶋千鶴子氏は1916年(大正5年)三重県四日市市の生まれで、今年3月の誕生日には103歳を迎える。彼女は家業の「岡田屋呉服店」を「ジャスコ」へ、さらには「イオングループ」へと発展させた功労者だ。
彼女は女性の社会進出にも一役買った。まだ日本では「パートタイマー」という言葉がない時代に、子育てを終えた女性たちの募集を実施した。それから数年後、今度は大卒女子の大量採用を行った。だからといって彼女がウーマンリブ(女性解放運動)の風潮に賛同しているわけでもなかった。意欲と能力の基準を満たしていれば、性別、国籍、年齢、学歴に関係なく採用や任用・登用を行っていた。新聞記者たちが彼女に「女性の人事担当常務だから女性の採用に熱心ですね」「(同性に)理解がありますね」などと言うと、「あんた世の中をもっと勉強せなあかん。私が女性だからといってなんにも関係あらへん」と不愉快そうに応対していたという。
彼女の「経営人事」「戦略人事」の哲学はいまでも多くのビジネスパーソンたちを動かし続けている。いま我々が働く環境には、こういった偉大な人物の活躍が礎としてあることをぜひ学んでおきたいものだ。
https://ddnavi.com/review/515653/a/

ガイアの夜明け【イオン 巨大企業の裏側 知られざるコラボ大作戦】

2021年11月5日 BSテレビ東京
【案内人】松下奈緒 【ナレーター】眞島秀和
イオンはこれまでにない改革に乗り出した。グループ会社同士の本格的なコラボレーション。果たして新たな仕事を生み出せるのか?
従業員約57万人、連結営業収益8兆6000億円を超える巨大グループ「イオン」。
前身である「ジャスコ」は、52年前、大手スーパー3社「岡田屋」「シロ」「フタギ」の合併からスタート。その後も合併や買収を繰り返し、グループ傘下の企業数は300を越える。最近も、四国最大の総合スーパー「フジ」を傘下にしたほか、100円ショップ業界3番手「キャンドゥ」の買収にも乗り出したが、大きすぎるが故のグループ内での課題も。それが、苦戦を強いられているグループ会社の存在だ。
そこで、グループ会社同士が本格的なコラボレーションを開始。イオングループ全体が成長していくことを見据えた"コラボ大作戦"が始まった。しかしそこは、培ってきた文化がまるで違う会社同士、時として軋轢が生まれることも...。様々な障害を乗り越え、新たなものを生み出すことができるのか。

コンビニで勝てずとも...看板商品で勝つ!

国内に約2000店舗を展開するイオングループのコンビニチェーン「ミニストップ」は、万年業界4位。
そんな「ミニストップ」の絶対的な自信作が、北海道産の生乳と生クリームを贅沢に使ったソフトクリームだ。ソフトクリームの専門店「ミニソフ」を立ち上げ、中でも、台湾密芋とソフトクリームを組み合わせた「台湾蜜いもソフト」はバカ売れだという。
https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_tvtokyo/program/detail/202111/17105_202111052200.html

『イオンを創った女 ― 評伝 小嶋千鶴子』

東海友和/著 プレジデント社 2018年発行

小嶋千鶴子を形成したもの――その生い立ちと試練 より

23歳で岡田屋呉服店代表取締役になってから38年、実に長きにわたって経営に携わってきた。弟・岡田卓也が社長になるまでの7年間は社長として、卓也の指導者役であり姉として、会社および一家を支えた。
大阪の本屋の店主として束の間の休息があったものの、1959年には再び岡田屋の一線に復帰、今度は管理部門の専門経営者として岡田卓也を支えた。
合併を経て新生ジャスコが誕生すると、人事責任者として実力をいかんなく発揮し合併を成功させた。ジャスコでの8年間、まるで理想とする会社の全貌が手のひらに乗っているがごとく矢継ぎ早に施策を展開した。あるときには知的参謀で、あるときは夜叉のごとく指揮をとった。あえて困難な課題や問題に果敢に挑んだ。それは弟・岡田卓也を守るという親の姿であり、いま生まれたばかりのジャスコを守る守護神でもあった。
  「私が全国行脚し、志を同じくする小売業の経営者たちと提携交渉に注力できたのも、千鶴子がジャスコの内部片目を一手に引き受けてくれたおかげだ。時には悪者となり、社員に厳しかった。『あんた、会社を潰す気か』と雷を落とされた幹部は多い。ジャスコの精神的な支柱だった」
岡田卓也は著書『小売業の繁栄は平和の象徴』の中でそう述べている。
小嶋なくして合併の成功はなく、さらにジャスコの将来に向けてのレールも敷き終えた。
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父を亡くしたとき、千鶴子は11歳、卓也は2歳、母を亡くしたのは20歳と10歳のときである。
問い時のことについて小嶋はあまり触れていないが、卓也はまだ小さく父の顔さえよく覚えていないという。母を静養先の富田浜の保養先に見舞いに行ったことは先に述べたが、その風景は松林に囲まれた閑静なところである。防風林として植えられた松林に吹く風は厳しく、鈴鹿産経からの吹き降ろしの音と海からくる海風の音はまさに、「韓詩外伝」の一節「樹静かならんと欲すれども風止まず、子養わんと欲すれども親待たず、往きて見るを得べからざる者は親なり」を彷彿させる。親が子を想う心、子が親孝行をしたいときには親はいない。親子の心象風景そのものである。
その思いからか、岡田屋時代に、伊勢湾台風の遺児に対して「風樹会」をつくり、学校長の推薦で育英資金を贈った。のちに交通遺児など親の事情で進学を断念せざるを得ない子供たちにそれを送り続けた。
その後、2017年、卓也が設立した公益財団法人岡田文化財団の支援事業の中に「風樹会」をつくり、貧しい家庭にあって進学できない学生たちに育英資金を贈る事業を再開した。
パラミタミュージアムも、2005年4月に公益財団法人岡田文化財団に寄附し、小嶋は名誉会長に就いた。