Presentation on Self Schemas
Understanding schemas - Mental structures that support deep negative beliefs
Agile LeanLife
Most people have difficulty in at least one or more schema areas, even if they don’t have psychological issues.
Maladaptive schemas cause us all quite a lot of problems. They negatively distort reality, lead to negative thinking, devastating feelings and ill acting, and they are also the foundation of stereotypes, prejudices and cognitive biases.
That’s why understanding maladaptive schemas and how they function can help a person a lot in developing a healthier approach to life.
https://agileleanlife.com/schemas-and-schema-theraphy/
バイアスとは何か 藤田政博著 ちくま新書
事実や自己、他者をゆがんだかたちで認知する現象、バイアス。それはなぜ起こるのか?
日常のさまざまな場面で生じるバイアスを紹介し、その緩和策を提示する。
【目次】
第1章 バイアスとは何か
第2章 バイアス研究の巨人――カーネマンとトヴァースキー
第3章 現実認知のバイアス
第4章 自己についてのバイアス
第5章 対人関係のバイアス
第6章 改めて、バイアスとは何か
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『バイアスとは何か』
藤田政博/著 ちくま新書 2021年発行
まえがき より
この本は、『バイアスとは何か』という本です。その名の通り、バイアスとは何かについての基本的な理解を得ることを目標にしています。あらかじめ一言でまとめるならば、バイアスというのは人間がさまざまな対象を認知する際に生じるゆがみのことで、基本的には心理学、特に認知心理学の領域の問題だとされます。
第4章 自己についてのバイアス より
この章では、自己についてのバイアスについて見ていきます。自己とは要するに自分のことです。自分をどのように認識するのかという問題は、社会心理学では中心的な問題の1つです。
自分を認識する仕組みは複雑で、その過程にさまざまなバイアスが入り込む余地があります。そうした自己についてのバイアスについて、これから見ていきましょう。
1 自己を認識する枠組み
性格とはなにか
実は性格が存在するというのも1つの考え方であり、自明の事実ではありません。
通常私たちは、人には性格というものが存在し、いろいろな場面や時において性格に基づいて一貫して行動すると考えています。たとえば、怒りやすい人はちょっとしたことでよく怒り、優しい人は昨日も今日も明日も、誰に対しても優しく接してくれると考えています。性格が変わらないかぎり行動は変わらないとも思っています。
しかし、人間の行動には状況の影響が大きく、同じ人でも置かれた状況や時によって行動が変わることが大いにあります。たとえば自分の行動を振り返ってみれば、家族の前、友人の前、学校の先生の前、上司の前ではそれぞれの場合でとる行動が異なるでしょう。同じ言葉をかけられたとしても、相手が誰か、状況がどうかによって自然に違った行動をとります。そして、それが状況に影響されたものであることが、自分の行動であればよくわかります。誰の前で、どのような状況で行動するかによって、よくする行動のレパートリーを使い分けることもあるかもしれません。
ところが、私たちは他者の行動の原因を説明し、予測しようとする場合には、そのようなことを忘れてしまいます。他者のなかに何らかの安定的な原因があると想定し、他者の行動を説明し予測しようとします。そこで、性格という概念を作り出し、性格が行動の原因となって状況や時や場合を超えて一貫した行動傾向があると考えるのです。
このように、性格という概念は他者の行動を説明したり予測したりするために使われる概念ですが、自分の行動を説明し、自分を理解するためにも使われます。
自分のなかで自分に対する理解ができあがると、それを記憶のなかに蓄えておき、必要に応じて取り出して使います。たとえば、新しく自分がおこなった行動や考えについて意味づけをしたり、これから自分がすることについて判断したりします。その積み重ねによっと、私たちは自己を認知するとともに、認知の内容を日々更新しているのです。そして、自分自身についての自分なりの理解の枠組みを作り、維持していきます。これを社会心理学では「セルフ・スキーマ」と呼んでいます。
3 自分は正しいというバイアス
私たちはなかなか他者の視点に立って物事を見ることはできないことを見てきました。しかし、世の中で生じる物事にはさまざまな見方ができ、それぞれの人の立場から見たらそれぞれの見え方があるでしょう。みながみな自分の見方ばかり主張していると争いになります。
このようなことが起きるのは、私たちは視点取得が完全にはできないことに加えて、そもそも人は自分が正しいと思う方向にバイアスがかかっているからです。もしかすると、ある程度で妥協できたことでも、正しさを譲ねなかったことで対立が深くなったり長引いたりしていることもあるかもしれません。
そのような視点から見つめなおしてみると、人間関係につきものといっていい対立について、見方が変わるかもしれません。
ここでは、「自分は正しい」と思ってしまうバイアスを見ていきましょう。
社会的妥当性と自己確証動機
自己中心的バイアスでは行動が正しいかどうかを問題にしてきました。道徳的正しさについて客観的な基準はないので、客観的に正しさを証明することは難しくなります。
そこで、手っ取り早く自分は正しいと思いたい場合、どうしたらよいでしょうか。それは、「あなたは正しい」と身近な人に言ってもらうことです。これを社会心理学では「社会的妥当性」と言っています。
「社会的妥当性」は日本語で言うと、なにか公式に認められたような感じがしますが、この「社会的」は”social”の訳で、「対人関係において」「周りの人と」といったような意味です。つまり、いつも一緒にいる家族や親友に「確かにその通り!」と言ってもらうことが、ここで言う「社会的妥当性」です。人は、客観的に正しいことでなくとも、人から「それは正しい」と言われると安心し、それが本当に正しいと考えてしまいます。
自分のことについて腹を割って話すことを社会心理学では「自己開示」と言いますが、その重要な動機の1つが、社会的妥当性が得られることです。
これだけ心理的には重要な社会的妥当性ですが、周囲が全員イエスマンなら、社会的妥当性の獲得は簡単です。したがって、組織において力のある立場に立つ人は、自分が社会的妥当性を得るだけで満足していないか常に警戒をする必要があります。そのためには、あえて耳の痛くなる意見を聞くことも必要でしょう。
そして、自分自身をどう見るかに関しても自己確証動機が働き、私たちは自分と同じ意見の人に意見を求めます。たとえば、「自分は何も悪くない」と思っていると、同じような見方をしてくれる人を選択肢、その見方を強化します。逆に、「自分はだめな人間だ」と思っていると、自分をそのように見る人を選択し、その見方を確認するのです(Swann et al,1992)。
自分がだめな人間であることを確認したいなんて変な話だ、と感じられたかもしれません。しかし、自己評価や自尊感情が低い場合、そのほうが落ち着くのです。その逆に自分を高く評価している人とコミュニケーションをとると落ち着かなくなります。自分を守りたいという動機と正確な見方をしたいという動機は葛藤しています。自分を守りたい動機は自分をどう見るかということに影響しています(Hart et al,2009)。
ただ、そのときの問題は、自分の見方を「その通り」と言ってくれる周囲の見方が現実とずれている場合でも、それに気づかないことです。
私たちには、次に見る合意性バイアスもあるのですから、「直接自分と話をしない人もそう思っているに違いない」と思い込みがちになります。したがって、なおさら気をつけなくてはなりません。
合意性バイアス
突然ですが、今の日本人のうち、タバコを吸う人はどのくらいの割合だと思いますか? このような質問を、タバコを吸っている人に尋ねた場合は比較的高い回答が、タバコを吸っていない人に尋ねたら比較的低い回答が返ってきます(Sherman et al,1983)。
つまり、人は自分が行なっている行動について、他者も同じような行動をするだろうと考えます。このような傾向を、「合意性バイアス」(Ross et al,1977)と言います。合意性バイアスがあると、さまざまな議論がありうる問題について、他の人と自分の意見が一致していると思いこみます。この点を捉えて「合意性」と呼んでいます。もととなった英語のfalse consensusは、実際には存在しない合意であるかのように感じることをさしています。
確証バイアスは自分の頭のなかにある仮説に合う事実を拾ってこようとするバイアスでしたが、合意性バイアスでは、検証するまでもなく、そもそも他の人たちは自分と同じだと思ってしまうという点で、より思い込みが深いとも言えます。