じじぃの「歴史・思想_416_社会はどう進化するのか・よいニワトリと悪いニワトリ」

Hens packed into cages

Animal welfare campaigners attack Tesco over "cruel" Asian egg suppliers

10 MAY 2019 Mirror Online
The supermarket giant has pledged to end the sale of eggs from caged birds in its Europe markets 2025 but the same commitment does not apply to its Asian customers.
Animal welfare organisation Lever Foundation says that hens at farms that supply Tesco in Thailand are kept in conditions of “despicable cruelty”.
https://www.mirror.co.uk/news/uk-news/animal-welfare-campaigners-attack-tesco-15025000

『社会はどう進化するのか――進化生物学が拓く新しい世界観』

デイヴィッド・スローン・ウィルソン/著、高橋洋/訳 亜紀書房 2020年発行

善の問題 より

調和と秩序が、人間社会、生物圏、宇宙など、大規模な尺度で存在するという考えは、西洋文化や多くの文化のなかに深く根づいている。キリスト教の世界観にもその考えが浸透しており、また、経済学や複雑系科学などの一般にはキリスト教に関連づけられてはいない分野にもその傾向が見られる。キリスト教思想においては、慈悲深い全能の神が宇宙を創造したという信念は難問を提起する。それが真なら、悪の存在をどう説明すればよいのか? これは悪の問題と呼ばれ、それを解明しようと神学者たちがさまざまな書物を著してきた。それには、飢餓や疾病は、有徳な行動について教えるために神が人間に課したのだとするトマス・マルサスの考えも含まれる。
進化論の世界観は、この悪の問題をひっくりかえした。つまりこういうことだ。私たちが悪に結びつけて考えれいる行動を説明するのはたやすい。悪をなす者は、他者を犠牲にして自己の利益をむさぼることができるからだ。むしろ問題は、私たちが善に結びつけて考えている行動が、ダーウィンの提起するプロセスによっていかに進化するのかを説明することにある。この善の問題を解明するために、進化論者は多数の本や論文を書いてきた。そして進化論は、生命のプロセスを説明する理論として創造論よりすぐれているという単純な理由によって、神学者より大きな進歩を遂げてきた。つまり私たちは、環境条件によって善に結びつく行動が悪に結びつく行動に勝利し得る、あるいはその逆になる理由を科学的に説明できる立場にあるということだ。
本章では、善と悪の永遠の闘争と、この闘争で善が有利になるよう闘技場を操作する方法について説明する3つのストーリーを紹介する。最初の2つのストーリーは、人間の福祉に大いに関係するとはいえ、純粋に生物学的なものである。3つ目のストーリーは人間の道徳性をめぐる問題の核心を突き、いかにすればそれを強化できるのかを検討する。

よいニワトリと悪いニワトリ

第1章(「社会進化論をめぐる神話を一掃する」)で、ダーウィンの半いとこフランシス・ゴルドン(1822~1911、ダーウィンの『種の起源』に啓発されて、指紋から顔面の形態、心的属性に至るまで、人間の持つありとあらゆる特徴の遺伝率を調査した)を取り上げたことを覚えているだろうか。
彼は動物の家畜化や植物の栽培化と同じように、人間も能力に基づいて繁殖させるべきだと考えていた。ダーウィンでさえ、人間にも優生学が通用すると考えていたが、彼が人間の重要な適応特徴と見なしていた同情や思いやりの本能に背くがゆえに、それに反対したにすぎない。
これらの事実を念頭に置きつつ、1990年代にパデュー大学動物科学学部のウィリアム・ミューアらが、ニワトリを対象に行った実験について考えてみよう。彼らの目的は、めんどりの産卵率をあげることだった。ニワトリは群れをなして生きるよう進化したのは確かだが、現代の養鶏産業では、1つの檻に5羽から9羽詰め込まれることが多い。研究は、そのような環境下での産卵率の最大化に焦点を絞っていた。実験方法は単純で、各メンドリが産んだ卵の数を追跡し、それぞれの檻のなかでもっとも多くの卵を産んだメンドリを繁殖に回すというやり方を、数世代にわたって続けた。産卵率という特徴が遺伝するのなら、リチャード・レンスキーの実験において、大腸菌がのちの世代になるにつれグルコースをより効率的に消化できるよう進化したのと同様に、この実験方法によって、数世代が経過するうちにメンドリの産卵率は相応に上昇するはずであった。
しかしそうは問屋が卸さなかった。それどころか後続世代は、次第に卵をだんだん少なく産むようになり、互いに対して攻撃的になっていった。上の写真は、5世代が経過した時点のある檻の様子を撮影したものである。この檻にはもともと9羽のメンドリがいやが、6羽は殺され、残った3羽は互いの羽根をむしり合っていた。産卵率が低いわけだ!
なぜかくも残忍な結果が生じたのか? 各檻で最多の卵を産むメンドリは、他のメンドリを攻撃することでその地位を確保した。ニワトリでは攻撃的な行動が世代間で受け渡されるため、もっとも攻撃的なメンドリを選択することで、5代目には超攻撃的な株が生じたのだ。どの世代でももっとも産卵率が高い個体が繁殖のために選択されているにもかかわらず、互いに対する恒常的な攻撃によって引き起こされるエネルギー消費やストレスのせいで、すべてのメンドリが卵をあまり産まなくなったのである。
この第1の実験とし並行して、檻単位で産卵率を追跡する実験が行なわれている。つまり各檻でもっとも多くの卵を産んだ個体を繁殖に回すのではなく、もっとも多くの卵を産んだ檻のすべての個体を繁殖用に選択したのだ。左の写真は、5世代が経過した時点のある檻の様子を撮影したものである。9羽のメンドリはすべて無事で、羽根はまったくむしられていない。また産卵率は、実験期間を通じて160パーセント上昇した。
これらの2つの実験は、ダーウィンが思い描いていた、グループ内選択とグループ間選択をめぐる構想の格好の事例になる。1つ目の実験は、グループ内では利己的な特徴が、協調的な特徴より有利に働くことを強調する。痛めつけ合い殺し合う、最初の写真のニワトリの姿は、確かに私たちが悪と呼ぶ特徴を体現している。2つ目の実験は、グループ内のすべての個体の繁栄を可能にする特徴を進化させるためには、グループレベルでの選択が必要とされることを強調する。互いに友好的に振る舞う2枚目の写真のニワトリの姿は、私たちが善と呼ぶ特徴を体現している。
フランシス・ゴルドンは、個体の能力と社会的な争いのあいだには単純な関係があると想定していた。有能な社会は、有能な個体によって築かれると考えていたのだ。彼にとっては、能力とは子が親から受け継ぐ個体の特徴を意味するがゆえに、もっとも有能な個体の選択は、もっとも有能な社会を生み出さなければならなかった。
ところがニワトリ実験が示唆するところは、優生学が普通に実践されている家畜を対象にしてさえ、この論理は誤っていたということだ。どうやらフランシス・ゴルドンは、個体の能力と社会的な争いの関係を著しく誤解していたらしい。
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最後の教訓は、私たちが望もうが望むまいが、家畜化された動物や、栽培化された植物でも、遺伝的進化が起こるという点である。生命の柔軟性についてじっくり考えていると、ハッとさせられることがある。ごく普通に振る舞うニワトリから構成される個体群が、たった5世代でサイコパスの集団に変わり得るのだから。