Getting to know Myopia & learning how to control it
ユダヤ人は近眼の人が多い?
認知機能が高い人は、眼鏡が必要となる遺伝子を持つことが明らかに
2018年6月5日 ニューズウィーク日本版
眼鏡をかけている人は、どこか知的な雰囲気が漂うものだが、このほど、遺伝子学の観点から「眼鏡をかけている人はそうでない人に比べて知性が高い」ことが明らかとなった。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/06/post-10309.php
生物学の1部門としての政策 より
20世紀中盤におけるニコ・ティンバーゲン、コンラート・ローレンツ、カール・フォン・フリッシュの課題は、「動物行動学は生物学の1分野である」、つまり「行動は他の特徴と同じあり方で進化する」ことを示す点にあった。1973年に3人がノーベル医学・生理学賞を受賞した頃には、彼らの課題は、彼ら自身の努力のみならず、きわめて有益な4つの問いのアプローチを駆使する他の多くの研究者の手によってほぼ達成されていた。さらには、それまで個別のテーマをなしていた進化(evolution)、生態(ecology)、行動(behavior)が、1つの分野として融合し始めていた、この融合された分野は、略称のEEBで表記されることが多く、私が大学院生の頃には、訓練の一環として組み込まれていた。
本書の課題は、政策立案が生物学の1分野であることを示す点にある。
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本章では、3つのストーリーを語ることで旅を続けるが、その順序には意図がある。最初のストーリーは、なぜ大勢の人々が、モノをはっきり見るためにメガネをかけたり、コンタクトレンズをはめたりしているのかを説明する。2つ目のストーリーは、脊椎動物の系統内で5億年をかけて適応してきた私たちの免疫系が、いかに現代の環境のもとでは負債と化しているかについて語る。3つ目のストーリーは、子どもの発達に関するものだ。3つ目のストーリーはすべて、ティンバーゲンの問い【個体発生】の重要性と、過去の環境への適応が現代の環境のもとでは悲劇的な不適応をもたらし得るという進化的な不整合に光を当てる。
目の発達
私たちの目は、機能的に設計されたものの完璧な例である。カメラと同様、目はレンズと光に感応する表面、さらには光量と焦点距離を調節するメカニズムを備えている。
目が見るために設計されているということを疑う人はいないだろう。目は人間によって設計されたわけではないので、神のような人間以外の設計主体、もしくは自然選択のような設計プロセスのいずれかの存在を示唆する。科学界では、この議論はとうの昔に決着がついている。実のところ、目に関して今日知られていることは、大腸菌を対象にしたリチャード・レンスキーが行なった実験の大規模バージョンのようなものだ。12の個体群のおのおのが、同じ選択圧力に個別に反応したように(グルコースをエネルギー減として用いる能力)、[進化の過程で]100を超える生物種の系統が、光を情報源として用いるよう導く選択圧力に独自の反応を示したのである。最近発見された生物の1つに、ワルノヴィアと呼ばれる海洋単細胞生物がある。単細胞生物の多くが向日性に基づく眼点を進化させてきたのに対し、ワルノヴィアは、細胞内構成要素から成る角膜、水晶体(レンズ)、網膜体を持つ十全な目を進化させてきた。
大腸菌がエネルギー減としてグルコースを処理する方法は、限りがあったとしても1つではないのと同様に、光を情報として処理する方法もいくつかある。しかしどの生物系統がいかなるメカニズムを用いているのかは、偶然と進化の歴史が大きく左右している。
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近視はおもに常軌を逸した環境によって引き起こされるという事実は、ずいぶん前から知られていた。
1975年には、カナダ北部の2つの居留地で暮らすイヌイットを対象に研究が行なわれている。近視は高齢者より若者にはるかに多く見られ、男性より女性に多かった。また男女ともに、学校教育を受けた期間の長さに相関した。どうやら狩猟採集民の生活から定住生活への移行によって近視の流行がもたらされ、さらに学校教育が関与していることは明らかだった。
もっと最近になって行なわれた、ユダヤ人のティーンエージャーを対象とする研究の結果によれば、正統派ユダヤ教の学校に通う少年の80パーセントが近視であった。それに対し、正統派の少女や非正統派のユダヤ人少年少女の近視者は、およそ30パーセントであった。正統派ユダヤ教の学校に通う少年は、長い時には1日に16時間、学校で過ごしている。1998年から2004年にかけて行われた比較研究によると、人士の有病率は、(学校で過ごす時間が非常に短い)ネパールでは3パーセント未満、(学校で過ごす時間が非常に長い)中国の広州では69パーセント以上であった。
視力を持つ卵
ひとたび社会進化論のストーリーにまつわるブギーマンを葬り去れば、生物学者と同じように「生物学」という用語を、「生命プロセスの研究」という意味で理解することができるようになる。そして、ティンバーゲンの4つの問いにみごとに要約されているように、生物学者の概念的な道具を用いて政策の問題に取り込むことができる。以上のストーリーはいずれも、発達を中心に据えた、4つの問いの相互作用が関連している。つまり各ストーリーは、発達が生物と環境のあいだの相互作用を孕むこと、そしてそれが進化のプロセスによってシナリオのごとく書き込まれた相互作用であることを示している。このシナリオを逸脱すれば、進化のプロセスが破壊される結果を招きかねない。現時点での最善の知識に基づいて言えば、家に閉じこもって目の前にあるものを注視するような活動を長時間行っている子どもは、近視になりやすい。過剰に衛生的な環境のもとで暮らしている子どもは、炎症性疾患にかかりやすい。家庭や学校で年齢相応の活動を行っていない子どもには、実行機能を損なう危険性がある。これらはいずれも、脅威になる。その一方、子どもの発達について十分に学び、その種の障害が生じないよう留意することで、私たちはそれらの問題に対処することができる。生物学に基づいて政策を立案することは、問題解決の重要な一部になる。これは非常に魅力的な考えだ。
また3つのストーリーは、「何が観察可能なのかは、理論によって決まる」という考えを確証する。どのストーリーも、世界に関する特定に見方に照らせば、一見意味があるかのように思えるがゆえに、有害な政策が実行されてしまう事例を取り上げている。「乳児が成長するまで白内障の手術はしないほうがよい」「この世から細菌を一掃したほうがよい」「ゆりかごに寝かせている頃から読み方や計算を教えたほうがよい」と考えるのは、ごく自然だ。それらの実践が有蓋である理由を明らかにし、それまでは見えていなかった他の解決方法を考案するためには、世界に関する新たな見方が必要とされる。
よりよき理論の採択は手始めにすぎない。直接真理に導いてくれるような理論はないのだから。理論を用いることで可能になる最善の方策は、考える仮説をいくつか立て、立てた仮説を実地に検証することだ。私たちは、相応に正しい目の発達の理論で武装することで、