じじぃの「歴史・思想_406_日中漂流・2005年反日デモの深層」

What Do Chinese Think About Japanese? - Intermediate Chinese - Chinese Conversation

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=6ZWiTtjSvj8

中国人の日本に対する良い印象は、過去最高を更新 ~第15回日中共世論調査結果~

2019年10月23日 言論NPO
中国国民の対日印象は今年も改善を続け、日本に対する「悪い印象」を持つ中国人は、尖閣諸島の日本の国有化で92.8%とピークに達した2013年の調査から減少を続け、今回は52.7%と半分近くにまで改善しました。
一方、日本人の対中印象の改善のテンポは鈍く、今年も84.7%と未だに8割を超える日本人が中国にマイナスの印象を抱いています。
http://www.genron-npo.net/world/archives/7379.html

『日中漂流――グローバル・パワーはどこへ向かうか』

毛里和子/著 岩波新書 2017年発行

2005年反日デモ より

愛国無罪

2005年4月の週末に繰り返された反日デモは衝撃的だった。第1は、見る見るうちに群衆的な反日運動になってしまったこと、第2にこれだけ経済の総合依存が進んでいるのに、「日貨ボイゴット」という80年前のスローガンを彼らを叫んだこと、そして第3は、日本の国連常任理事国入り反対という、歴史問題とは別の新たなイシューを登場させたことである。この反日デモは、①教科書検定小泉首相靖国神社参拝を契機にした歴史問題、②この年2月の日米安保協議が防衛の範囲に台湾を含めることを示したことに起因する台湾問題、③東シナ海の領域での海底資源をめぐる紛争、という予測できたイシューに加えて、新たに④国連安保理常任理事国入りを試みる日本を阻む動き、「政治大国日本」への反感が噴き出した点で、両国関係が新しい段階に入ったことを告げた。
何が起こったのか。
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4月2日、四川省成都で日系スーパー・イトーヨーカ堂が襲われ、広東省でも深圳から反日デモが広がった。彼らのスローガンには、日本の常任理事国入り反対、靖国や教科書問題日本商品ボイゴット、尖閣諸島問題など日中間のあらゆる争点が含まれ、はげしい対日批判となった。翌週の4月9日には北京で1万人の反日デモとなり、さらに1週間後には上海に波及、インターネットと携帯電話による連絡で5~6万人規模に膨れ上がった。群集心理で日本人経営のレストラン、上海日本総領事館のガラスが割られるという事件も起こった。ほとんどのデモで若者たちが「愛国無罪」を叫んでいたのが衝撃だった。暴力と破壊を伴う行為は犯罪であるにもかかわらず、愛国ならばなんでも許されるという考え方は受け入れられないからである。

デモの前兆

大衆的な反日デモが起こる前兆は2003年からあった。その夏、黒竜江省チチハルで、旧日本軍毒ガスが爆発して死亡事件が起こり、その補償問題でこじれた。結局、3億円の「慰問金」で決着したが、とくに青年層に不満が残った。同じころ北京ー上海間の高速鉄道計画に日本の新幹線技術導入が有力という情報が流れると、インターネット上で新幹線導入反対の署名運動が始まり、すぐに10万近い署名が集まったという。
2003年9月には、南の経済特区珠海で、ある日本企業の慰安旅行での「集団買春事件」が発覚した。また10月29日には、西安の西北大学文化祭で、日本人留学生3人が「下品なパフォーマンス」を行ったとして中国人の反発を招き、学生や一部市民が留学生寮に押しかけ、暴力事件が起こった。彼らは街頭でデモを行い、日本製品ボイゴットを訴えた。さらに、11月にはトヨタ自動車広告事件が起こった。中国文化のシンボルである石獅子がトヨタ車におじぎをするという広告が「中国への侮辱」だとして市民が反発し、トヨタ側が謝罪してなんとかおさまった。年末には、「釣魚島保衛連合会」という民間組織が生まれた。代表は対日戦争賠償運動をすすめてきた童増である。翌04年3月には彼らが釣魚島上陸を強行した。同年夏のサッカー・アジアカップで、日本チームに対する激しいブーイング、大使館公用車への暴力行為なども起った。
つまり、05年4月の反日デモが起こる前から中国の反日民族主義がマグマのようにたまっており、いつ爆発しても不思議ではない状況だったのである。

ネット民族主義

デモ当時、日本のメディアでは多くの論者が、「中国政府がやらせている」、「中央で権力闘争が起こっていてそれが対日関係に現れた」、「90年代半ばからの”愛国主義教育”の結果であり、中国側に問題がある」という見方で解説した。だがそうだろうか。事態はもっと奥深く、根が深いように思われる。
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ラディカルな民族主義の論調はネットに接する若者に大人気だという。前に紹介した王小東は、民族主義者の仕事は中国を超大国にするために奮闘することだ、と断言する。彼によれば、「90年代末からの中国でのインターネットの猛烈な発展で、民族主義がこれまでのメディアの封鎖とタブーから脱し、民間における民族主義の迅速かつ広汎な伝播を可能にした」のである(王小東・2005)。
また林治波(軍出身の『人民日報』論説委員)の対日外交論は挑発的だ。彼は、民族の自発的感情の発露である民族主義をもち上げながら、「日本に対してもっと強硬になれ、”友好交流病”にかかるな」と叱咤する。なぜなら、いまの両国間の矛盾は「台頭する中国、それを見たくない日本」という構図にあり、経済関係は相互補完性が弱まり、競争関係がますます強くなっているからだという。日本の国連常任理事国入り問題では、「中国は拒否権を使え」、「せっかく拒否権をもっているのにこんなとき使わないでいつ使うのか」とまで言い切る(林治波・2005)。
こうした排外的なラディカルな民族主義や、それに拍手喝采する「怒れる青年たち」(慎青)。他方で、中国のネット人口の大衆化、若年化が進んでいる。2005年のある調査では、1億人を超えるネット利用者のうち、月収500元(7500円)以下が65%、中卒以下の学歴が30%、18歳未満が17%である(田島英一・2005)。チャットで書きこみをする多くは大卒、あるいは一流大学の学生というより、社会に溢れている非エリートの若者たちではないだろうか。
もちろん、こうした傾向を批判する動きもある。任丙強は、彼らはなんでもかんでも反対する、一種の「排泄行為」、精神的奴隷化現象だと突き放してとらえる。そして、「憤青文化」のなかで、極端なことをいう学者ほど歓迎され、言論がますます極端になり、世論全体が「非理性的」になっていくと強い懸念を示す(任丙強・2005)。しかし、王小東や林治波の言論はとにかく明快だ。断言し、人を納得させる。2005年反日デモは、大衆社会化が始まった中国に特有の政治的社会現象なのである。いいかえれば、きっかけがあればまたいつでも起こり得る。