じじぃの「歴史・思想_323_ユダヤ人の歴史・ヘロデの神殿・嘆きの壁」

A History of Jerusalem History - in Animation

動画 YouTube
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Temple of Jerusalem

ユダヤ人の歴史〈上巻〉』

ポール ジョンソン/著、石田友雄/監修、阿川尚之/訳 徳間書店 1999年発行

ヘロデの神殿とその栄華 より

世界で最も猜疑心が強く、とげとげしい雰囲気の町エルサレムで、ヘロデ(紀元前73年頃~紀元前4年、ユダヤを統治した王)は組織力と先見の明をもって自らの計画に取りかかった。アントニア要塞の建設によって軍事的優越を決定的なものとし、そこに3つの塔を建ててさらに支配を強化した。のちにダビデの塔として知られるファサエルの塔、ヒッピクスの塔、そして妻殺害の前に完成したマリアムネの塔の3つである。この事業を成し遂げると、劇場と円形競技場を建設しても大丈夫との判断に達する。ただし慎重を期して、2つの建物は神殿区域の外に置いた。
そして紀元前22年、ヘロデは国民会議を招集し、一世一代の計画を発表する。現にある神殿を、ソロモン神殿の栄光を上回る、壮麗なものに建てかえることである。次の2年間で、1万人の作業員とその監督にあたる1000人の祭司が集められ、訓練された。
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神殿装飾に関する自らの計画に従い、ヘロデは神殿正面入り口の上に金の鷲をすえつけた。離散ユダヤ人はこれを歓迎したものの、エルサレムの敬虔なユダヤ人は、ファリサイ派も含めて強硬に反対し、律法を学ぶ学生の一団が門によじ登ってこの鷲を粉々に打ち砕いた。ヘロデはエリコ近郊の宮殿ですでに病の床に臥していたが、それでもなお彼らしく精力的かつ冷酷な行動に移った。大祭司は罷免される。事件を引き起こした学生が特定され、逮捕され、鎖につながれてエリコへ引き立てられた。そして同地にあるローマ風劇場で裁判にかけられ、生きながら火あぶりの刑に処された。気前のよさを無にされて傷つけられた彼の自負心をいやすために、この犠牲は供された。犠牲を焼く煙がまだ立ち昇っている頃、ヘロデは担架に乗せられてカリロエにある温泉へ運ばれ、紀元前4年そこで最期を迎える。
ヘロデが望んだ王国の継承は、うまくいかなかった。最初の妻であるナバテア人ドリスとの間にもうけた相続人である息子たちが、能無しであったからである。ユダヤを相続したアルケラオスを、紀元6年、ローマ人は廃位せざるをえなくなる。その後、カイサリアからやってきたローマの長官が、直接ユダヤを治めた。長官はアンティオキアにいるローマ地方総督の監督下にあった。ヘロデ王の孫にあたるヘロデ・アグリッパが有能であったので、紀元37年にローマ人は彼にユダヤを返還する。しかし新王が紀元44年に亡くなると、ローマは再び直接統治を行なうしかとるべき道がなかった。ヘロデ大王の死によって、パレスチナでのユダヤ人自身による安定した統治の最終段階は実質的に終了し、このあと20世紀なかばまでその状態が続く。

黙示録と熱心党 より

殉教者に関する物語よりもさらに重要なのは、黙示という新しい文学分野である。これはマカバイ時代(紀元前2世紀)以降、預言の衰退によって生じたユダヤ人の精神的空白を埋めるものであった。この言葉は「啓示」を意味する。黙示書は、人間が通常得られる知識や経験の範疇(はんちゅう)を超える神秘の数々を伝えようと試みる。このためにしばしば死んだ預言書の名前を用いて、信憑性を高めようとする。紀元前2世記以降には、やはり一連のマカバイ危機の影響下で、ひたすら終末論の主題を追い求める。ユダヤ人の歴史に対する固執を未来に投影し、神が歴史を終了し、人間が自らの行ないを総括する「時の終わり」に、何が起こるかを預言する。その時が来ると、宇宙規模で大動乱が起こり、ハルマゲドンで最終戦争が戦われ、クムラン宗団の巻物の1つが記すように、「天の万軍が大いなる声を呼ばわり、世界の土台が揺らぎ、天の勇士らがしかける戦争が世界中に広がる」。これらの出来事には、激しい暴力行為がともない、また善なる者(すなわち敬虔なユダヤ人)と邪悪なる者(ギリシャ人、後にはローマ人)の間が完全に分割され、切迫感に満ちあふれている。
この種の書物のうち最も影響力があったのは、ダニエル書である。ハスモン王朝(紀元前140年頃から紀元前37年までユダヤの独立を維持して統治したユダヤ国家)初期にさかのぼり、正典に加えられた点でも、他の黙示書の原型になった点においても、重要度が高い。アッシリアバビロニアペルシャの各時代から歴史的教訓を引き出し、異教に支配された帝国主義一般、特にギリシャ人による統治への憎しみをかきたてた。そして帝国の滅亡と神の王国の出現を預言する。神の王国は英雄的解放者、すなわち「人の子」の治めるものかもしれない。この書物は攘夷論と殉教への誘いに満ちている。
黙示書はさまざまな形で現実の世界に照らし合わせて読むことができ、実際そのように読まれた。おそらく人口の大半を占めていた穏健で敬虔なユダヤ人は、エレミヤやエゼキエルの時代から、適度に寛容な外国人による統治のもとで自分たちの宗教を信仰することができたし、もしかするとこれが最良の形ではないかと考える傾向があった。これらの人々にとって、ダニエル書はダビデ王国のような歴史的な現実の王国再興を約束したのではなく、むしろまったく異なる種類の最終的結末を約束するものだった。すなわち、復活と霊魂の不滅である。ファリサイ派にとって最も重要だと考えられたのは、ダニエル書の最後に現れる主張である。「お前の民は救われる。(中略)多くの者が土のちりの中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と侮蔑を受ける」(12章1-2節)。ダニエル書のこの思想は、エチオピアエノク書と呼ばれる紀元1世紀初頭に書かれた書物でさらに強化される。同書は「終わりの日」と「裁きの日」について語り、その日には「選ばれた者」が恵みを受け、彼らの王国に導かれると説く。